羽生選手の言葉 ~ささいな言葉に人柄が出る~
(1)金メダリストの羽生選手は、そのコメンもすばらしくて、人々を魅了する。
たとえば、スポーツライターの青島健太氏が、次の言葉が取り上げていた。
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乱暴を覚悟で敢えて言えば、彼のコメント(考え方)はどんな時でも、以下の2軸で成り立っている。
◾他者に対しては寛容で、常に感謝の念を抱いて発言する
◾自分のことに関しては、揺るぎない自信を持つと同時に安易に評価しない
羽生結弦のそうした価値観と姿勢が見事に出たのは、次のコメントだろう。男子シングルの開幕を翌日に控え、記者に日本選手団「金メダル1号」の重圧について聞かれた時の返答だ。
羽生結弦は、言った。
「誰が取ろうが、僕も取ります」
私は、この言い方に一瞬のうちに魅了された。平易な物言いの中に、強い意志が込められている。
「僕が」でもなく「僕は」でもなく、「僕も」であることが最高だ。
「僕が」や「僕は」には、自分を押し出す強い主張がある。
一方、「僕も」には、過剰な力みや強引さがない。強い思いがありながら、どこかに謙虚さがある。他者の活躍を期待しつつ、僕も頑張りたいという気持ちが素直に表れている。
ここに羽生選手の素晴らしさ(競技への姿勢と考え方)が、見事に出ている気がする。
どんなコメントをするか、どんな話し方をするかは、競技者にとっても仕事をする私たちにとっても、言えば2次的なものだ。まずもって大事なのは競技におけるパフォーマンスであり、仕事の内容そのものだ。
しかし、その自分を向上させてより良い選手(人物)になっていくためには、何を考え、どんなことを口にするかということが重要になってくる。
なぜなら、その人の話やコメントは、その人の内面そのものだからだ。輝かしい五輪連覇は、「コメント力がもたらした」などと言う気は毛頭ない。それは、彼の人間性と競技力そのものの成果だ。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/122600093/022300057/?P=3
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ささいな言葉にも人柄が出る。
羽生選手のコメントは、他への配慮と自分への強い自信とを併せ持つすごいものだが、一瞬に出る言葉だから、日頃の思いが結実されたものだと言える。
まさに「流れ星の願い事」みたいなものだ。いつどこで聞かれても答えられる内容は、日々の強い思いの現れなのだ。
青島氏が書いているように、どんなコメントをするかは、本業からすれば2次的なものだ。仕事の成果が最優先されることは当然である。
「しかし、その自分を向上させてより良い選手(人物)になっていくためには、何を考え、どんなことを口にするかということが重要になってくる。
なぜなら、その人の話やコメントは、その人の内面そのものだからだ。」
(2)昨年のことになるが、児童会選挙の立会演説会で、ある子の言葉が印象に残っている。
「私は今まで執行委員(児童会役員)は無理だと思っていました。
でも何事もやってみなければ変わらないと思い、立候補しました」
・・・「やってみなければ分からない」だったら何もひっからなかった。
「やってみなければ変わらない」だったので、心に響いた。
その通りだ。
「やってみなければ変わらない」の精神を大事にしたいと、児童に教えられた一場面だった。
よいコメントを言おうと言葉を磨くのは本末転倒で、コメントの背景となる人間力(生き方)そのものを磨くことが大事なんだと思う。
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