分析的な作文は、感情の高まりが必要
向山洋一氏の学級通信「すないぱあ」No16 1977年4月18日号に、跳び箱指導の作文がある。
わずか4.5分の出来事を詳細に作文に表している。
◆先生が「今この飛び箱をとべなかった人、ここにならびなさい」とおっしゃいました。そうすると、下をむきながら、4人出てきてならびました。先生は4人を一回ずつ飛ばせました。4人は飛び箱の上にまたがってしまいました。先生はこんど、飛ぶ人のおしりをおしました。そうすると4人の人は飛べます。こんどは、飛び箱の上にすわって、とぶ形をしてぴょんとおりる事をくり返しました。またやることになりました。私は、目をぱっちりあけ、つばをゴクンとのみこんだ。「飛べた!!」心の中でさけんだ。他の2人も次々にとべました。その3人は、前出てきた時みたいに下をむかないで、もうちゃんと顔をあげ、どうどうと歩いています。私は、先生の方に顔をむけ、やっぱり先生の言ったとおりだなあと思いました。だけど1人とべなかったので、先生はその人を飛び箱にすわらせて飛ばせるのを2回ぐらいくり返しました。先生はうなずき、私はいいんだなと思ってその人を見つめました。「トン」ふみ台の音が強くひびきました。その人は飛べたのです。それもたった4~5分で飛ばせたのです。私はびっくりして、その人と、そして先生に拍手をしました。私は、先生がわたしたちをよい人間にしようとしているんだから、わたしもがんばらなくてはと心で思いました。
・・・始業式から10数日後に跳び箱を跳ばせることは理解できるが、始業式から10数日後にこれほどの描写の作文を何人も書かせることは想像をはるかに超えている。
「すないぱあ」の子どもの作文が、文科省の資料「言語活動の充実 小学校版」の以下の部分とつながった。
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◆なお,論理と情緒とを対立する問題としてとらえられることがあるが,必ずしも適当ではない。
物事を直観的にとらえるのではなく,分析的にとらえることも情緒を豊かにしていく上で有効である。
例えば,単に「わぁー,すごい」という言葉だけで感情表現するのではなく,「何が」「どのように」「すばらしい」のかについて,具体的な表現を用いて相互に伝え合うことにより,より細やかな感性・情緒を実感できるようになる。
このようなことから,感性・情緒に関する指導を行う際,
(1)様々な事象に触れさせたり体験させるようにすること,
(2)感性・情緒に関わる言葉を理解するようにすること,
(3)事象や体験等について,より豊かな表現,より論理的で的確な表現を通して互いに交流するようにすること
が大事である。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/gengo/1300858.htm
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・・・「事象や体験等について,より豊かな表現,より論理的で的確な表現を通して互いに交流するようにすること」が、向山学級の作文に見て取れる。
彼ら彼女らの作文は、情緒的であるが、実に分析的であり、論理的だ。
いや、感情の高まりがあったから詳細に書く意欲が沸き起こったのだと思う。
詳細に書きたくなるような情動を起こした出来事だったからこそ、作文が分析的になった。何とか自分の感動を相手に伝えたいと思うからだ。
さて、これまでの自分は国語科の論理的思考にばかりこだわって追究してきた。
しかし、思わず書きたくなる情動(感情の高まり)がなければ、詳細な文章・分析的・論理的な文章を書かせるのは難しいのだということを改めて学んだ。
内容選定の吟味を抜きに「思考力・判断力・表現力」を高める指導をしようなどと目論むのは甘い。
具体的な場面設定こそが必要なのだ。
かつて、どこかに書いた。
「せんせい、あのね」というのも、話したくてたまらないことを先生に伝えるから作文の中身が豊かになる。無理やり作文を宿題にしたって、豊かな作文を書いてくるはずがないのだ。
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