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December 19, 2018

間違いを恐れない=正解は1つではない=創造性を育む学級づくり

 1977年向山洋一氏の学級通信「すないぱあ」4月7日号に、次の記載がある。

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 ひとつは教室とは、まちがえる場所だということだ。あらゆる学問は、まちがいの中から発展させられてきた。<自分はできる>と思ったり、<自分はできない>と思っているのは共に錯覚である。どちらにしても諸君が思っているほどではない。

◆黒板に数字を書いて「0(ゼロ)は何を意味するか」を聞いてみた。芝原がさっと手を上げ、他に5.6名いた。芝原に指名すると「何もない事です」と答えた。それをほめ、手を上げたら5.6名を立たせほめた。そして「何故、手を上げない。内心ではそんな事と思ってるんだろう。しかし、手を上げた人と上げない人では天と地ほどの差がある。上げない人は、まちがえたら恥ずかしい、かっこ悪い等とかっこつける事だけ考えていたからだ。天と地ほどの差があるんだ」ときつく言った。
 しかし「ゼロの意味はこれだけではない。思いついた事を何でもいいから言ってみなさい」と言った。名取と伊藤の2名しか手が上がらなかった。名取は「出発点」と答え、伊藤は「0,1,2の0」と答えた。温度計の0度は温度が何もないことではなく、基準である事を話し、その二人をほめた。ゼロはほ他にも意味があるが、省いた。ついでに漢字の「山川」を書き、「読みなさい」と言った所、芝原がさっと手を上げ、4.5名があげた。芝原を指名すると「やまかわ」と答えた。「他にもある」と聞いたが誰一人答えられなかった。「やまかわ やまがわ さんせん」のちがいを説明した。「このように、できるできないといっても差がない。一年生の問題ですらこれなのだ」と話した。「うんとまちがえなさい。まちがいの山をつくりなさい」と言った。
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 「たくさん間違える」と「正解をたくさん考える」は同義ではない。
 しかし、「正解は一つではない」という実例を体感することで、間違いと思っていることが正解だったり、新発見だったする場合もありえることを学んでいく。
 そして、「間違いなんて大したことじゃない」と気楽に構えることを学んでいく。
 
 決まりきった正解しか言えない優等生の存在価値がガラガラと音を立てて崩れていく。
 人と違う意見が褒められていく。
 人と違う発想ができる者が評価を上げていく。

  この「逆転の発想」の講話を始業式の日に仕組む。
  これが41年前の向山実践だ。「そのあと2時間何も手がつかないほど、つかれていた」というほど、周到に仕組んだ出会いの40分の授業であった。

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December 17, 2018

ゼロから新しい価値観を生み出すこと

Elite
先のブログで、アメリカと違って小さなイノベーションが日本には合っていると書いた。
 気になって確かめたら、「ゼロから新しい価値を生み出す人が成功者」を後押しする書がもう1冊出てきた。

「ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち」ピョートル・フェリクス・グジバチ(大和書房)

 グーグル流の仕事術の話題であり、シリコンバレーの話題だから、やはり「ZERO TO ONE」側の発想だ。。
 氏は、かつての三公社五現業のような国が主導する企業・天下り先になっているような企業は危機に瀕していると述べている。1を10にする仕事・既存の仕事を発展させる従来の日本流のビジネスだけでは立ち行かないと言う。「何度も言いますが、要はゼロから1を作るのです」と。

 ところで、ピョートル氏は、ビジネスパーソンを5つの層に分類している。

①変革層
(社会に魔法をかけ、変革を起こす影響力を実際に持っている)

②実践層
(「こうしたら変わるかな」 「やっぱりこうしよう」という実験と
工夫をくり返し実践している)

③変えたい層
(「変えなきゃ」 「どうしたら変われるのかな?」と思いつつも実行力と勇気が足りない)

④気づいた層
(「このままじゃダメだ」 「でもグーグルみたいにはなれないし」
などと、課題を自覚しつつも、半ばあきらめていて行動力も低い)

⑤ゆでガエル層
(現状で満足していて、変化の必要性に気がついていない)

 「このままじゃだめだ」とこぼすだけでは下から2番目のレベルでしかない。
 「ゼロから作らなくてもいいじゃん」「小さなイノベーションでいいじゃん」では、ゆでガエルになってしまうと覚悟すべきなのかもしれない。

