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August 20, 2017

道徳授業の予備知識 ~「思いやり」を例に~

(1)「行動」の定義

 行動分析学(応用行動分析学)が定義する「行動」の条件は、次の2つである。それぞれのチェックを「死人テスト」「具体性テスト」と呼び、双方をクリアしないと「行動」とみなされない。        
①死人にはできない
・・・「~しない」というのは死人にもできるので「おしゃべりしない」「動かない」「人を叩かない」などは、「行動」と言えない。

②具体性がある。複数の人が見て(録画してみて)、それと分かる。
・・・「深く考える・反省する・楽しむ」のような心情的・内面的なものは「行動」と言えない。

参考 http://aba-airi.hatenadiary.com/entry/2016/09/05/220352

(2)if-then計画

 「思いやりの心」は、具体的な行動が問われる
◆ごみ箱のごみがあふれている時に、こぼれたごみを拾ったり、ごみ箱をぎゅっと押さえて捨てやすくしたりできる。
◆給食当番で自分の分担が終わったら、ためらいなく他の子の仕事を手伝える。

 「あかじめ○○になったら△△をする」と決めて実行することで、行動を自動化しようとすることを「if-thenプラン(条件型計画)と言う。
 しつけも、行動規範も、「こういう時は、こう動く」という「if-then計画」の積み重ねなのだと言えるのだが、道徳も同じと言えるのかどうか自信がない。

(3)「具体化」と「一般化」(汎化)

 if-then的に具体的な行動を習得するだけでは、新しい場面で動けない。
 一方、抽象的に「思いやりの行動をしよう」と唱えているだけでは、具体的な場面で動けない。
 「ごみ箱があふれていたら、どうすればいいかな?」のような具体的な場面でのシュミレーションを行うとともに、「このように困っている人を見かけたら、自分ができる支援策を考えて実行する」という総括的な心構えとをしっかり結びつけていくことが道徳の授業の大事な役割だと思う。
 だから、道徳授業の基本的な1時間の枠組みは、前半は資料の中の出来事に合わせて考え、後半は自分たちのふだんの生活に置き換えて一般化するようになっている。
 ただし、この指導過程は理に適っているものの、もはや形骸化してしまっている。

(4)「思いやり」は「想像」であって「看取り」とは違う

 国語辞典で調べたら、「思いやり」の2番目の意味が「想像」であった。
 ということは、目に見える相手を助けるのは「思いやり」ではなく「見取り(看取り)」にすぎないということになるだろうか。
 低学年の「思いやり」なら目の前の人への支援でいいと思うが、高学年にとっての「思いやり」は

◆「この切符を落とした人、今ごろ困っているだろうな」
◆「同じ地球上で、学校に行けずに辛い思いをしている人に何かしてあげたいな。」

というように、目に見えぬ人に思いをはせることであり、それは、やっぱり「看取り」とはレベルが違う。
 授業者が「看取り」と「想像」の違いを自覚しないと、高学年で「看取り」の授業をしてしまうかもしれない、
 
 さて、「想像」と言えば、ジョンレノンの「イマジン」が思い浮かぶ。世界の平和は、まず「想像」から始まるのだ。

Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
 僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...

 想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
 さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...

 僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ
http://ai-zen.net/kanrinin/kanrinin5.htm


 「私たちの道徳」(中学年)には、「だれかの生活をささえられる人に」と題して、まどみちおの詩が紹介されている。

=============
朝がくると とび起きて
ぼくが作ったものでもない 水道で 顔を洗うと
ぼくが作ったものでもない 洋服をきて
ぼくが作ったものでもない ごはんを むしゃむしゃたべる

それから ぼくが作ったものでもない本やノートを
ぼくが作ったものでもない ランドセルにつめて せなかにしょって
さて ぼくが作ったものでもない 靴をはくと たったかたったか でかけていく
ぼくが作ったものでもない 道路を
ぼくが作ったものでもない 学校へと
ああ なんのために

いまにおとなになったら ぼくだって ぼくだって
なにかを 作ることが できるように なるために
===================

・・「モノ」の向こうにいるはずの「人」に思いをはせることで、関係が広がり、関心が広がり、想像が広がり、思いやりの心が広がっていく。 
 この詩が中学年で紹介されているということは、中学年で「看取り」ではなく「想像」まで指導せよということにもなるのかもしれない。

 さて、冒頭の話題に戻るのだが、「イマジン」やまどみちおを詩を読んで「想像する」だけでも、道徳になるのかなという思いがあって、現在困惑中である。
 「想像」は、目に見えないから行動でない。
 「想像」してみたところで、これからどうすればいいか、全然具体的でない。

