(data)
英単語が分からないと理解が進まないことが多くなってきた。
理由付け(warrant)(reasonng)
根拠(evidence)
事実(data)
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実際、現在の国語教科書を見ても、「根拠」と「理由」は同じような意味で使われている。しかし、英語ではその違いは明らかである。
「根拠」とは、誰が見ても明らかな証拠資料(客観的な事実・データ)のことである。書かれたテキストにおける文・言葉、グラフや図表に示された数字、絵や写真に表されたものなどである。自分が経験した事実は、いくら自分しか知らないことで、第三者が確かめようがないからである。
次に、その根拠がなぜ主張をささえることになるのかことになる、どうしてその証拠資料からその主張ができるのかを説明するのが「理由」である。言い換えると、主張と根拠をリンクさせるのが「理由」の役目である。根拠となる事実やデータをあげるだけでは、論証にならない。
(中略)
論理的思考力・表現力の育成にとって、「理由づけ」は最も重要であるが、最も困難な課題でもある。実際、先のデイベートの例にかぎらず、「根拠」はあげることができて「理由づけ」がうまくできない子どもたちが多い。
「論理的思考力・表現力を育てる三角ロジック」P17/18
鶴田清司著 図書文化
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◆「ごん」が主役です。なぜなら題名が「ごんぎつね」だからです。
題名が「ごんぎつね」であることは「事実」であるが、事実を示しただけでは理由づけはならない。なぜ題名になっていると主役なのかの説明がないからだ。
「先生が言ったから」「教科書に書いてあったから」も理由付けになっていない。先生が言ったから・教科書に書いてあったから正しいとは限らないからだ。
とはいえ、日本語の「根拠」と「理由」は紛らわしい。自分も、一瞬迷ってしまう。
三段論法で言うなら
(1)題名になる登場人物は主役である。
(2)題名が「ごんぎつね」である。
(3)だから「ごんじつね」の主役は「ごん」である。
が成り立つ場合、(2)が根拠であり、(1)が理由付けとなる。
(1)は「大前提・主に普遍的な法則」と言われ
(2)は「個別の事実」と言われる。
(2)だけ提示して(1)を言わないのは、当事者にとって、(1)が当たり前すぎて論じるまでないと思えるからだ。
「だって、題名なんだから当然でしょ」
「だって、教科書に書いてあるんだから当然でしょ」
といった具合。
水戸黄門の印籠を例にとってみると分かる。
「この紋所が目に入らぬか」と言われて「はは~」となるのは、相手が印籠の意味を知っていることが前提である。
もし、相手が印籠の意味を知らなければ何の効果もない。「だから何なの?」と言われておしまいだ。
異文化交流が進むと自分の常識が通用するとは限らなくなる。
だから(1)については一般常識だと思っても念のため補足した方がいい。知らない人を説得することを想定して大前提・普遍的な法
則についても補足した方がいい。
「理由」と「根拠」は別概念であるときちんと教えるべきなのだ。
だから、自分の示した基本構造図でが「前提」としてある。
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