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January 04, 2019

「知的好奇心」は、波多野氏と稲垣氏の造語!

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以前、夕方のニュースで、子ども科学教室のようなイベントの紹介があって、楽しく学ぶ子供たちの様子を流していた。
 『知的好奇心』(波多野誼余夫・稲垣佳世子著 中公新書1973初版)を久しぶりに読んで「楽しく学ぶ」についてメモしていたところだったので、タイムリーな映像だった。

 自由な探索の過程で自分の能力に合わせて挑戦することが興味を維持し学習効果を高める。
 その一例として「磁石」の学習場面が挙げられている(P104~107)。
 
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 たとえば、磁石を使って、どういう物がすいつき、どういう物がすいつかないかを子どもに知らせる場面を考えてみよう。このとき、どういう性質の物が磁石につきやすいかがよくわからないうちに砂鉄や石(磁鉄鉱)を出して、「さあ、おもしろいですよ。これもすいつきますよ」といった導き方はあまり好ましくない。子どもにとっては、そのおもしろさがわかりにくい。彼のそのときに持つ「知識」に挑戦する対象として砂鉄が示されたのではないからだ。
 このようなときには、まず最初のうちは、子どもに自由に磁石をいじらせる。彼は自分のまわりの物に対して手あたり次第磁石をつけてためしてみようとするだろう。多くの場合、磁石にすいつくか否かに関して典型的な事物が試されるだろう。そうしているうち、木製の物はすいつかない、つくのは金っ気のあるもの、ピカピカ光る物らしい、という予想が形づくられるだろう。
 しばらくいろいろためしていて興味がやや低下したとみられるところで、彼らの予想に「挑戦する」事物を与えてみるのである。
たとえば、メッキされたアルミニウム製の物と、メッキされた鉄製の物を準備したり、磁鉄鉱や砂鉄を用意したりする。あるいは、棒磁石、大小のU字型磁石、電磁石などを用意するのである。
 みかけはピカピカに光っていても、磁石につく物もあれば、つかない物もある。石や砂など磁石につくものか、と思っていたらすいついた。これらは、子どもを驚かせ、さらに探究することを動機づけるだろう。また磁石を近づければ、近づけるほどそれからはなれようとすることがある。スイッチを押すと磁石のようになるが、スイッチをはなすとそうでなくなる物がある・・・。これらはさらに事物のいろいろな側面を綿密に探索することを動機づけるかもしれない。」
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(1)自由試行させる(飽きるまでの体験させる)。
(2)予想させ、自我関与させる。
(3)固定概念を崩すような難しい課題に挑戦させる。

などのポイントが読み取れる。
 
◆磁石は、他の物にくらべ、環境の「応答性」を増幅する。子どもの反応に応じて、つまり、子どもが磁石を事物に近づけるのにしたがって、事物がすいついたり、すいつかなかったり、はっきり「応答」してくれるからだ。(P107)

◆子どもの疑問に、はじめからていねいに答えすぎない、ということだ。もちろん、子どもの疑問を無視したり、適当に答えてその場をやりすごしてしまうことは好ましくない。しかし、あまりに完全な答えを与えすぎるのも問題だ。むしろなるべくヒントを与えるなどして、まず子ども自身に自分で考えさせようとすることが大切である。(P108)

◆自由な雰囲気の中で、子ども同士の積極的な相互交渉を奨励することも大切である。(P108)

などの記述を元にすると、以下のポイントも読み取れる。

(4)「応答性」のよさを心掛ける。
(5)教えすぎない。
(6)子ども相互の関わり合い(集合知)を活かす。
 

そして、「おしえる側の役割」について述べた次の指摘は耳に痛い。知的好奇心のない者には知的好奇心の旺盛な子どもは育てられないということなのだ。

◆子どもの遊びや学習上の困難の解決に援助を与える、あるいは、たえず気を配って、子どもが次の活動のために必要としているらしいものを周到に準備しておく、集団での話合いの司会をする、これらが彼らの役目である。
 この場合、指導するおとな自身が知的好奇心の強い存在になることが必要だ。子どもにいくら新しい物に積極的に取り組むことをすすめても、その当人が、未知の場面、不慣れな場面を避けてばかりいては困る。おとなのそうした態度は、いつのまにか子どもに伝わってしまうからだ。(P109/110)。


 さて、『教育トークライン』1月号(東京教育研究所)で板倉弘幸氏が「知的好奇心」について触れている。
 「知的好奇心」は、自分にとって、もはや普通名詞のようなものであったから

◆「知的好奇心」は波多野誼余夫氏・稲垣佳世子氏の両氏によって命名された

という板倉氏の指摘は全くの驚きであった。
 そういう経緯も知らず、当然のように「知的好奇心の喚起」などと口にしてきた。
「モチベーション」関連の書籍には「内発的動機付け」は出てくるが、「知的好奇心」との異同がよく分からなかった。
「内発的動機付けのことを、若い研究者は知的好奇と呼んだ」と知り、納得というよりも唖然としてしまった。

「お金がもらえるからやる」「合格できるならなる」「出世するからやる」という理由は、「外からのモチベーション(外発的動機付け)」。
「自分が好きでやる」「やりたいからやる」というのは「内からのモチベーション(内発的動機付け)」
「モチベーション3.0 」 (講談社+α文庫)の著者であるダニエル・ピンクは、内的な動機付けによるアプロ―チについて、次の4つの項目を提示している。

①because they matter, 重要だからやる
②because we like it, 好きだからやる
③because they're interesting, 面白いからやる
④because they are part of something important. 何か重要なことの一部を担っているからやる

 この「内的な動機付けによるアプロ―チ」=「知的好奇心」と理解していたわけではなかった。「重なるなあ」という程度であった。

 板倉氏の論稿の中に、向山洋一氏の「知的好奇心」に関する記述もあった。

◆「知的好奇心は、今まで何気なく見過ごしてきたことに対する違和感から生じる」

 有田和正氏の「はてな帳」の発想に通じるし、向山洋一氏がよく言われる「あれども見えず」に通じることがよく分かる。
「あれども見えず」を浮き彫りにする発問こそが、授業を知的好奇心の渦に巻き込むことがよく分かる。

〇梅棹忠夫氏の「知的生産の技術」(岩波新書)1969年初版
〇川喜多二郎氏の「発想法」(中公新書)1966年初版
〇木下是雄氏の「理科系の作文技術」(中公新書)1981年初版

なども、めちゃくちゃ古いが、もう1度読み直してみる価値があると思う。

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