文学で培う健全な批判精神
光村図書の「国語教育相談室 中学校」87号に、上記タイトル脳科学者中野信子氏の論考がある。
http://www.mitsumura-tosho.co.jp/material/pdf/kyokasho/c_kokugo/kohoshi_c_kokugo_all.pdf
「ゲシュタルト知覚」を持ち出すところが中野氏である。
「ゲシュタルト知覚」とは、よくも悪くも少ない情報を脳が補ってある認知をしてしまうこと。
プラスで言えば、少ない情報から類推して効率的に情報処理できること。
マイナスで言えば、思い込みや早合点をおこすこと。
中野氏は言う。
◆この機能は、人の思い込みや錯誤を招き、誰かの嘘に惑わされるという危うさをも併せもっている。これを回避すべく私たちの脳に備わっているのが、共感、想像、良心、抑制、長期的な展望などの思考をつかさどる「前頭葉」の働きだ。
(中略)
前頭葉が発達していく時期には、その発達を促すような働きかけを行うことが肝要となる。その働きかけとはすなわち、多様な人々に共感したり、他者の心情を読み取ったり、意図を読み取ったりするなどということだ。文学とは、言語によって伝えられた人の思考の、解釈の仕方について議論を交わす領域である。つまり文学こそ、まさに、前頭葉を鍛えるために大きな役割を果たす実学なのだ。
(中略)
前頭葉が未発達な中学校時代には、文学情報から意味を構築する経験を大いに重ねることが重要だ。そして、ゲシュタルト知覚のみにとらわれず、前頭葉を働かせて、この世界には虚構というものがあること、現実には幾通りにもの解釈があることを理解してほしい。
・・・あまりにポイントが多すぎて、ほぼ全文引用してしまいたいくらいだ。ぜひ、じっくり原文を読んでいただきたい。
印象に残ったのは、先日読んだ『脳を創る読書』酒井邦嘉(実業日本社)と重なるところがあったからだ。
ここは引用でなく、自分のまとめで示す(矢印記号が上手く出ないと思う)。
◆脳への入力の情報は、活字→音声→映像と増えていく。したがって、想像で補わねばならない情報量は、逆に、映像→音声→活字と増えていく。
活字の場合は行間を読むような想像力が必要になる。読みようによっては多様な解釈も起きてくる。p16〜20
文学は「ゲシュタルト知覚」を用いて認知されるという中野氏の論考と重ねると、ストンと落ちた。
映像や音声に比べて、活字は情報量が乏しく想像で補わねば全体像が把握できない。それは必ずしも短所とばかりは言えず、とりわけ文学作品を味わう上では、そこが魅力にもなっている。
あいまいだから嫌いではなく、あいまいだからこそ面白いと思える子どもを育成できるよう、想像で情報不足を補うことの楽しさを伝えていきたい。
「国語」カテゴリの記事
- 都道府県の旅(カンジー博士)(2024.08.24)
- 何のために新聞を作らせるのか?(2024.08.23)
- テスト問題の意味を教えないと汎用的な技能が身につかない。(2024.08.22)
- 「対比思考」は情報処理能力(2024.08.06)
- 「おもしろい」を強要するのはなぜか?(2024.08.05)
Comments