異端児扱いを恐れない強さ~コペルニクス的転回
「イノベーション」「フロンティア精神」について書いていて、「コペルニクス的転回」も同じグループだなと思った。
天動説を否定したコペルニクスは、「千万人といえどもわれ行かん」の代表格だ。
「コペルニクス」といえば、『社会科教育』(明治図書)2013年1月号に原稿を書いたことを思い出した。
幸いデータが残っていた。
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一 抹殺された地動説
「地球が太陽の回りを回っている」という考え方を地動説、「地球の回りを太陽や惑星が回っている」という考え方を天動説と言います。現代では地動説を疑う人はいませんね。
しかし、世の中はずっと「天動説」でした。「地動説」が認められたのはいつ頃だと思いますか?
コペルニクスという科学者が地動説を主張したのが1540年です。それも、地動説がすぐに認められたわけではありません。むしろ猛反対です。コペルニクス説は禁止され、地動説を主張したブルーノは火あぶりにされました。地動説を広めたガリレオも裁判にかけられ、「地動説は間違いだ」と無理矢理言わされました。
地動説は、1687年、ニュートンにより証明されました。今では当たり前の地動説が認められるまでには、100年以上の年月がかかったのです。
発想を変え、物事の新しい局面を切り開くことを「コペルニクス的転回」と呼ぶのは、このためです。
二 非難を浴びたアラスカの購入
アラスカを指で押さえてごらん。
アラスカはカナダ領ですか、アメリカ領ですか?
アラスカは、ロシアが領有していましたが、クリミア戦争に敗れて財政的に苦しくなったので、1867年、アメリカが買い取りました。
当時のアメリカではアラスカ購入に批判が多く、購入を進めたスワード国務長官は「巨大な冷蔵庫を買った男」と批判されました。
しかし、その後、金鉱脈が発見され、ゴールドラッシュに沸きました。1950年代には油田も発見されました。
スワードは死後、「先見の明があった」と評価されました。現在のアラスカでは、彼の名前をとったスワードという都市があり、「スワードの日」という記念日も制定されています。
◆ ◆
異端児扱いされた人が時を経て評価されることがある。時の権力者に抹殺された偉人の例もたくさんある。
自分と違う考えだからと排除する行為の愚かさをさりげなく刷りこみたい。
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「抹殺」というおおげさな言葉を選んだのは『主語を抹殺した男~評伝三上章~』に感化されたからだ。主語を抹殺した三上章は、日本語教育界から抹殺された男でもあった。
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三上は今でこそ、とくに日本語教育界で優れた文法家と見なされるようになったが、生前は偏見と差別で苦労が絶えなかった。三上の著書と論文に対する当時の国語学会の反応は、じつに興味深い。(中略)1953年6月に50歳の三上が初めて上梓した『現代語法 序説』は、当初かなり注目された。
しかし、反響は一時的なものでしだいに下火となる。それだからこそ、当時からさらに半世紀を経た2006年の現在でも「学校文法」は十年一日の如く「文には主語と述語がある」と教えているのだし、海外の「日本語文法」でも「、「日本語では主語がよく省略されます」と説明される「第二英文法」のままなのだ。
けっきょく三上文法はどう評価されたのか、と言えば、「一介の高校数学教師の奇説」として、国語学会はまともに相手にしなったのである。「一介の」という表現が三上文法を語る際に、枕詞のように使われた。 ふたたび山口光の言葉を借りれば、「主語抹殺論以下の数多くの問題定義が、結局は黙殺された。」P175/176
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先にも書いたが
人と違っても堂々と行動できる強さ。
向山学級で言えば、
◆一匹狼のたくましさ
◆千万人といえどもわれ行かん
の精神の大切さをひしひしと感じている。
「抹殺」の背景には差別がある。
差別を憎む学級づくりと「多様性」「イノベーション」はリンクしている。
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