「最高のコーチは教えない」
うタイトルだけ見ると、「学び合い」志向の教師たちは大喜びしてしまう。
メジャーでも活躍した吉井理投手がピッチングコーチになってからの学びをまとめた1冊(デイスカバー21)。
第一ステージ(初心者・新人)に該当する選手は
◆「技術の基本を細かく教えていく」
◆「自らの状況を把握できないうちは、まず基礎を徹底させる」
◆「一人前と認めるまでは、このステージで二年から三年は過ごさせる」
などとある。「教えないで任せる」は次の次のステージなのだ。
いくつか印象的な箇所があるが、「おわりに」を引用する。
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サッカーのコーチは、自分が教えたことを選手ができなければ、それは選手の責任ではなくコーチの責任であると考える。だから、一つの方法でできるようにならなければ、別の方法で指導しなければならない。ということは、一つのスキルを指導するためには、無数の指導方法を知っていなければならない。
選手のタイプは無限だ。その組み合わせを考えると、指導方法の引き出しを増やす努力を怠ることは、コーチとしての存在意義を放棄することになる。コーチが学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない。
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野球のコーチの多くは、こうではないと吉井氏は言う。
教師はどうだろうか。
引用部をしっかり自問したい。
※コーチの仕事は「教えること」ではなく、「考えさせること」であると、吉井氏は言う。
だから、彼の主張を「テイーチャー」である我々が全部受け入れるのは無理がある。
「考えさせること」はコーチの仕事である。教師の仕事はあくまで「教える」ことだ。
とも言える。
「究極のコーチ像は、コーチングの結果、相手が何でも一人でできるようになり、はた目から見るとサボっているようにしか見えないコーチだ」とも言う。討論の最中の向山先生のようなイメージだ。
ただし「サボっているように見える」のであって「サボっている」とは違う。
「最高のコーチングは教えない」という言葉を鬼の首でも取ったかのように吹聴する教師は、実際にサボってしまうのだ。
吉井氏がいうコーチングの3つの基礎 「観察」「質問」「代行」 を怠るなら、コーチングを理由に「教えない主義」を主張する資格はない。
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