羽生結弦の流儀「芸術は絶対的技術に基づいたもの」
◆「技術的なものが発達しすぎると芸術性が足りないと良く言われる。ただ、バレエとかミュージカルとかの芸術は正しい技術、徹底された基礎、表現力がないと(成り立たない)。すべてにおいて正しい技術を使い、それを芸術として見せることが一番大切なことだと思っている。
http://www.hochi.co.jp/sports/winter/20180227-OHT1T50092.html
◆難しいジャンプを跳べば跳ぶほど、プログラム全体の芸術性が失われていくのでは、という意見もある。だが、羽生自身にとっては、高い技術と芸術は表裏一体のものだという。「もし、羽生結弦が4回転半、5回転を入れた場合は、それを確実に表現の一部にします。僕のスタイルは、そこ。僕がフィギュアスケートをやっている理由はそういうところにほれ込んだから。難易度と芸術のバランスは、本当は無いんじゃないかなと思います。芸術は、絶対的な技術に基づいたものであると僕は思っています」。
(中略)
磨かれた技術が高度なジャンプにつながり、それが結果として美しい芸術になる。ルールに関係なく貫かれている羽生の美学が披露された。
・・・金メダリストの言葉だから重みがある。
技術あっての芸術
基礎技術あっての創造
簡単な技術の積み重ねの上にある難度の高い独創性
いろいろ考えさせられる。
「教育」カテゴリの記事
- 行動を価値づけする(2024.09.12)
- 人々が画一化しないために(2024.09.08)
- 「原爆裁判」については、ほとんど知りませんでした!(2024.09.06)
- パラリンピックの理念(2024.09.02)
- 先生が子離れしないと、子どもは自立できない。(2024.09.02)
Comments