間違いを恐れない=正解は1つではない=創造性を育む学級づくり
1977年向山洋一氏の学級通信「すないぱあ」4月7日号に、次の記載がある。
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ひとつは教室とは、まちがえる場所だということだ。あらゆる学問は、まちがいの中から発展させられてきた。<自分はできる>と思ったり、<自分はできない>と思っているのは共に錯覚である。どちらにしても諸君が思っているほどではない。
◆黒板に数字を書いて「0(ゼロ)は何を意味するか」を聞いてみた。芝原がさっと手を上げ、他に5.6名いた。芝原に指名すると「何もない事です」と答えた。それをほめ、手を上げたら5.6名を立たせほめた。そして「何故、手を上げない。内心ではそんな事と思ってるんだろう。しかし、手を上げた人と上げない人では天と地ほどの差がある。上げない人は、まちがえたら恥ずかしい、かっこ悪い等とかっこつける事だけ考えていたからだ。天と地ほどの差があるんだ」ときつく言った。
しかし「ゼロの意味はこれだけではない。思いついた事を何でもいいから言ってみなさい」と言った。名取と伊藤の2名しか手が上がらなかった。名取は「出発点」と答え、伊藤は「0,1,2の0」と答えた。温度計の0度は温度が何もないことではなく、基準である事を話し、その二人をほめた。ゼロはほ他にも意味があるが、省いた。ついでに漢字の「山川」を書き、「読みなさい」と言った所、芝原がさっと手を上げ、4.5名があげた。芝原を指名すると「やまかわ」と答えた。「他にもある」と聞いたが誰一人答えられなかった。「やまかわ やまがわ さんせん」のちがいを説明した。「このように、できるできないといっても差がない。一年生の問題ですらこれなのだ」と話した。「うんとまちがえなさい。まちがいの山をつくりなさい」と言った。
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「たくさん間違える」と「正解をたくさん考える」は同義ではない。
しかし、「正解は一つではない」という実例を体感することで、間違いと思っていることが正解だったり、新発見だったする場合もありえることを学んでいく。
そして、「間違いなんて大したことじゃない」と気楽に構えることを学んでいく。
決まりきった正解しか言えない優等生の存在価値がガラガラと音を立てて崩れていく。
人と違う意見が褒められていく。
人と違う発想ができる者が評価を上げていく。
この「逆転の発想」の講話を始業式の日に仕組む。
これが41年前の向山実践だ。「そのあと2時間何も手がつかないほど、つかれていた」というほど、周到に仕組んだ出会いの40分の授業であった。
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