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December 16, 2018

2つのイノベーション ~アメリカ型と日本型~

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 2015年度のビジネス書大賞受賞作は、シリコンバレーの起業家、ピーター・ティールによる『ゼロトゥワン 君はゼロから何を生み出せるか』だった。
 アマゾンの商品紹介には以下のようにある。

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新しい何かを作るより、在るものをコピーする方が簡単だ。
おなじみのやり方を繰り返せば、見慣れたものが増える、つまり1がnになる。
だけど、僕たちが新しい何かを生み出すたびに、ゼロは1になる。
人間は天から与えられた分厚いカタログの中から、何を作るかを選ぶわけではない。
むしろ、僕たちは新たなテクノロジーを生み出すことで、世界の姿を描き直す。
それは幼稚園で学ぶような当たり前のことなのに、過去の成果をコピーするばかりの世の中で、すっかり忘れられている。
本書は、新しい何かを創造する企業をどう立ち上げるかについて書かれた本だ。
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◆ビジネスに同じ瞬間は二度とない。次のビル・ゲイツがオペレーティング・システムを開発することはない。次のラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンが検索エンジンを作ることもないはずだ。次のマーク・ザッカーバーグがソーシャル・ネットワークを築くこともないだろう。彼らをコピーしているようなら、君は彼らから何も学んでいないことになる。

・・・マネが得意と言われてきた日本人も、ゼロから何かを創る気概が必要なのだというのが「ZERO TO ONE」の精神だ。

 ただ、「先生、イノベーションって何ですか」伊丹敬之(PHP)を読んで少し考えが変わった。
Ini
 イノベーションには一発ホームランのような「大きなイノベーション」と、こつこつヒットを積み上げるような「小さなイノベーション」があり、どちらにもチャンスはあるので、「大きなイノベーションだけを見るな、と強調する必要がありそうです(P236)」と言う。

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 イノベーションの世界で、インクレメンタル(逐次的)イノベーションとラデイカル(急進的)イノベーションと、二つの種類のイノベーションの区別をすることがあります。逐次的とは、少しずつイノベーションが起きていくことで、改良が進んでいくということです。小さなイノベーションがこのイメージです。急進的とは、一気にジャンプする、不連続なイノベーションで、まったく新しい技術の登場のようなものです。大きなイノベーションのイメージです。
 日本企業は、インクレメンタルな小さなイノベーションをシコシコト積み重ねることが得意だし、このイノベーションは膨大な資源投入は必要ないでしょう。だから、日本に適したイノベーションのタイプ、ということになるでしょう。(中略)大きなイノベーションは、小さなものの中からの突然変異がよくあるんです。
 こうして大きな成果が小さなイノベーションをシコシコやることから生まれ得るのであれば、その技を磨くことにむしろ日本企業は励んだらいい。
 三つのことが大切そうです。第一に、あちこちで、多くの人が小さなイノベーションを目指してがんばること。小さいからといってバカにせずに、努力を惜しまないこと。第二に、それらを積み重ねる、つなげるように心を配ること。ここでは大きな視野で小さなイノベーションをたくさん見ている人が必要でしょう。第三に、大きなイノベーションに育ちそうになったら、そこに資源投入を惜しまないこと。そして、その前提として、大きく育ちそうなものの邪魔をしないこと。P247・248
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 ホンダのオートバイも、トヨタの自動車も、回転寿司のレーンも、繊維産業が盛んな地域の精密な機械づくりのノウハウがあったからこそ成り立った伊丹氏は言う。
 繊維機械の技術の蓄積がなければ、これらのイノベーションはなかったわけで、いつも「ZERO TO ONE」とは言えないのだ。
 ノーベル賞をとるような科学者のほとんどは、決してZEROからひらめいたわけではなく、従来の知見の蓄積とたゆまぬ努力があった。
 「準備ある心の持ち主にのみ、幸運の女神は微笑む」というパスツールの「準備」は、「たゆまぬ努力を続けてきた」という意味であって、漠然と心待ちにしている人に幸運はやってこない。
 そういう意味では、安易にシリコンバレーの企業家が主張する「ZERO TO ONE」という言葉のカッコよさに惑わされてはいけないと思う。
 1冊の書籍でヒートアップしたが、別の書籍に目を通すことで少し冷静になれたといった気分である。
 むろん気持ちを覚まし過ぎると現状維持になってしまうので、常に現状改革の意識はもっていたい。

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最初に実行するから価値がある~「コロンブスの卵」~

 『コロンブスの卵』(Egg of Columbus)の逸話は、「誰にでもできる事であっても、最初に実行するのは至難であり、柔軟な発想力が必要だ」ということを示している。
 「逆転の発想」という意味で今日使われており、「ファーストペンギン」に近い意味もある。。