 それでも、「想像」するだけでも、子どもの人生に何か影響があるかもしれない。
 道徳は「心」を扱う。「行動」を扱うのは生徒指導と言わることに、反発したくなるのだが、やっぱりそうなのかなと思ってしまう。
 道徳は、やはり奥が深いのだ。

 ※むろん、「想像」だけでは授業にならないし、評価もできない。
 想像したことを発表させたり、ノートに書かせることで視覚化させる。
 想像した内容を話し合いの形で相互交流させることで視覚化させるといった授業の工夫が必要である。

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August 12, 2017

結果ではなく努力を褒めるのがスタンフォード流

 「結果ではなく努力を褒めるのがスタンフォード流」というネットの記事(無料で閲覧できる)
http://mainichi.jp/premier/business/articles/20160314/biz/00m/010/001000c

 キャロル・ドゥエック教授の講義内容が紹介されており、「『やればできる』の研究」の復習になった。
 ちなみにドウエック教授の「やればできるの研究」については、かつて書いたことがある。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2016/07/s-88fe.html

 今回のネット記事は非常にコンパクトにまとめられているので、そのまま引用するだけで済んでしまうが、さらにまとめてみる。

======================
「硬直マインドセット」をもっていると、「自分は勉強してもムダだ」と自ら限界を決めてしまいがちで、学習意欲が著しく低いまま。
一方「しなやかマインドセット」が高まると、「今はまだできないだけで自分も能力を伸ばすことができる」と捉え、勉強に取り組む勇気や活力がわき、実際に成績が向上する。

◆「まだ」というのが魔法の言葉です。
知らず知らずのうちに、子供は「いつかはちゃんとできるのだ」と自分を信じる力がつきます。
この自分を信じる力こそ、しなやかマインドセットであり、挑戦し続ける気持ちなのです。

◆しなやかマインドセットの割合が高い人は、目の前の課題や挑戦的なことに対して前向きに、積極的に取り組みます。
その結果、失敗しても、「『今』の私は失敗したけれど、もう一度トライすれば成功できるかもしれない」と気持ちを切り替えて、その経験を肯定的に捉え、次の課題に挑むようになるのです。こうした心持ちになり、それを維持していくには、周囲の人たちや保護者との接し方、特に「言葉がけ」が大きく影響します。

◆褒める際は大げさにせず、結果ではなくプロセスを評価していました。
さらに、その子の持つ能力や才能ではなく、努力したことについて褒めるのが大切です。

◆(悪い言葉かけ)・・子供を大げさには褒めてはいけない
例えば、テストで100点満点を取った子供を「○○ちゃんはすごいね!」と大げさに褒めれば喜ぶかもしれません。
ただ、こうした大げさな褒め方をされると、自分はすごいのだ、できて当然という心持ちになり、さらに自分はすごくなくてはいけない、という考えに縛られます。
すると、自分がすごいという思いを維持するために、難度の上がったテストを受ける際、100点満点が取れないとわかった時点で、取り組むのを放棄したり、諦めたり、言い訳を探し始めたりするのです。子供なりに自尊心が傷つくのを避けるための行為だそうです。
また、自分の「すごさ」を認識するために、他者との比較に頼りがちになります。自分のテストの点数に向き合うのではなく、自分より点数の低い子を探し回ることも少なくありません。

◆(よい言葉かけ)・・次の目標につながる言葉をかける
テストで100点満点を取ったのであれば、「がんばったね」などと声をかけがちですが、子供の受け取り方はさまざまです。
もし、あまり勉強せずに100点をとれた場合、子供は無意識に「これくらいが、がんばることなのだ」と考え、それ以上の努力をしなくなる可能性があります。
つまり、子供がどの程度勉強したかという努力を褒めるのです。
このような場合、「このテストでは物足りなかったかな? もっと難しいことに挑戦しよう」などと、次の目標を提示すると良いでしょう。
もちろん、これ以上できないほど勉強して100点を取った場合は、最大限の褒め言葉をかけてあげましょう。
どの程度勉強したのかがわからなければ、「勉強でどんな工夫をしたの?」などと聞き、子供の話す工夫について、「その方法がよかったのね」といったように、努力や工夫することを後押しする言葉をかけます。
満点が終着点なのではなく、学びの通過点であることを伝えるのが大切です。

==========================

 子どもの努力を褒めるということは、その結果が「努力に値するかどうかを把握する」ことであり、点数で測るより、はるかに難しいことだ。
 当たり前だが、努力を褒める・努力していなければ褒めないためには、日頃の子どもの様子をしっかり看取っている必要がある。
あるいは、「どんな工夫をしたの?」というような対話をする必要がある。
100点取ったから褒めるのは簡単だが、それ故、シロウトの行為にすぎないのだ。教師のやることではないと自制するとともに、日々「次の目法につながる言葉かけ」を模索し、体得していかねばならない。

