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March 31, 2018

教え方セミナー 春日井会場 4月8日(日)

1 日 時 平成30年4月8日(日曜)
  午後14時00分~16時30分(13時45分受付)    
2 会 場 :高蔵寺ふれあいセンター
(JR高蔵寺駅より徒歩5分・駐車場有り)
3 資料代 :1000円(学生500円)
4 主 催 :TOSS春日井                       
5 後 援 :春日井市教育委員会

                     
6 予定講座
 ◆学習規律・学習技能の習得を体感する模擬授業
 ◆「主体的対話的で深い学び」をめざす模擬授業
 ◆教材・教具の実演
 ◆子供を掌握し、統率するためのヒント       

 ※申し込み先    vzb17067@nifty.ne.jp (竹田)

  「授業力」はライブ体験がないと上達しない
明日の授業に役立つ「TOSSランド」(http://www.tos-land.net/)をご存知ですか?
TOSSランドは、教師専門のポータルサイトで、明日の授業で使える毎時間の授業案・子どもが熱中する学習ゲームサイトなどのコンテンツが満載です。
もちろん、TOSSランド以外にも、様々なサイトや書籍を見れば、授業案をたくさん手に入れることができる時代です。
しかし、授業のリズムとテンポ、こまやかな教師の対応(声の調子や表情など)は、授業案を見ただけでは分かりません。
文部科学省委託事業「若手教員の授業力構成要素の抽出とその向上手法の研究」では、「基本的な授業力を構成する要素」として、次のスキルを抽出しています。
①あたたかな表情 ②子どもへのアイコンタクト ③クリアで明るい声 ④心地よいリズムとテンポ
⑤教師の立ち位置や動線 ⑥子どもへの対応・応答 ⑦明確な発問と指示 ⑨授業開始局面での流し方
⑩余分な言葉の削除 ⑪授業の組み立て ⑫その他
教え方セミナーでは、主に若手の先生を対象に、授業の基礎基本(授業力の構成要素)を模擬授業の形でお伝えしています。
子どもを熱中させる授業の秘訣・クラスを統率し、安定させる秘訣などについて、一緒に勉強していきましょう。

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本気度は、スローガンでは測れない

  市内のある学校新聞で、イチローの言葉が引用されていた。

◆「人の二倍三倍努力するのは無理」

 これは、これまで見聞きしたイチローのイメージとは違うのでググってみた。
 2016年イチローが野球大会で子供たちに語った一節だ。

===============
(前略)イチローは人の2倍も3倍も頑張っていると言う人が結構います。でも、そんなことは全くありません。
 人の2倍とか3倍頑張ることってできないよね。みんなも頑張っているからわかると思うんだけど。頑張るとしたら自分の限界…自分の限界って自分で分かるよね。その時に自分の中でもう少しだけ頑張ってみる。ということを重ねていってほしいなというふうに思います。
 (中略)人との比較ではなくて、自分の中でちょっとだけ頑張った。そのことを続けていくと、将来、思ってもいなかった自分になっている。と僕は思うし、実際、僕だってメジャーリーガーになれると思っていなかったし、アメリカで3000本打てるなんてことは全く想像が当時できなかったんだけど、今言ったように、自分の中でちょっとだけ頑張ってきた。それを重ねてきたことで、今現在(の自分)になれたと実感しているので、今日はこの言葉をみんなに伝えたいと思います。
https://full-count.jp/2016/12/23/post54179/2/
=================^=

 いきなり目標のハードルを高く設定しても長続きしない。
 目の前のちょっと高めの目標を次々にクリアしていくことが成功の近道ということだと捉えるなら、それは「発達の最近接領域」の概念と重なってくる。
 「できるかできないか」くらいの課題レベルが有効だというものだ。
 なるほど、人の2倍3倍はがんばれないよね。この言葉によって解放されて安心できる人もいたのではないかな。
 努力しなかった人がこんな風に語っても、それは自己弁護にしかならない。
 小学校時代365日中360日は練習したと断言するイチローならではの含蓄のあるメッセージだ。
  逆に平気で「2倍3倍がんばる」と口にする人は信用ならんということでもある。

 https://retu27.com/blog-entry-629.html

  さて、このイチローの言葉とリンクするのが、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏の『生涯最高の失敗』に出てくる次の言葉。P210

===============
(前略)はじめから200%をねらっても、それでは失敗ばかりしますから、もう少し手軽な、110とか120%あたりをめざしてみる。それなら、たとえ目標を達成できなくても、ちょっと高望みしたから仕方がないな、と考えることができて、あんまり落ち込まないですみます。
 ところが、120%だとたまに、できてしまうことがあります。そのような経験を積み重ねていくと、いつもまにか、120%があたりまえになります。それを繰り返していくと、120%から150%、200%へとどんどん伸びることだってできる。(後略)
===============
  
