東大数学が求める国語力
斎藤孝氏の「数学は国語力」の中に、「数独(ナンバープレース)」の魅力を説く箇所がある(あとがきp227)
◆例えば、「このマトリックスで足りないのは、2、4、7、8で、ヨコ軸に2があるから4、7、8が残る」「もしここに8が入ると、他のマスが二つとも5になってしまうから、8はありえない」。この後者のつぶやきをしている時に、「背理法だなあ、これは」と感じたりして楽しかった。(中略)
数独で数字をはめていく作業の最中に、自分が考えていることをすべて言葉にしていくなら、話し方がとても論理的になる
・・・ウイキペデイアにある「数独」の以下のような解答例は、確かにロジカルである。
◆例題の上端横に伸びる赤い線の左端に5があり、上段右のブロックの上段には5は入らない。
同じく、その下の短い横に伸びる赤い線の左端にも5があり、上段右のブロックの中段には5は入らない。
さらに、下段右のブロックの5のある列も上段右のブロックの5の入る候補から排除する。
上段右のブロックのまだ赤線の引かれていない2マスの内、一つは既に数字が確定しているので、残った緑色のマスには5が入る以外にない。
・・・ 先に「偶然は学習ではない」で次のように書いたこととつながる。
◆行き当たりばったりの試行錯誤ではなく、ある程度の仮説や予測に基づいて試行錯誤させるべきだという意味では、プログラミングを実行させる前段階が大事だということになる。
if-then的な思考が数学の問題を解く基本的な思考過程であることが、数独の解答からもよく分かる。
齋藤氏は、数学の解法の過程を日本語で解説していくことの重要さも書いている。
◆東大入試の数学の問題について何人かの東大の先生が言っているのは、「数学を式ばかり並べて終わりと思っては駄目だ。日本語でしっかり説明する努力をしてほしい」ということでした。(中略)
出題している人や採点する人に自分の解答の中で日本語で説明してわからせる、そういう誰が見てもわかるような解答を書く国語的な表現の力、数学はそれが大事なんだよと言っているわけです。
(中略)
なぜ、その式を立てたのか、なぜ立てられたのかを日本語で説明し、こういう条件なので、こういう観点からこの式が立つ。そうすると、次に考えなければいけないことはこうで、今度は別のこの式が成り立つ・・・そういう具合に日本語で丁寧に問い詰めて説明していく力が要求されているわけです。
・・・ 「自分の解法を説明する数学」と「自分の解釈を説明する国語」は、相手に伝わるような論理的な説法という点ではどちらも同じだ。だから数学を解くのに国語力、国語を解くのに数学力が必要というのは、同じ意味なのだ。
あとがきの言葉が印象的だった。
◆数学は、国語にとって最良のテキストだ。数学のプロセスをすべて日本語で説明してみると、論理的な日本語力が鍛えられるのを感じる。.
また、あとがきP225には、くだらないエピソードの引用がある。くだらないから印象に残って効果的なのだ。
◆「スケベと変態は違うんです。自分はスケベだけど変態じゃない。でも彼はスケベじゃないけど変態なんです」
・・・この状態について、斎藤氏はマトリックスを用いて、
第一象限には「スケベかつ変態」
第ニ象限には「スケベだが変態ではない」
第四象限には「スケベではないが変態」
と、座標軸として図化できるという。
整理する=図式化する=記号化する
よりシンプルに変形させていくことが、数学の魅力ということになるだろうか。
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