◆疑問や問題を抱えた子供に対して、先生は、「友達に聞く」「前に自分がどうやったかを思い出す」「周囲に目を向ける」の三つのことを繰り返し促すそうです。こうして子供たちは、自分とその周囲の友達や物事から答えや解決策を見つけるようになるのです。
http://mainichi.jp/premier/business/articles/20160229/biz/00m/010/008000c

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大事なのは「自信」

 「オズの魔法使い」

 白黒の映画を観たことがあるが、はっきりとストーリーを覚えていない。
 異国に舞い込んだ主人公ドロシーが、様々な困難を乗り越えて自宅へ戻る。その間に、桃太郎の「猿・雉・犬」のごとく「ライオン・案山子・ブリキの木こり」がお供をするといったところだろうか。

 この「ライオン・案山子・ブリキの木こり」について意識してなかったのか、忘れてしまっていたのか、たまたま詳しいストーリーを知って新鮮な驚きがあった。

 ウィキに載ったあらすじから抜粋すると

◆魔女は一行をズタズタに切り裂くため狼たちを送るが、ブリキの木こりが斧で殺す。
魔女は一行の目を潰すため野生のカラスを送るが、カカシが彼らの首を折って殺す。
魔女は一行を刺すため黒い蜂の群れを集めるが、カカシのわらがドロシー、ライオン、トトを隠し、ブリキには刺さらずに蜂は死ぬ。
魔女はウィンキーの兵士たちを送るが、ライオンが直立すると恐れて引き返す。
ついに魔女は黄金の冠の力を使い飛ぶ猿を呼び集め、ドロシー、トト、ライオン、カカシを捕まえ、ブリキの木こりをへこませる。
魔女はドロシーの銀の靴を手に入れることを企て、ドロシーを自分の専属奴隷にしようとする。
悪い魔女はドロシーを騙して銀の靴の片方を脱がせることに成功する。
怒ったドロシーは魔女にバケツの水を思い切りかけると、魔女が溶けてドロシーは驚く。
(中略)
一行がオズの魔法使いに再会した時、トトが王座の隅のスクリーンを倒してしまうと魔法使いが現れる。
彼は平凡な老人の詐欺師で、だいぶ前にネブラスカ州オマハから気球でオズにやってきたと申し訳なさそうに語る。
魔法使いはカカシに糠、ピン、針を詰めた頭を、ブリキの木こりにはおがくずを詰めたハート型の絹の袋を、臆病なライオンには勇気が出る薬を与える。
彼らは魔法使いの力を信じているため、これらをもらって喜ぶ

・・・「ライオン・案山子・木こり」は、オズから魔法をもらう前に「勇気・知恵・ハート」を発揮している。
元々魔法を持たないオズは、この3人に偽物の魔法で自信を与えたにすぎない。まさに「プラシーボ効果」だ。

 次のサイトでは、3人は既に「「勇気・知恵・ハート」を持っているのだが、自信を持たせるためにオズが手を打ったと説明している。

◆オズは、かかしが賢く、木こりに心があり、ライオンが勇敢なことを知っていたので、彼らの願いを聞く必要はないと思いましたが、3人は願いを叶えてくれと聞き入れません。
そこでオズは一計を案じ、彼らに作り物の脳みそや心を与えて、自信を持たせてあげました。
いまだオズの魔法を信じている3人は、オズが願いを叶えてくれたことに満足し、自分たちの脳みそ、心、勇気にすっかり自信を持つようになりました。
http://karakuchi-info.net/education/novels/oz/

◆しかし、オズの魔法使いはカカシ、ブリキのきこり、ライオンに、欲しがっているものは、もうすでに持っているということに気づかせてあげます
3人に足りないのは、知恵、心、勇気ではなく、それらを自分が持っているという自信でした。
オズの魔法使いはそれを目に見える形にして与えたことで、自信を与えたのです。
http://akinori-entame.net/wp/2016/08/15/oz/

・・・自分が持っている長所、自分が獲得した長所なのに「まだまだ自分には足りていない」と思えることは多い。
自分の長所に無自覚なのはもったいない。
 だから、暗示的なアドバイスでもいいから、第三者がうまくその気にさせてあげたい。「オズの魔法使い」には、そんなメッセージもあったんだな。

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August 04, 2017

「わたしのふつうはあなたと違う」

Photo

愛知県の人権啓発ポスターが、職員室の入り口扉に掲示してある。
 いい内容だなと前から気になっていた。
 漫画仕立てになっていて、教室内で次のような会話が交わされる。

