道徳で議論すべきなのは、第三層のレベル
「考え、議論する道徳の授業へ」ということで、島恒夫氏が「氷山のイメージ」を示している。(「どうとくのひろば」N19 日本文京出版)。私なりにまとめてみると以下のようになる。
(1)道徳の時間は、表面に現れた状況を理解するための問答をしているだけではいけない。
(2)場面状況の奥に潜む人物の感じたことや思ったことを考える必要がある。ただし、登場人物の心情理解に偏った授業ではいけない。
(3)「登場人物が感じたことや考えたこと」の話し合いに終始せず、その奥にある「道徳的価値に対する感じ方や考え方、生き方」に授業の焦点を当て、みんなで考えることが大切だ。
先日の静岡セミナーでは「星野君の二塁打」という道徳資料を元にして「議論する道徳・気持ちを問わない道徳」の意義の解説がされた。
「星野君の二塁打」は、監督のバントの指示を無視してヒットを打った星野君の行動の是非を問う資料で、十分な盛り上がりが予想できる。
◆星野君の行動は正しいのか、自分が星野君だったらどうするか、
◆星野君をレギュラーから外した監督は正しいか、自分が監督だったら星野君をどうするか
などなど、いくつかのアプローチがあり得る。
モラルジレンマ資料などで話し合いが盛り上がっている授業に対して、やっかみを含めて「何のために話し合いをさせているのか。子ども達の道徳的価値は深まったのか」といった批判をされる場合がある。
ほかっておけばいいと言えなくもないが、批判の言い分をしっかり聞くことも大事な戦略である。
「Aすべきだったか、Bすべきだったか」「自分ならAかBか」という選択型の問いに対して活発な意見が出ることは分かる。
それが、ただ「バントする」「ヒットを打つ」という行為の言い合いになるだけなら、それぞれ理屈があるから堂々巡りになる(むろん堂々巡りでかまわない)。
だから、例えば
「バントをする」は「指示を守る」
「ヒットを打つ」は「自分を主張する」
のように抽象化していくと、話が具体例から道徳の本質論に迫れる。
また、「なぜそう思うか」の双方の理由をしっかり聴き合い、比較検討する中で、
「勝てば、それでいいのかな?」
「そもそも何のためのルールなのかな?」
「結果がよければ、それでいいのかな?」
「おかしいと思うルールでも守らねばならないのかな?」
「指示通り動くだけで強いチームはできるのかな?」
「責任をとるってどういうことなのかな?」
「チームプレーって、どういうことなのかな?」
といった新たな問いかけと新たな議論に発展しないと「議論が深まった」とは言えない(と主張する人もいる)。
最後に感想を書かせる際も、相変わらず「僕ならバントする」とか「ヒットを打つ」とか書いているだけでは、1時間の変容があったとも思えない。
最後の感想が、授業前半で提示したAかBかに終始しないように方向付けする教師の力量が求められる。
それが、新たな問いを促すゆさぶり発問であり、追加資料の提示である。「そもそも〇〇って何だ」と言った価値内容を考えさせたい。
私なら、「松井秀喜選手の4連続敬遠」を示して、ルール順守について考えさせたい。
4連続敬遠という新たな情報を示せば、最後の感想では「バントする・ヒットを打つ」といった授業前半の2択から離れられるはずなのだ。
今の国語教育では、あまり「主題指導」が言われなくなった。
かつては、その話し合いで主題に迫れるかどうかが、よく問題視された。自分が書いているのは、この「主題に迫る話し合い」と同じ意味である。
主題に迫らなくたっていいじゃん、という立場もあり得るが、主題に迫るかどうかを基準に物を言う人もいる。そのような立場もあることを十分承知して、自分ならどう答えるかを準備しておくとよい。
さて、日本文教出版の冊子「どうとくのひろば」17号に、島恒生氏監修の「どうとくマンガ」があった。
先に示したのと同じ「氷山の図」を使って、「考えが深まる授業」の在り方を提案している。
マンガの中の道徳の授業は、規則を破る主人公が守らねばと思い直す資料だと思われる。
T「主人公は最初どんな思いで始めたのだろう」
C「少しならいいかなっていう思い」
C「軽い気持ち」
T[主人公はなぜ、規則を守ろうと思ったのだろう」
C「きまりは守らないといけないと思ったから」
C「これではだめだと思ったから」
と展開し、教師が、主人公は「『きまりは大切だ』と考えが変わったんだね」と結んでいく。
この授業展開について
×登場人物の考えの変化を追っているだけ
×「きまりは大切」なんて生徒は最初からわかっている
といった批判を示している。
状況を問うだけ、心情を問うだけでは、一見盛り上がっても、道徳的価値が深まったとは言えないので、
◆「規則は固すぎる」「規則は固くなければならない」という考え方の違い
を問い、「規則とは何か」や「なぜ規則が大切なのか」という「道徳的価値に対する考え方や感じ方、生き方」に触れさせることが大事なのだとしている。
この指摘は、監督の命令を遵守すべきかどうかで意見が分かれる「星野君の二塁打」にも適用できる。
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生徒の考えが深まる授業にするためには「道徳的価値に対する考え方や感じ方、生き方」まで考え合うようにしましょう
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と言われても、決して簡単ではない。
でも、そこを目指さないと議論が深まる道徳にならないというのが、指導要領解説道徳編作成協力者、島恒生氏の見解である。
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