 我が国の「コロンブスの卵」の説話は、なんと戦前の1921年発行の第3期「尋常小学国語読本」第8巻 第19章に4年生用教材として登場し、1933年からの第4期にも第8巻 第22章に収録されていたそうだ(1941年からの第5期には削除されている)。
 1928年版での記載内容は以下の通り。(一部、表記を変更)

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第十九 コロンブスの卵 (「尋常小学国語読本」より)

 コロンブスがアメリカを発見して帰った時、イスパニヤ人の喜んだことは非常なものでした。
一日祝賀会の席上で、人々がかはるがはる立つて、コロンブスの成功を祝しますと、一人の男が「大洋を西へ西へと航海して、陸地に出あったのが、それ程の手がらだらうか」といつて冷笑しました。
 之を聞いたコロンブスは、つと立つて、食卓の上の「うで卵」(ゆで卵)を取り、「諸君、こころみに此の卵を卓上に立ててごらんなさい」といひました。
 人々は何の為にこんなことをいひ出したのかと思ひながら、やつて見ましたが、もとより立たうはずはございません。
 此の時コロンブスは、こつんと卵のはしを食卓にうちつけ、何の苦もなく立てて申しました。
「諸君、これも人のした後では、何のざうさもない事でございませう」

http://takakis.la.coocan.jp/columbus.htm
===================.

・・・今風に訳すと次のようになる。

 新大陸発見後、コロンブスは祝賀パーティーを楽しんでいた。
 すると彼の成功を妬む男が現れ、心ない言葉を吐きかける。
「たかが西へ進んで島を見つけただけじゃないか。そんな事は誰にでも出来る」
 コロンブスは、テーブルの上のゆで卵を手に取って言った。
「誰か、この卵を立ててみて下さい」
挑戦してみるが、誰一人として卵を立てられない。
 それを見たコロンブスはゆで卵をテーブルにぶつけ殻を凹ませて立たせた。
 そして一言、
「言われてみれば、こんなことは誰にでも出来る。しかし、誰かが成した後では何の意味もない」と返した。

・・・誰にでもできる事であっても、言われてみれば当たり前のことであっても、それを最初に成功させるのは難しい。
 コロンブスは卵を使い、それを証明してみせた。
 誰だってファーストペンギンになれそうなものだが、やはり誰でもファーストペンギンになれるわけではない。
 先のブログで本庶佑氏のインタビュー記事を引用した。

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アマゾンやフェイスブックが登場したとき『うまくいくわけがない』『どうやってもうけるんだ』とバカにされた。世界トップの企業になるなんて当時は誰も思わなかった。振り返ってみれば、あれがイノベーションだったと認識される」
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  後からなら何とでも言える。だからこそ、最初にチャレンジすることが大事なのだ。

 授業場面で考えてみると、次のイメージだ。

◆どんな答えだろうと、一番最初に発言した子は褒められる。
◆たくさんの答えを列挙できた子は褒められる。
◆他の子が及ばない発想をした子は褒められる。

 褒められる基準が複数あるから、学級全体に多様性が生まれ、自由度が上がる。子ども達の個性が発揮される。
「みんな違って、みんないい」
「何を言っても許容される」
という学級風土があると、ますます多様性と自由度は高まっていく。

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異端児扱いを恐れない強さ~コペルニクス的転回

 「イノベーション」「フロンティア精神」について書いていて、「コペルニクス的転回」も同じグループだなと思った。

 天動説を否定したコペルニクスは、「千万人といえどもわれ行かん」の代表格だ。
 「コペルニクス」といえば、『社会科教育』(明治図書)2013年1月号に原稿を書いたことを思い出した。
  幸いデータが残っていた。

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 一 抹殺された地動説

 「地球が太陽の回りを回っている」という考え方を地動説、「地球の回りを太陽や惑星が回っている」という考え方を天動説と言います。現代では地動説を疑う人はいませんね。
 しかし、世の中はずっと「天動説」でした。「地動説」が認められたのはいつ頃だと思いますか?
 コペルニクスという科学者が地動説を主張したのが1540年です。それも、地動説がすぐに認められたわけではありません。むしろ猛反対です。コペルニクス説は禁止され、地動説を主張したブルーノは火あぶりにされました。地動説を広めたガリレオも裁判にかけられ、「地動説は間違いだ」と無理矢理言わされました。
地動説は、1687年、ニュートンにより証明されました。今では当たり前の地動説が認められるまでには、100年以上の年月がかかったのです。
 発想を変え、物事の新しい局面を切り開くことを「コペルニクス的転回」と呼ぶのは、このためです。