「ひとりだけ丸がり頭だ~!」
「仲間外れだ~」
「でも、あなただってひとりだけ左利きよね」
「きみはひとりだけメガネだよね」
「そういうわたしは、太ってるわ」
「僕は背が低い」
「ほんとだ みんな違うじゃん!」

「わたしのふつうはあなたと違う
 それをわたしたちのふつうにしよう」

http://www.pref.aichi.jp/soshiki/jinken/281118.html

・・・「みんな違ってみんないい」という金子みすずの詩と共通する世界観だ(正確にはちょっと違うけど)。

わたしと小鳥と鈴と

わたしが両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥はわたしのように、 地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴はわたしのように、 たくさんなうたは知らないよ。

鈴と、小鳥と、それからわたし、 みんなちがって、みんないい。」

・・・ネットで検索してみると、人権啓発ポスターは、全部で7種類あることが分かったし、結構注目されていることが分かった。
 中でも、このポスター(1)は、分かりやすくていいなあと思う。

 君にはこんなマイナスがあるね。
 そういうあなたにもこんなマイナスがあるね。
 あれ? じゃあ、どれもちっともマイナスじゃないじゃん。

 自分たちがひけめに感じていることが、何でもないことを笑いあえたら、すごく楽になるんじゃないか。
人権意識とは、他人の違いを受け入れることなんだと感じさせるポスターで、この1枚をきっかけに人権啓発の1時間授業を創ってみたい。
ただし、「無断転載はご遠慮ください」とのことです。


※関連サイト

https://feely.jp/57403/
http://grapee.jp/265781/2
http://niko25niko.xyz/jinken

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国語の「抜き出し問題」

 市の夏期研修で、中学校の教科書教材である『盆土産』の模擬授業が行われた。
 少年がどんな気持ちで「えびフライ」とつぶやいているのか読みとる課題で、文章中から心境が分かる箇所を抜き出す作業が行われた。
 
 読解力が「抜き出す力」だけなら、鍛えるのは容易だし、正解に迷うことも少ない。「国語の答えは文中にあるから安心せよ」と言い切れる。

 ただ、実際は「文中にある言葉」だけでは、問いに対応できない。今回の模擬授業で言うと「少年のつぶやきは、期待と不安の2つの気持ちが入り混じっている」とまとめる場合だ。

 大人なら「期待」と「不安」というキーワードが自然に出てくるが、どちらも文中にないワードだ。どうして「期待」「不安」というワードが出てきたのかと聞かれても答えづらい。

 文章中に出てこない「期待と不安」を、当然の正解として提示してしまうと、
「これだから、国語は分からない」
「文章中に答えはあるって言うけど、おかしいじゃん」
ということになる。国語嫌いの要因の1つは「なぜそのワードが出てくるのか分からない」ところにある。受験国語のテクニックの1つに、よく出る抽象語(主題語)を覚え込んでしまうことがある。

 主人公の心境に合うワードを選択肢から選べという設問なら「期待」「不安」に近い概念を選べばいい。
 適切な二文字熟語を2つ書けと言われたら、「二文字熟語」というヒントに合わせて捻出すればいい。
 数学の図形問題でパッと補助線が浮かんでくるのが鍛錬の成果であるように、国語の読解問題で、文中にない適切なワードがパッと浮かんでくるのが鍛錬の成果だ(あえて才能とは言わない)。

 さて、井関義久氏や鶴田清司氏は、読解力を、「解読」と「解釈」に分けた(と記憶している)。

◆客観的に答えが確定できる読みが「解読」
◆主観的な見解を伴う読みが「解釈」


 この定義に沿って考えると、

◆つぶやく際の心境を文中の言葉から抜き出すのが「解読」
◆文中にない「期待と不安」という言葉で括るのが「解釈」

にあたる。

 解釈問題は主観性が強いので、選択肢で出題される場合が多い。
 選択肢なら何とかなるから国語嫌いの子も納得させられるだろう。選択肢を吟味する中で、端的なキーワードの感覚が磨かれると言ってもよい。

 まずは、抜き出し問題に徹底して慣れること。解釈問題を捨てても、解読問題と選択問題だけで、かなりの点数がとれる。
 ただし、そもそも授業者が子どもに「解読」を求めているか、「解釈」を求めているか、その自覚はもって欲しい。

※ちなみに「盆土産」の今回の模擬授業場面は、TOSSランドにも実践があった。

http://www.tos-land.net/teaching_plan/contents/28197
・・・村上氏も模範解答例の中で「これは、土産の中身が正体不明なため、期待と不安の入り交じった気持ちであることを表している」と書いている。

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