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October 15, 2017

ワークライフバランスについて (清書版)

 このところ、何度か「ワークライフバランス」について書いてきたが、いったん清書の形でまとめてみる。

 働き方改革は現代日本の直近の課題であり、学校現場でも80時間・100時間といった超過勤務をどう改善するかが課題になっている。
 部活動と生徒指導にあけくれる中学校では、よく「セブンイレブン」と言われてきた。
 小学校でも、8時前に出勤して6時過ぎに帰るのはまだ早い方で、夜7時でもまだまだ帰れない(帰らない)先生が多い。

 教員の場合、残業手当が欲しくて残業しているわけではないので、まずは残業手当はもらえる業種とは分けて考えないといけない。多くの場合は、残業を命じられたわけではなく、今日の仕事の整理・明日の授業準備のような「自主残業」である。保護者対応が、夜になることも、よくあるケースではあるが。

 その上で、本音で言うと次のようになる。

(1)超過勤務は、時間超過ではなくストレス超過で判断すべき。

 勤務時間が終わったからといって、明日の準備が終わっていなければ、それは多くの結局「ストレスの持ち越し」になる。
 今日の後始末と明日の準備を終えてスッキリして帰宅するから、自宅でもしっかりリラックスできる。熟睡もできる。
 「ドラゴン桜」でも似たような指摘があった。
  やるべき課題があるのに気分転換をしたって、気になって楽しめない。だったら、やるべき課題をきちんとやり終えた方が結局は気分がスッキリできるのだと。
 つまり、定時退勤と残業とどちらが「ストレス」かは、個々によって異なるのだ。
 本校でも、土曜・日曜に自分の都合のいい時間にふらっと出勤して残務整理したり授業準備したりして帰っていく先生が多い。
 学校に来て数時間仕事をして、その方がスッキリするなら、それ残業禁止するよりも、むしろ有用なのだと思う。
 体をむしばむかどうかは労働時間で決められるわけではなく、ストレスを感じるかどうかがなのだ。

(2)好きなことに熱中するなら、いくらでもやっていられるし、それは「ノンストレス」である。

 授業の準備が好きな教師、「よりよい授業を創ろう」と日々励んでいる教師にとっては、それは、まさに「ライフワーク」なのだから、ライフとワークのバランスなど無意味である。
 むろん、根を詰めすぎて体を壊してはいけないが、やりたくてやっているのならそれはノンストレスであり、やりたいことを無理矢理制限される方がストレスになるのだ。
 そのことを、落合陽一氏は、「これからの世界をつくる仲間たちへ」(小学館)の中で、次のように述べている。

◆ワーク・ライフ・バランスが問題になるのは、「好きなこと」「やりたいこと」を仕事にしていないからです。
解決したい問題がある人間、僕だったら研究ですが、そういう人は、できることなら24時間、1年365日をそれに費やしたい。
(中略)ワーク・ライフ・バランスなんて考えたこともないし、その概念自体が僕には必要ありません。P164


 「ライフワーク」を検索していたら、「3つのワーク」が出てきた。
 
〇お金のため、ごはんを食べるために働く  [ライスワーク]
〇その仕事が好きで働いてる          [ライクワーク]
〇自分の使命だと思って働いてる       [ライフワーク] 

https://matome.naver.jp/odai/2139626309369150501
http://menzine.jp/job/raisuwaku5575/

 ライスワークなら、定時退社して自分の余暇を充実させればよい。
 ライクワークやライフワークは、時間を気にせずに没頭していたいのだ。熱中してやり続けている人を無理矢理、退社時間で追い出すのは合理的ではない。
 
(3)いやいや仕事を選んだ時点で、毎日がストレスになる。

 興味のないことを強いられると、たとえ1分でも耐えられない。
 ライスワークを否定はしないが、やりたくもないことを仕事にしている人はいくら定時退社を守ったとしてもストレスはたまる。
 好きで教師をやっていれば、家へ帰ってテレビを見ながらでも「あ、これは授業に使えるな」と思う。
 家へ帰ってまで仕事を考えるなんて、という考えもあるが、教職が「ライクワーク・ライフワーク」で、趣味が「教材研究」なら、四六時中「教材研究」について考えることは楽しいことであって、むしろストレス解消につながる。

 やりたくない仕事を勤務時間の範囲内で無理無理こなしている人と、楽しくて仕方ない仕事に没頭している人を同等に扱うことはできない。 
 あえて言うならば、教師という職業を「ライスワーク」で選ぶとしたら、コスパが悪いからお勧めできないということだ
 超過勤務を大前提にするわけではないが、好きでないとやってられない職業の1つではあると思う。