二 非難を浴びたアラスカの購入

 アラスカを指で押さえてごらん。
 アラスカはカナダ領ですか、アメリカ領ですか?
 アラスカは、ロシアが領有していましたが、クリミア戦争に敗れて財政的に苦しくなったので、1867年、アメリカが買い取りました。
 当時のアメリカではアラスカ購入に批判が多く、購入を進めたスワード国務長官は「巨大な冷蔵庫を買った男」と批判されました。
しかし、その後、金鉱脈が発見され、ゴールドラッシュに沸きました。1950年代には油田も発見されました。
 スワードは死後、「先見の明があった」と評価されました。現在のアラスカでは、彼の名前をとったスワードという都市があり、「スワードの日」という記念日も制定されています。
  ◆   ◆
 異端児扱いされた人が時を経て評価されることがある。時の権力者に抹殺された偉人の例もたくさんある。
 自分と違う考えだからと排除する行為の愚かさをさりげなく刷りこみたい。
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 「抹殺」というおおげさな言葉を選んだのは『主語を抹殺した男~評伝三上章~』に感化されたからだ。主語を抹殺した三上章は、日本語教育界から抹殺された男でもあった。

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 三上は今でこそ、とくに日本語教育界で優れた文法家と見なされるようになったが、生前は偏見と差別で苦労が絶えなかった。三上の著書と論文に対する当時の国語学会の反応は、じつに興味深い。(中略)1953年6月に50歳の三上が初めて上梓した『現代語法 序説』は、当初かなり注目された。
 しかし、反響は一時的なものでしだいに下火となる。それだからこそ、当時からさらに半世紀を経た2006年の現在でも「学校文法」は十年一日の如く「文には主語と述語がある」と教えているのだし、海外の「日本語文法」でも「、「日本語では主語がよく省略されます」と説明される「第二英文法」のままなのだ。
 けっきょく三上文法はどう評価されたのか、と言えば、「一介の高校数学教師の奇説」として、国語学会はまともに相手にしなったのである。「一介の」という表現が三上文法を語る際に、枕詞のように使われた。 ふたたび山口光の言葉を借りれば、「主語抹殺論以下の数多くの問題定義が、結局は黙殺された。」P175/176
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 先にも書いたが

 人と違っても堂々と行動できる強さ。
 向山学級で言えば、

◆一匹狼のたくましさ
◆千万人といえどもわれ行かん

の精神の大切さをひしひしと感じている。

 「抹殺」の背景には差別がある。
 差別を憎む学級づくりと「多様性」「イノベーション」はリンクしている。

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一歩踏み出す勇気を育てる学級づくり~ファーストペンギン~

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 「ファーストペンギン」という言葉はについては、数年前のNHKの朝ドラで言葉は知っていた。群れの中で先陣を切って飛び込む勇気あるペンギンのことだ。

 「創造する脳」(茂木健一郎)PHPの一説に「ファーストペンギン」の詳しい説明がある。非常に感銘深い文章だった。

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(前略)何時までも飛び込まずにためらっているわけにはいかない。いつかは危険を冒してでも海の中に飛び込まなければ、餌をとれずに死んでしまう。餌がとれるか、それとも食われてしまうのか、避けることのできない不確実性の名の下で、いつかは決断を下し、飛び込む・・海の中に真っ先に飛び込む「最初のペンギン」がいるからこそ、全体にとっての事態が切り開かれるのである。
 英語圏では「最初のペンギン(first penguin)と言えば、勇気を持って新しいことにチャレンジする人のことを指す。そのような概念、それを表現する言葉があるということは、それだけ、不確実な状況下で勇気をもって決断する人が賞賛される文化があることを示している。
 未来を見渡せないままに不確実性の海に飛び込むと言うのは、創造性の発揮において、人間がまさに行っていることである。創造的な人間は、不確実な状況下で海に飛び込むという「決断」を下すペンギンと、生物の進化の歴史を通してつながっている。不確実性に直面し、それを乗り越えるための脳の感情のシステムの働きを通してつながっているのである。(中略)
 今日の昼食を何にするかというような小さな問題から、人生を左右するような大きな問題まで、私たちが人生で直面する殆どの問題は、確実な答えがわからない不確実なものである。そのような場面で確実な答えだけを求めていたら、かえって判断を誤る。たとえ確実なことは判らなくても、自分の直感を信じて行動することで道は開ける。
 もちろん、その結果、失敗したり、痛い思いをするかもしれない。しかし、それこの世界に生きている以上仕方がないことである。人間だけでなく、生物は皆不確実な世界の中で生きている。不確実さを徒に避けたり、確実な正解があるはずだと思いこむことの方が、よほど危険である。肉食獣が闊歩しているからといって、何時までも洞窟に隠れていては飢え死にしてしまう。P89/90
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 人と違っても堂々と行動できる強さ。
 向山学級で言えば、

