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February 14, 2019

「最高のコーチは教えない」

うタイトルだけ見ると、「学び合い」志向の教師たちは大喜びしてしまう。
 メジャーでも活躍した吉井理投手がピッチングコーチになってからの学びをまとめた1冊(デイスカバー21)。

 第一ステージ(初心者・新人)に該当する選手は

◆「技術の基本を細かく教えていく」
◆「自らの状況を把握できないうちは、まず基礎を徹底させる」
◆「一人前と認めるまでは、このステージで二年から三年は過ごさせる」

などとある。「教えないで任せる」は次の次のステージなのだ。

 いくつか印象的な箇所があるが、「おわりに」を引用する。

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 サッカーのコーチは、自分が教えたことを選手ができなければ、それは選手の責任ではなくコーチの責任であると考える。だから、一つの方法でできるようにならなければ、別の方法で指導しなければならない。ということは、一つのスキルを指導するためには、無数の指導方法を知っていなければならない。
 選手のタイプは無限だ。その組み合わせを考えると、指導方法の引き出しを増やす努力を怠ることは、コーチとしての存在意義を放棄することになる。コーチが学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない。
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 野球のコーチの多くは、こうではないと吉井氏は言う。
 教師はどうだろうか。
 引用部をしっかり自問したい。


※コーチの仕事は「教えること」ではなく、「考えさせること」であると、吉井氏は言う。
だから、彼の主張を「テイーチャー」である我々が全部受け入れるのは無理がある。

 「考えさせること」はコーチの仕事である。教師の仕事はあくまで「教える」ことだ。

とも言える。

 「究極のコーチ像は、コーチングの結果、相手が何でも一人でできるようになり、はた目から見るとサボっているようにしか見えないコーチだ」とも言う。討論の最中の向山先生のようなイメージだ。
 ただし「サボっているように見える」のであって「サボっている」とは違う。
 「最高のコーチングは教えない」という言葉を鬼の首でも取ったかのように吹聴する教師は、実際にサボってしまうのだ。
 吉井氏がいうコーチングの3つの基礎 「観察」「質問」「代行」 を怠るなら、コーチングを理由に「教えない主義」を主張する資格はない。
9784799323854


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