 とはいえ、実際は授業作りや学級づくり以外の雑務のような処理に時間がかかることが多い。これは誰にとってもストレスになりやすい。おそらく一番のストレスが生徒指導・保護者対応である。
 クレーム処理は企業では専門部署があるくらい手ごわい仕事である。日々の授業準備や子供への応対に追われる若い先生に、さらに保護者対応まで求めるんは、かなり「酷」なのだと思う。
 ドクターXみたいに、医師免許の要らない仕事は「いたしません」と言い切れたら、どんなにストレスフリーだろう。「ここから先は管理職・カウンセラー・警察・弁護士が対処します」と事務的に切り替えることができたら、どんなにストレスフリーだろう。
 たとえば、自主的に土曜日・日曜日に出勤している時に学校に電話がかかってくることがあるし、平日も朝7時、夜7時に電話があることがざらである。
  勤務時間外の電話は当然無視することもできるのだが、場合によっては職員駐車場や職員室の照明を確認して、いると分かっていて電話をかけてくることがあるので、電話拒否はなかなか難しい。
 「業務時間は終了しました」と断れたら、どんなにストレスフリーだろう。
 せめて学校の電話が「着信履歴」と「留守番電話」があれば、余分なストレスはずいぶん削減できるだろう。地区にもよるだろうが、少なくとも春日井市内の学校の電話にはその機能はない。
 また、銀行のように対児童の業務を3時に終えて、5時までは残務整理に没頭できたら、どんなに効率的だろう。

 教師が本来の業務に集中できるような業務改善を進めてほしい。労働環境がブラックなままでは、人材が集まってこないからだ。

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October 11, 2017

ワークと遊びとストレスフル

 「これからの世界をつくる仲間たちへ」落合陽一 小学館は、示唆に富む一冊で、その中の一部に「「ワーク・ライフ・バランス」に関する部分があることは、先にも書いた。
 今回は「超AI時代の生存戦略」落合陽一 大和書房。
 引用では、うまく伝わらないので、自分の言葉でつぎはぎしてしまうことをお許しいただきたい。

(1)超過勤務は、時間超過ではなくストレス超過で判断すべき

 1日中仕事をしても、楽しくてしかたない人がいる。落合氏もその一人で寝るのがもったいないくらいやりたいことが山ほどあるのだと言う。
 自分の仕事を楽しんでいるタイプの人だ。
 仕事が体をむしばむかどうかは労働時間で決められるわけではない。
 落合氏は、そこで「ストレス」という言葉を使う。ストレスを感じるかどうかが大事なのだ。

◆要するに1日中「仕事」や「アクテイビテイ」に従事していても、遊びの要素を取り入れてストレスコントロールがちゃんとできていれば、それでもいい。また、この考え方においては、ストレスのかかる私生活をすることのほうが、会社でストレスレスの長時間労働をするよりも問題で会ったりする。(P33/34)

「ドラゴン桜」でも似たような指摘があった。
 やるべき課題があるのに気分転換をしたって、気になって楽しめない。だったら、やるべき課題をきちんとやり終えた方が結局は気分がスッキリできるのだと。つまりどちらがストレスレスかを行動基準にすべきなのだ。

(2)余った時間を何に使うか。

  面倒なことや危険なことはAIやロボットがやってくれる時代が来たら、人は何をすればいいか。
 余った時間をどう活用すればいいか。

 このところ何回も出てくるワードだが、答えは「好きなことをやれ」である。

 思う存分やりたいことがある人は幸せだが、やることが見つからない人は不幸せである。
 やりたいことを仕事にして熱中できる人は毎日ストレスフリーに生きていけるが、やりたくもないことを仕事にしている人はいくら定時間労働を守ったとしてもストレスはたまる。

 やりたいことを仕事にして毎日熱中できている方が幸せに決まっている。

 落合氏は、ある対談で、秘書を雇って事務的な仕事を任せられたら、自分は今の5倍は働けると宣言し、秘書を雇うことが認められたと言う。

 ドクターXみたいに、自分の仕事以外は「いたしません」と言い切れたら、どんなにストレスフリーだろう。
 でも、ドクターXのポテンシャルを最大限生かしたいなら、誰でもできるような余分な仕事に関与させない方がいいに決まっている。そんなことは分かっているのに、ドクターXに雑務を命じようとする。
 そもそもドクターXにはマネージャーがいて、彼女自身は業務請負については全く関与していない。ただただ自分の大好きな外科手術に没頭できる環境をつくっているのだ。

 仕事と趣味が一体化しているとも言えるし、
 心の底から仕事を楽しんでいるとも言えるし、
 自分が没頭できることを仕事に選んでいるも言える。

(3)「好き」の反対は、「嫌い」ではなくて・・・

 マザーテレサの言葉が云々なんていうことは言わない。
 「好き」の反対は「嫌い」ではなくて、「無関心」。
 「好き」も「「嫌い」も関心が合ったり、関わりがあったりするから生じる意識。
 そもそも関心を持たなかったら「嫌い」という感覚すら生じないのだ。

 「嫌い」というのも、結構なエネルギーがあって、「嫌いなものを何とかしよう」という強い思いがあれば、世の中の「〇〇嫌い」ために、何か改善案をもたらすことができるかもしれない。

 だから「興味がない・関心がない」という人が一番困る。何をやろうにも取り掛かりがないし、成果をあげられないので、ストレスがたまってしまう。

 先に「好きなことをやれ」と主張したが、「嫌い」を含めれば「興味・関心のひかれるものをやれ」となる。
 
 好きなことを成し遂げるための「困難」なら、人は結構耐えられる。
 興味のないことを強いられると、たとえ1分でも耐えられない。

 人は機械と違って、気分によって作業成績が大きく左右する。
 「いい気分」で作業できるよう、自分の環境は自分できちんと調整でき子を育てていきたい。

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