◆一匹狼のたくましさ
◆千万人といえどもわれ行かん

の精神だ。

  創造力を伸ばす教育というのは、

◆何を言っても許容される学級、
◆人と異なる意見が褒められる学級

でないとうまくいかない。

 これからは創造力が必要だというなら、「どう授業するか」「どんな学級経営をするか」 まで考えないと絵に描いた餅で終わってしまう。

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プログラミング教育は、国家戦略

プログラム教育普及プロジェクト
http://csforall.jp/about/

◆私たちが大切にしているのは、プログラミング「を」学ぶのではなく、プログラミング「で」学ぶ、ということ。
国語の授業があるからといって作家になるわけではありません。
音楽の授業があるからといって作曲家になるわけではありません。同じようにプログラミングの授業があるからといってプログラマーになるわけではありません。
プログラミングを通じて論理的に考え問題を解決する力、他者と協働し、新しい価値を創造する力を育んで欲しいと考えています。

◆海外では、すでに初等教育段階で必修にしている国もあります。
 例えば、イギリス、ロシア、ハンガリー。米国もオバマ大統領が重要性を訴え、向こう3年間でプログラミング教育に40億ドル(約4400億円)を拠出することを発表しました。
プログラミングの公教育での必修化は世界的な流れになっています。

・・・ここに出てくる「オバマ大統領が重要性を訴え」は、以下のサイトで分かる。動画もある。
https://techacademy.jp/magazine/1260
https://youtu.be/6XvmhE1J9PY

 公開は2013年12月8日。まさに5年前だ。

 オバマ氏の言葉を一部抜き書きしてみる。
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「コンピュータ・サイエンスのスキルを身につけることは皆さん自身の未来のみならず、私たちの国の未来にとっても大事なことです。」
「アメリカという国が最先端であり続けるためには、皆さんのような若いアメリカ国民に今後の世界のあり方を変えるようなツールや技術について学んでもらわねばならないのです。」
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 この後に次の呼びかけがある。

「新しいビデオゲームを買うだけではなく、自分で作りましょう」
「最新のアプリをダウンロードするだけでなく、創りましょう」
「スマートフォンで遊ぶだけでなく、プログラムしてみましょう」

 何と明快で痛快なメッセージであろう。
私が印象に残ったのは

◆大統領が若者にプログラム教育の重要性=国家戦略(国家のプライド)を直接語りかけていることのすごさ、

である。
 若い世代に、直接「国家戦略」の趣意を説明することで、モチベーションを高めている。

 茂木健一郎氏の「創造する脳」に次の一節がある。
 オバマ氏と同じように「国家戦略」としてイノベーションが重要だと訴えている。

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明治維新以来、「坂の上の雲」を追いかけたキャッチアップの時代においては、西洋の進んだ制度を移入し、日本に根付かせる「配電盤」としての大学エリートが有効だった。今や、グローバル経済の中、模倣ではない、絶えざるイノベーションを内発的に実現していかなければ一国の経済は立ち行かない。そんな中、新しいベンチャーを興して自分もお金を儲けるとともに、日本の産業構造を変えるような人材が一国の政府としてもほしいのである。
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 茂木氏は「むろん、私たちは日本という国民国家のためだけに創造的であろうとするのではない。個人としてよりよく生きることが、社会としても全体の福利の向上につながる」と続けている。この補足が必要なところが、今の日本の限界かもしれない。
 日本の戦後教育では「国家の利益の追求」が語られることは少ない。国家の繁栄を願うことは「国家主義」と批判され、とかく個人の幸福の追求が優先されてきたからだ。道徳の教科化にあたり「愛国心」は執拗に批判されてきた。