 1.2×1.2×1.2×1.2=2.0736だから、120%を4回積み重ねれば200%になるという計算でもある。
 
 この章のタイトルが「まず、120%まで積み上げる」

 はじめから200%をねらっても失敗する、という警告は、イチロー言葉と重ねて肝に銘じたいきわめて現実的なアドバイスである。

 さて、ここまでは、一般的な「努力有用論」

 ここからは、やや懐疑的な「努力有用論」。

 田中耕一さんは大学の専門が電気工学である。
 その田中さんが専門外の化学の分野でノーベル賞を取ったんだから、誰にだってチャンスがあるというのは極めて強引な理屈である。

◆私だけではなく、私のチームの五人は全員、化学の出身ではありません。同僚たちも私と同じように、化学については自力で勉強して、ひとつひとつ問題を解決していかなければならなかったのです。一方で、化学の専門家ではなかったからこそ、「分子量一万の試料のイオン化」という、当時としてはあまりに大胆な計画を立てられたのだと思います。(中略)
 私は、専門知識を持つのは、とても大切なことだと思います。私自身は、大学で電気工学を勉強しましたから、ひととおりの知識は持っているし、いまでも興味を持っています。
 仕事上の必要があって回路の設計をしたり組み立てたりするのに、専門知識はとても役立ちます。でも、もう少しべつのところでものを考えることも、私は大事にしたいのです。 (前掲書P123~124)

 これは田中さんの謙遜を含めた主張である。
 いくら化学の専門家でないとはいえ、「急速に試料の温度を上げるとイオン化できる」というもくろみに沿って毎日実験を繰り返すだけの知識とスキルがあったのだから、そこは、ド素人とはわけが違う。

 マラソン金メダリストの高橋尚子選手の「あきらめなければ夢は叶う」という言葉も要注意である。
 彼女の「あきらめなければ」の前提には、極めて過酷なトレーニングがある。
 多くの選手は、彼女と同じ練習量をこなせない。
 「あきらめない」と口にするだけでは、夢はかなわない。具体的な行動がなければ、夢はいつまでも夢のままだ。
 
 2012年12月6日放送の「カンブリア宮殿」は、カト―プレジャーグループ社長加藤友康氏の特集だった。

①渋谷で店を開く時は朝昼晩と渋谷に足を運んだ。
②うどん店(つるとんたん)を開く時には、1日に12件でうどんを食べた。
③懐石料理を1日に2.5回完食する。
④ホテルを開くために1000回はホテルに泊った。

 このような加藤氏を取材した村上龍氏は「死ぬ気でやるっていうことは具体的なことだ」と述べている。
 加藤社長が、日本一のホテルを作る自信があると言い切るのは、それだけ数多くのホテルを回っているからだ。
 店に入ったら、味の良し悪しや売上までだいたい分かると言い切るのは、それだけ数多くの店を回っているからだ。

 番組最後に、村上龍はこう述べていた。
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/20121206.htm...

=================
 意識や理性のさらに奥にある無意識の領域まで情報を探らなければ、考え抜くという行為は成立しない。
 それは決して楽ではない。
 だから、たいていの人は「考えているつもり」というレベルで満足してしまい、画期的なアイデアなどとは無縁のまま人生を終える。
 加藤さんにとっては、「徹底的に考え抜く」のは、特別でも何でもなく、ごく自然で、当然の行為なのだろう。
 だから番組ではあえて言及しなかったのだ。
 不敗神話は、奇跡ではなく、考え抜くことによってのみ、生まれる。
=======================

 「量質変化」は、「技(わざ)化」とセットになっている、
 無意識にでも体が反応するほどに、量をこなすこと・情報を入力すること。そこに「死ぬ気で」と言われても、結局「死ぬ気で」という言葉が空虚になることが多い。

◆たいていの人は「考えているつもり」というレベルで満足してしまい、画期的なアイデアなどとは無縁のまま人生を終える。

という村上氏の言葉は、次のようにトレースできる。

◆たいていの人は「やったつもり」というレベルで満足してしまい、画期的な仕事などとは無縁のまま人生を終える。

 「人の2倍3倍努力する」「絶対にあきらめない」「死ぬ気でやる」といった言葉だけではあてにならない。
 
 「自分は50回やった」といくら自慢しても、「自分はたった100回です」と謙遜する人にはかなわない。
 
 本気度は、まさに具体的な「数」に表れる。

 むろん、いくら「一万回のルール」があるからといって、質を問わずに「1万回」という数字だけを取り上げても意味はない。
 「上達」は「量×密度」である。とにかく客観的な評価が難しいのだ。

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March 06, 2018

道徳で議論すべきなのは、第三層のレベル

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 「考え、議論する道徳の授業へ」ということで、島恒夫氏が「氷山のイメージ」を示している。(「どうとくのひろば」N19 日本文京出版)。私なりにまとめてみると以下のようになる。

