国語科と数学科のコラボレーション
大日本図書の「中学校 教育フォーラム2015年秋号」の中に次の記事があった。
http://www.dainipp
on-tosho.co.jp/newsletter/kyoiku/pdf/j15autumn.pdf
◆日常の「説明」と数学の「証明」 近藤裕(奈良教育大学准教授)◆P18/19
冒頭、朝日新聞の記事からの引用がある。
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「泣いたり騒いだりせずに自分を説明し、相手を説得するには論理しかない。算数・数学はそれを学ぶものです」
数学者新井紀子氏の言葉
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相手を説得する・納得させるために必要なのが「論理」である。
それは国語ではなく算数・数学で教えられるのだと数学者は言う。
確かに「証明教育」は数学のジャンルだ。
しかし、国語を読解したり、相手に伝えるにも「論理」が必要なのだから、数学と国語はきちんとコラボしていかないと犠牲になるには子供たちだ(証明教育に熱心なインドがIT大国であることを考えれば、証明教育や論理指導の軽視は国家的なの損失とも言える)。
数学で「証明」を学ぶ意義について、前掲書では次のように紹介している。
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「まず、証明の述べ方がていねいになり、使われる論理が厳密になってこよう。なぜなら、他人がどう考えるかに無関係に、要素を残らず見落とさないように拾い上げることが大切なことであるので、読み人に補って読んでもらうという甘えが許されなくなるからである。」
(中略)
数学を学ぶ目的の1つの側面に、「数学は、公理を前提として論理だけに従って考えることができ、他人の考えや権威によって判断する必要がない。このような数学の特質は、自らを律しながら考えたり批判的に考えたりするということに有用である」(長崎ら2007)という点があります。
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・・・まさに「数学愛」にあふれた文章であると思う。
でも、その論理の指導や証明教育の意義を「国語」にも背負わせてほしいと思う。国語科にも「公理を前提として論理だけに従って考えることができ、他人の考えや権威によって判断する必要がない」という側面があるはずだからだ。
「分析批評」や「科学的な読み」「言語技術教育」の提唱、宇佐美先生のような「論理的思考」の提言などを踏まえれば、論理の指導は国語科にとって必須事項である。文科省だって、ちゃんと「論理思考・ロジカルシンキング」の重要性について書いている。
特に「テスト」の正解は、論理的整合性によって導かれなければならない。
国語の指導に数学的な要素(つまり「論理的思考」「プログラミング的思考)を加えないと、テストのような客観的な読解力をつけられない。
そのような意識で、国語科の指導を整理していきたい。
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