 確かに、道徳教育の立場から「国家の繁栄・国家戦略」」を語るとややこしい。
 しかし、外国語教育やプログラミング教育、論理的思考力の指導の重要性を「国家戦略・世界をリードする日本」と絡めて論ずるなら、批判はかわせると思うし、子ども達が学ぶ上での趣意の説明にもなる。「何のために必要な学習か」を自覚させることは教育効果が高い。

 諸外国からの遅れを自覚し、世界をリードできる日本を教育から支えるのが、我々の仕事だ。
 最先端の教育の必要性を「国家戦略」として語れるように理論武装したい。
 そして、「日本人の気概・プライド」を子どもに語る言葉・具体的な授業実践をストックしたり、共有したりしていきたい。

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ノーベル賞・本庶佑氏「ばかげた挑戦が革新生む」

日本経済新聞に本庶佑氏のインタビュー記事がある。

「ノーベル賞・本庶佑氏「ばかげた挑戦が革新生む」

科学&新技術 2018/12/3 6:41日本経済新聞 電子版
https://id.nikkei.com/lounge/auth/password/proxy/post_response.seam?cid=1386056

 本庶佑氏が、イノベーションを生むための政府や企業の役割、若手研究者の支援に向けた取り組みなどを語っている。一部抜粋する。

◆イノベーションとは何ですか。

「イノベーションとは結果だ。とんでもないと思うようなことから始まって、結果として世の中を大きく変える。アマゾンやフェイスブックが登場したとき『うまくいくわけがない』『どうやってもうけるんだ』とバカにされた。世界トップの企業になるなんて当時は誰も思わなかった。振り返ってみれば、あれがイノベーションだったと認識される」

・・・インタビュー冒頭のこの回答に本庶氏の思いのすべてが集約されていると思う。タイトルの「バカげた挑戦が革新生む」も見事な要約だ。
 周囲がうまくいかないと思っていることこそ、イノベーション。誰もがうまくいくと思うなら、それは「想定内」に過ぎないからだ。
 本庶氏は、このあと「月にロケットを上げるような、計画を立てて金をかければできることはイノベーションではない。金で解決することとイノベーションは次元が違う」と述べている。
 計画が立てられること・予算が組めること・お金で解決できることは、しょせん「想定内」だから、イノベーションではないということなのだと思う。

◆イノベーション創出に向けて産業界に何が必要ですか。

「日本の大企業は政府がつぶさないようにてこ入れするため、新陳代謝が起こらないのは問題だ。米国のトップ企業は若く、新陳代謝が起こっている。森では大木がいつか朽ちて、下から芽が出て新しい木が生える。大木がいつまでもはびこっていたら下に光が届かず、若い芽が育たない」

・・・新陳代謝、新旧交代、「新しい葡萄酒は新しい革袋に」という新約聖書の言葉が思い出される。
 旧態依然とした組織では新しい発想はスポイルされてしまう。
 物事が180度変わる様を天動説から地動説への転回にたとえて「コペルニクス的転回」と言うが、まさに常識をひっくり返すような出来事がイノベーションだ。

 「今の産業界はおいしい果実がいくつかできた段階から初めて金を出す。厚かましい」とインタビューの言葉は結ばれている。
 冒頭で「イノベーションは結果だ」と言う一方で、いい結果が出てからしか金を出さない産業界に苦言を呈している。
 サントリー創業者鳥井信治郎氏の有名な言葉「やってみなはれ」が思い出される。

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 創業者鳥井信治郎は、どんな苦境に陥ちこんでも自身とその作品についての確信を捨てず、そして、たたかれてもたたかれてもいきいきとした破天荒の才覚を発揮しつづけた人であった。 それを最も端的に伝える言葉として彼がことあるごとに口にした日本語が『やってみなはれ』である。
  冒険者としてのチャレンジング精神がサントリーのDNAとして創業100年以上経た今もなお、生きている。現状に甘んじることなく、異分野・新しいことへの挑戦を続ける。
 ここに、「結果を怖れてやらないこと」を悪とし、「なさざること」を罪と問う社風に根ざした主な商品をご紹介します。(以下略)
https://www.suntory.co.jp/company/research/history/frontier.html
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・・・「フロンティア精神」をもじったであろう「フロンティア製品」という言葉が痛快である。
「結果を怖れてやらないこと」を悪とし、「なさざること」を罪と問う社風とは、驚くばかりだ。

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アルゴリズムは「拡散的思考」

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 学校の図書館にあった「アルゴリズムえほん」全4巻(フレーベル館)。
 なるほど、この絵本を読んで「プログラミングを学ぶ前にアルゴリズム」という意味が少しだけ分かった。

