文字を覚えること・書くことは簡単ではない。
鉛筆で決められた枠の中に、文字を丁寧に書く。
「ていねいに書きなさい」
「はみ出さないで書きなさい」
と注意されても、なかなかうまく書けなくて苦労する子がクラスに何人かいる。
どんな簡単に思える文字でも、間違える子がいる。鏡文字になるような子もいる。
「できて当たり前」という教師のスタンスは、子どもを傷つける。
「できない子がいて当たり前」というスタンスで、あの手この手を使って子どもを伸ばしていきたい。
(1)ハングル文字やアラビア語を見ると「これは到底書けないし、覚えられんわ」という絶望感を抱く。
안녕하세요?/하십니까?(アンニョンハセヨ/アンニョンハシムニカ)
を識別するのは、自分には難しい。
その絶望感を思えば、日本語を目の前にした子どもの中に、文字(記号)がちんぷんかんぷんの子がいることは十分に理解できる。
「上」と「下」の区別は簡単だが、おそらく「右」と「左」の区別は、そんなに簡単ではないはずだ。
「覚えて当たり前・書けて当たり前」ではないのだという前提で文字指導に当たらないと、子供がかわいそうなのである。
(2)利き手でない手で文字を書く困難さを想像すれば「正しい形は分かっていても、思うように鉛筆を操作できない」場合があることは十分に理解できる。
鉛筆で文字を書くのは指のコントロールが必要だから、まずは「指書き」「なぞり書き」で字体に慣れさせることに価値があるのだ。
(3)5センチ四方のマスに文字を書くのと、5ミリ四方のマスに文字を書くのでは困難さが違うのだから、まずは、まずは大きく書かせればいい。
まずは空中で大きく「空書き」を何度もさせるべきなのだ。
・・・読めるか読めないかもあやふやなうちから、書き方ノートに書かせるのは酷だ。
鉛筆を自由に操作するのが困難なうちから、書き方ノートに書かせるのは酷だ。
「酷だ」と承知しながらやらせるなら、お目こぼしもできる。
どの学級でも、文字指導で、子どもの自尊感情を下げないよう配慮してほしい。
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