落ち着かない学級に補助に入るデメリット
「子どもの悪さを毎日家庭に連絡しても無駄」という週刊教育資料の先の論稿には続きがあって、学級に補助の先生を入れてもうまくいかない場合があると指摘している。
私もそう思う。
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実は、補助を入れるのは効果的な場合とそうでない場合がある。効果的なのは緊急避難的としても当座数ヶ月もてば年度末と言う場合である。
つまり、とりあえずもたせる対応策である。しかし、まだ何ヶ月もある場合には、必ずしもこの対応策は効果的とは言えない。なぜなら教師の指導力そのものが上がったわけではないからである。補助を付ければ付けるほど教師の指導力は下がり、補助がないと指導できない教師になる。
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・・・補助に頼っているばかりでは、何の解決にもならないという」わけだ。
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時と場合によるが、あえて補助をつけずにがんばらせる対応策も取りたい。つまり、教師の指導力そのものを上げるような対応策をとりたい。たとえば、教室が汚い説明がくどい、声が小さい、暗い、授業が単調、子どもが聞いていないのに平気で話し出すなどがある。これらを改善しない限り、いくら補助を入れても解決しないし、来年度の学級でも子どもは変わっても同じ状況になる。
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・・・同感である。
補助に入った先生がバリバリ指導すればするほど、子どもは「うちの担任は頼りないな」「担任はやっぱり授業が下手だな」「担任を変えて欲しいな」と不満を感じることになってしまえば、逆効果だ。
そうした子どもの冷たい反応を感じる担任は自信を喪失し、子どもに対して毅然とした態度で臨めなくなる。
担任がお手上げなら仕方ないが、何とか踏みとどまらせたいなら、バリバリ介入するのは、「余計なお世話」になりかねない。
「いや、そうは言っても犠牲になるのは子供たちだから、あのまま担任に任せるわけにはいかない」という先生もいる。
「緊急避難的措置」と認定するのであれば、それは学校全体の総意で対応しないといけない。一部の先生だけがバリバリ介入するのでは、スタンドプレーにしかならない。
子どもの前で担任にダメの烙印を押すような行為は、教師としてというよりも人として失格である。そんな傲慢な人に担任の代わりを任せるわけにはいかない。
落ち着かない学級に補助に入るには、繊細な配慮が必要だとわきまえねばならない。
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