 第一巻は「アイデアはひとつじゃない! アルゴリズムって、こういうもの」

◆水たまりをどう渡るか、道にいるカエルを踏まないで進む方法など、小学生が実際に出会いそうな問題場面を取り上げ、3姉弟がそれぞれのアルゴリズムによって解決したり、目的をかなえたりする展開になっており、目的に対していろいろなアルゴリズムを考え、どれが一番よい方法かを考えられる。
というのがアマゾンの紹介コピー。
 
 絵本を読んだ後は、特に「目的に対していろいろなアルゴリズムを考え、どれが一番よい方法かを考えられる」の部分が腑に落ちた。
 最初のページは、3姉妹が雨上がりの朝、学校へ向かう道の大きな水たまりを避けて、どう渡るか、考えている場面。

①石をおいて渡る
②跳んで渡る
③靴を脱いで渡る

と三者三様の方法を考えて

◆そう、「これが、それぞれのアルゴリズム」
◆つまり、アルゴリズムは、目的をかなえるための方法のこと。

と解説されている。

◆コンピューターを動かすプログラミングは論理的につながらなければいけませんし、目的と結果を考えたプログラミングでなければ、実行する意味がありません。

といった部分だけを取り上げると、プログラムは最適解、つまりたった1つの方法を導き出すようなイメージにもつながりやすい。
「論理的」とは1対多対応でなく1対1対応であるからだ。理詰めで考えたら、答えは1つに確定できると判断してしまいがちだ。

 ところが、次の解説があって、うなってしまった。

◆コンピュータは、命令通りにしか動けない。だから、人間が前もってアルゴリズムをいくつも考え、「プログラム」として組み立て、コンピュータに覚えさせる必要があるんだ。

 人間が多様な解法・多様なアルゴリズムを考え、それをプログミングする。
 コンピュータは覚えさせられた命令通り動くのだけなのだから、人間の多様性・創造性の方が価値が高いのだ。最初から最適解を決め打ちして1つの解法しか思い浮かべないのは、人間らしい思考作業ではない。
そのことを「アイデアはひとつじゃない!」という本書のタイトルが端的に示している。

 息子が小学校時代に作っていたサッカーロボも、高等専門学校のロボットコンテストも、目的(テーマ)は1つだが、アプローチ(アルゴリズム)は多様なので、様々なロボットが製作される。
 ロボコンの大会の様子を見れば、「アイデアは1つではない・アプローチは多様で、最適解は簡単に決まらない」ことがよく分かる。

 今のカーナビも決して1通りのルートを示すわけではなく、有料道路優先、一般道路優先、道路幅優先などニーズに合わせたいろんなルートを示す。
・さまざまなルートがある
・さまざまなアプローチがある
・さまざまなアルゴリズムがある

が、同義なのだと大雑把に理解している。
 また、算数の解き方も決められた1通りというケースが多いが、本来、数学の解き方は多様なのだと理解している。
 これも、アプローチはさまざま=アルゴリズムはさまざま、ということなのだと理解しています。
 アルゴリズムは多様であり、ゴールに向かうアプローチは、いろんな方法があってよいというスタンス。
考えてみれば、その通りなのだ。
 しかし、これまで「プログラミング的思考」というと、論理的思考のニュアンスが強くて、一つの正解に向けて最適解を見つけ出すようにとらえていた。

 それがけっして1人よがりな考えではない証拠が、手引きの以下の記載内容だ。

◆プログラミング的思考
自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組み合わせが必要であり、一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組み合わせをどのよう改善していけば、より意図したした活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力。
「小学校プログラミング教育の手引き第2版」文部科学省 4ページ

・・・この記述を見ると、やっぱり、プログラミングは1つの結論に収束されていくように読めてしまう。
でも、先のアルゴリズムの解説を読むと、プログラミングは実に自由度が高く、創造的で拡散的である。

無論、そこは活動の場面の違いがあって、アプローチ(アルゴリズム)を考える場面は創意を生かし、プログラミングを行う場合は正確に緻密に論理的に取り組む。
 まずはどんなアプローチ(アルゴリズム)を考えるか、その創意工夫が先だと思う。創意のないプログラミングなんて、やらされているだけでつまんない。