(1)道徳の時間は、表面に現れた状況を理解するための問答をしているだけではいけない。
(2)場面状況の奥に潜む人物の感じたことや思ったことを考える必要がある。ただし、登場人物の心情理解に偏った授業ではいけない。
(3)「登場人物が感じたことや考えたこと」の話し合いに終始せず、その奥にある「道徳的価値に対する感じ方や考え方、生き方」に授業の焦点を当て、みんなで考えることが大切だ。

 先日の静岡セミナーでは「星野君の二塁打」という道徳資料を元にして「議論する道徳・気持ちを問わない道徳」の意義の解説がされた。
 「星野君の二塁打」は、監督のバントの指示を無視してヒットを打った星野君の行動の是非を問う資料で、十分な盛り上がりが予想できる。

◆星野君の行動は正しいのか、自分が星野君だったらどうするか、
◆星野君をレギュラーから外した監督は正しいか、自分が監督だったら星野君をどうするか

などなど、いくつかのアプローチがあり得る。

 モラルジレンマ資料などで話し合いが盛り上がっている授業に対して、やっかみを含めて「何のために話し合いをさせているのか。子ども達の道徳的価値は深まったのか」といった批判をされる場合がある。
 ほかっておけばいいと言えなくもないが、批判の言い分をしっかり聞くことも大事な戦略である。


 「Aすべきだったか、Bすべきだったか」「自分ならAかBか」という選択型の問いに対して活発な意見が出ることは分かる。
 それが、ただ「バントする」「ヒットを打つ」という行為の言い合いになるだけなら、それぞれ理屈があるから堂々巡りになる(むろん堂々巡りでかまわない)。
 だから、例えば

「バントをする」は「指示を守る」
「ヒットを打つ」は「自分を主張する」

のように抽象化していくと、話が具体例から道徳の本質論に迫れる。
  また、「なぜそう思うか」の双方の理由をしっかり聴き合い、比較検討する中で、

「勝てば、それでいいのかな?」
「そもそも何のためのルールなのかな?」
「結果がよければ、それでいいのかな?」
「おかしいと思うルールでも守らねばならないのかな?」
「指示通り動くだけで強いチームはできるのかな?」
「責任をとるってどういうことなのかな?」
「チームプレーって、どういうことなのかな?」

といった新たな問いかけと新たな議論に発展しないと「議論が深まった」とは言えない(と主張する人もいる)。
 最後に感想を書かせる際も、相変わらず「僕ならバントする」とか「ヒットを打つ」とか書いているだけでは、1時間の変容があったとも思えない。
 最後の感想が、授業前半で提示したAかBかに終始しないように方向付けする教師の力量が求められる。
 それが、新たな問いを促すゆさぶり発問であり、追加資料の提示である。「そもそも〇〇って何だ」と言った価値内容を考えさせたい。
 私なら、「松井秀喜選手の4連続敬遠」を示して、ルール順守について考えさせたい。
 4連続敬遠という新たな情報を示せば、最後の感想では「バントする・ヒットを打つ」といった授業前半の2択から離れられるはずなのだ。


 今の国語教育では、あまり「主題指導」が言われなくなった。
 かつては、その話し合いで主題に迫れるかどうかが、よく問題視された。自分が書いているのは、この「主題に迫る話し合い」と同じ意味である。
  主題に迫らなくたっていいじゃん、という立場もあり得るが、主題に迫るかどうかを基準に物を言う人もいる。そのような立場もあることを十分承知して、自分ならどう答えるかを準備しておくとよい。

 さて、日本文教出版の冊子「どうとくのひろば」17号に、島恒生氏監修の「どうとくマンガ」があった。
 先に示したのと同じ「氷山の図」を使って、「考えが深まる授業」の在り方を提案している。

 マンガの中の道徳の授業は、規則を破る主人公が守らねばと思い直す資料だと思われる。

T「主人公は最初どんな思いで始めたのだろう」
C「少しならいいかなっていう思い」
C「軽い気持ち」

T[主人公はなぜ、規則を守ろうと思ったのだろう」
C「きまりは守らないといけないと思ったから」
C「これではだめだと思ったから」

と展開し、教師が、主人公は「『きまりは大切だ』と考えが変わったんだね」と結んでいく。

 この授業展開について

×登場人物の考えの変化を追っているだけ
×「きまりは大切」なんて生徒は最初からわかっている

といった批判を示している。

 状況を問うだけ、心情を問うだけでは、一見盛り上がっても、道徳的価値が深まったとは言えないので、

◆「規則は固すぎる」「規則は固くなければならない」という考え方の違い

を問い、「規則とは何か」や「なぜ規則が大切なのか」という「道徳的価値に対する考え方や感じ方、生き方」に触れさせることが大事なのだとしている。

 この指摘は、監督の命令を遵守すべきかどうかで意見が分かれる「星野君の二塁打」にも適用できる。

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 生徒の考えが深まる授業にするためには「道徳的価値に対する考え方や感じ方、生き方」まで考え合うようにしましょう
===============