 とにかく、「プログラミング的思考」は、「収束的思考」ではなく、「拡散的思考」だというのは、新鮮な驚きであった。

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December 01, 2018

落ち着かない学級に補助に入るデメリット

「子どもの悪さを毎日家庭に連絡しても無駄」という週刊教育資料の先の論稿には続きがあって、学級に補助の先生を入れてもうまくいかない場合があると指摘している。
私もそう思う。

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実は、補助を入れるのは効果的な場合とそうでない場合がある。効果的なのは緊急避難的としても当座数ヶ月もてば年度末と言う場合である。
つまり、とりあえずもたせる対応策である。しかし、まだ何ヶ月もある場合には、必ずしもこの対応策は効果的とは言えない。なぜなら教師の指導力そのものが上がったわけではないからである。補助を付ければ付けるほど教師の指導力は下がり、補助がないと指導できない教師になる。
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・・・補助に頼っているばかりでは、何の解決にもならないという」わけだ。

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時と場合によるが、あえて補助をつけずにがんばらせる対応策も取りたい。つまり、教師の指導力そのものを上げるような対応策をとりたい。たとえば、教室が汚い説明がくどい、声が小さい、暗い、授業が単調、子どもが聞いていないのに平気で話し出すなどがある。これらを改善しない限り、いくら補助を入れても解決しないし、来年度の学級でも子どもは変わっても同じ状況になる。
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・・・同感である。
補助に入った先生がバリバリ指導すればするほど、子どもは「うちの担任は頼りないな」「担任はやっぱり授業が下手だな」「担任を変えて欲しいな」と不満を感じることになってしまえば、逆効果だ。
そうした子どもの冷たい反応を感じる担任は自信を喪失し、子どもに対して毅然とした態度で臨めなくなる。
担任がお手上げなら仕方ないが、何とか踏みとどまらせたいなら、バリバリ介入するのは、「余計なお世話」になりかねない。

「いや、そうは言っても犠牲になるのは子供たちだから、あのまま担任に任せるわけにはいかない」という先生もいる。
「緊急避難的措置」と認定するのであれば、それは学校全体の総意で対応しないといけない。一部の先生だけがバリバリ介入するのでは、スタンドプレーにしかならない。
子どもの前で担任にダメの烙印を押すような行為は、教師としてというよりも人として失格である。そんな傲慢な人に担任の代わりを任せるわけにはいかない。

落ち着かない学級に補助に入るには、繊細な配慮が必要だとわきまえねばならない。

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家庭連絡のデメリット

 「学校の問題解決につながらない対応」という資料が手元にある。
 少々古いが「週刊教育資料」2016年7月25日号の石橋昌雄氏の論稿だ。一部を引用する。

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子どもの悪さを毎日家庭に連絡しても無駄

放課後になると何かにつけて、学校での子どもの問題点を毎日のように保護者に連絡してる教員がいる。「A君は、今日こんな悪さをしました。ご家庭でもご指導ください」「Bさんは、毎日ノートを忘れてきます。また友達に悪態をつくので、やめさせるように言って下さい」
(中略)
そこで私が「その連絡でが逆効果だと思いますよ。A君が学校でこんな悪いことをしたと言われても、保護者はすみませんとしかいいようがなく当惑するばかりです。学校でどんなことがあって、教師がどんな指導をしたのか、そこで家庭ではどんな指導をしてほしいのかを具体的に連絡しないと、あまり効果がありませんよ。子どもの悪さを連絡しても、保護者は100%納得はしておらず、先生の注意の仕方が悪いとか、先生の指導力がないと最後は言ってくるのです。(後略)」
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・・・若い先生には、トラブルなった子の様子について家庭連絡をさせているが、上記のように「学校でこんな困ったことを起こしたから、よく叱って下さい」といった上から目線にならないようアドバイスをしている。

「学校でどうしてそんな行動をしたか聞いてみたけどよく分からない。自分は〇〇が原因かと思うのだけど別の理由があるかもしれない。一度本人の気持ちを聞いていただけますか。友達同士話し合いが必要なら場をつくるし、自分の指導が悪いなら改めます」

というような「お願い」を言うように促している。
 家庭で問い詰めたときに、思わぬ理由を子どもが言い出したら、原因を決め打ちした担任は信頼を下げてしまう。目に見える問題行動は把握しているが、行動の背景にある心の動きまでは把握しきれていないと報告するのがベターである。

 いくら先生が困っていると訴えても「それが仕事でしょ」と言われたら弱い。
 家庭連絡するなら、この子のために協力してほしい・ご家庭でも悩みや怒りの中身を聞いてほしいというスタンスが必要だと思う。

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