と言われても、決して簡単ではない。
 でも、そこを目指さないと議論が深まる道徳にならないというのが、指導要領解説道徳編作成協力者、島恒生氏の見解である。
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March 04, 2018

「道徳」のとらえ方

(1)総合単元的な道徳 
 道徳の時間を柱に、各教科や特別活動をリンクさせて、あらゆる教育活動の場で、子どもたちの道徳性を育むという考え方。

(2)全校道徳
 全校集会を用いるようなスタイル。人権集会の際の校長講話や児童会の劇なども、これに含まれる。
「あの時、みんなであの話を聞いたよね」と共通理解できる。

(3)ローテーション道徳(学年道徳)
 学年集会で一斉に授業をする形もあるが、ローテーションは1人の先生が準備した授業を各クラスで行脚するスタイル。研究授業のサブ授業・プレ授業などではよく行われる。
 1つの授業を何回か繰り返すと完成度が上がるし、お互いに授業交換すればいいので、先生の授業準備の時間を減らすことができる。
 むろんこれからは「評価」が大事になるので、まとめの感想や板書の記録、主だった発言者の記録等を担任に渡しておくような約束事が必要になる。

(4)ミニ道徳
 先に書いたので、省略する。


  なお、 (1)から(4)は、カテゴリーが異なるので並列しません。

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「ミニ道徳」のすすめ

 「ミニ道徳」というワードを知ったのは、2年前に愛知教育大学の鈴木健二氏の話を聞いてからだ。
 45分の授業準備が大変だと思うと、道徳の時間そのものが敬遠されてしまう。ならば、短くていいから道徳の授業実践をきちんと積み上げようという意味合いだった。

 昨年の教え方セミナーの講座の中にも「ミニ道徳」を入れた。
 次のような趣旨であった。

◆5分で語るミニ道徳
 教師の長話は、成果が上がらないことがあります。5分程度で語る人物エピソードや最先端の話は子どもの印象に残ります。
 道徳の最後の説話、朝の帰りや帰りの会の先生の話、すきま時間のおしゃべりなど、5分の語りのストックがあると、子どもは先生の「お話しタイム」が大好きになります。

・・5分あれば、かなり中身の濃い話ができるという判断だ。

 さて、道徳指定校である愛知県蒲郡市西浦小学校の取組の様子が教育新聞(愛知県版3586号)に掲載されており、その中に「3分間道徳」の記載があった。

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 普段から道徳的な教材探しに取り組み、地域教材に限らず、それらを用いて「朝の会」など日常の短い時間の中でも道徳性を養っていく。道徳教育は学級経営であると考え、子供の道徳性を日々養い、教師の力量を高めるためにも、3~5分間のミニ道徳の積み重ねが大切であると考える。
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 「道徳的な話」と言うとハードルが上がってしまうから「心に残った話・ちょっといい話」でかまわない。
 ミニエピソードを子どもに日常的に語れたら、1年の蓄積は大きいだろうなと思う。
 特にオリンピックは「ちょっといい話」の宝庫である。情報収集のビッグチャンスである。

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March 02, 2018

羽生結弦の流儀「芸術は絶対的技術に基づいたもの」

◆「技術的なものが発達しすぎると芸術性が足りないと良く言われる。ただ、バレエとかミュージカルとかの芸術は正しい技術、徹底された基礎、表現力がないと(成り立たない)。すべてにおいて正しい技術を使い、それを芸術として見せることが一番大切なことだと思っている。

http://www.hochi.co.jp/sports/winter/20180227-OHT1T50092.html


◆難しいジャンプを跳べば跳ぶほど、プログラム全体の芸術性が失われていくのでは、という意見もある。だが、羽生自身にとっては、高い技術と芸術は表裏一体のものだという。「もし、羽生結弦が4回転半、5回転を入れた場合は、それを確実に表現の一部にします。僕のスタイルは、そこ。僕がフィギュアスケートをやっている理由はそういうところにほれ込んだから。難易度と芸術のバランスは、本当は無いんじゃないかなと思います。芸術は、絶対的な技術に基づいたものであると僕は思っています」。
(中略)
 磨かれた技術が高度なジャンプにつながり、それが結果として美しい芸術になる。ルールに関係なく貫かれている羽生の美学が披露された。


・・・金メダリストの言葉だから重みがある。
 
 技術あっての芸術
 基礎技術あっての創造
 簡単な技術の積み重ねの上にある難度の高い独創性

 いろいろ考えさせられる。

教育 | | Comments (0) | TrackBack (0)

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