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May 28, 2019

AIの限界を「ゲシュタルト知覚」で解釈する

 新井紀子氏は「今のAIは、問われた内容を論理的に認識しているわけではなく、統計的な処理をしているだけだ」と言われた。
 AIは「質問は多分こんな意味だろう」「求めているのは多分こんなところだろう」と推測して回答を導いている。だから、全く頓珍漢な解答があったり、誤訳があったりする。

 この話を聞いて、もう1つ思い出したのが、「ゲシュタルト知覚」。
光村図書の「国語教育相談室中学校」87号にあった脳科学者中野信子氏の論稿にあった内容だ。

 「ゲシュタルト知覚」とは、より多くの情報を簡単に処理するために少ない情報をもとに、脳が補ってある認知をすること。
 プラスで言えば、少ない情報から類推して効率的に情報処理できること。
 マイナスで言えば、思い込みや早合点をおこすこと。

 AIは、「ゲシュタルト知覚」のように、少ない情報から類推して解答を出そうとする。

 中野氏は言う。
================
◆この機能は、人の思い込みや錯誤を招き、誰かの嘘に惑わされるという危うさをも併せもっている。これを回避すべく私たちの脳に備わっているのが、共感、想像、良心、抑制、長期的な展望などの思考をつかさどる「前頭葉」の働きだ。
ただ、その機能は、小学校高学年ぐらいから、三十歳ごろまでかけてようやく完成する。
 前頭葉が発達していく時期には、その発達を促すような働きかけを行うことが肝要となる。その働きかけとはすなわち、多様な人々に共感したり、他者の心情を読み取ったり、意図を読み取ったりするなどということだ。文学とは、言語によって伝えられた人の思考の、解釈の仕方について議論を交わす領域である。
つまり文学こそ、まさに、前頭葉を鍛えるために大きな役割を果たす実学なのだ。
(中略)
 前頭葉が未発達な中学校時代には、文学情報から意味を構築する経験を大いに重ねることが重要だ。そして、ゲシュタルト知覚のみにとらわれず、前頭葉を働かせて、この世界には虚構というものがあること、現実には幾通りにもの解釈があることを理解してほしい。
===============

・・・今のAIは、常識と非常識の区別が苦手だから、とんでもない類推を平然とすることがある。
 想像と実体験と常識で情報不足を補う「前頭葉」の働きにこそ、人間の強みがあることが分かる(違っているかもしれません)。

 なお、自分のイメージする「ゲシュタルト知覚」と、「レイヤー構造」は意味がよく似ている。

 「レイヤー構造」の記事も合わせて読んでいただけるとうれしい。

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AIの限界を「言語コード論」で解釈する

新井紀子氏は講演の中で、「今のAIは、問われた内容を論理的に認識しているわけではなく、統計的な処理をしているだけだ」と言われた。

例えば
①「市内」の「イタリアン」の、おいしい「店」と問われても
②「市内」の「イタリアン」以外の、おいしい「店」
③「市内」の「イタリアン」の、おいしくない「店」

と問われても、同じ店が出ることがある。
 同じ「」内の3つのワードで情報検索をかけているからだ(新井氏の話を私がアレンジしました)。
 新井氏の意見は以下の記事からも分かる。

https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20180211-00081509/

 この話を聞いて「言語コード論」を思い出し、ダイアリーで確かめてみた。

◆バーンステインの「言語コード論」
  
  労働者階級の子どもが中産階級の子どもに比べて、学校で成功しにくい(よい学業成績をおさめにくい)理由を探る中で、彼が注目したのが「子どもたちの言語使用」である「言語コード」であった。
  中産階級の家庭では、5W1Hが伝わる「精密コード」での会話がされる傾向が強い。
  一方、労働者階級の家庭では、「メシ・フロ・寝る」のような単純な言葉(限定コード)で会話が成立することが多い。
 ==============
  文化伝達の機関である学校では、授業を中心とするほとんどのコミュニケーションが精密コードでなされるため、それに習熟しているMC(ミドルクラス)の子どもたちは成功しやすく、逆に習熟していないWC(ワーキングクラス)の子どもたちは成功しにくくなる。
  端的に言うならば、母親の話す言葉と先生の話す言葉とが近いWCの子どもたちはスッと自然に学校生活に入っていけるのに対して、その両者のギャップが生じやすいWCの子どもたちは、学校不適応・学力不振に陥りやすいというわけである。P101
================
 もし、日本の家族の会話が総じて「限定コード」であるとしたら、それもまた、日本人が「ロジカルシンキング」に弱いことの要因の1つだと考えられる。

・・・自分勝手な判断だが、今のAIは「メシ・フロ・寝る」のような「限定コード」レベルなのだと思う。
AIに負けない人間になるためには、まずは「精密コード」の言語環境が必要なのだ。

 さて、「言語コード論」では、カッコつけすぎなので、もう少し身近な言い方をすると

◆文意を捉える際に、付属語が極めて大事であることを教える

である。

◆「てにをは」1語もおろそかにしない。

とも言える。
 中学校で文法を教えている時、付属語によって文意が変わるので慎重に扱うように教えてきた。
 当然だが、次の2文は、1文字違いで主格が逆になる。

「僕は、君が、好きだ」
「僕を 君が 好きだ」

「私は あなたを 好きよ」なら脈はあるが、
「私は あなたも 好きよ」と言われたら、あきらめよう

などと冗談交じりに話してきた(今、気づいたが「あきらめよ」と「あきらめよう」もニュアンスが全然違う)。
 
「○○君でも100点とれたんだ」と言われたら、○○君は全然褒められてないよね、なんて例も出してきた。

 大人の社会も同じで、通知票の所見について以前、次のようなダイアリーを書いたことがある。
==========
「は」と「が」の違いは、副助詞と格助詞の違い。

「〇〇が」は主語になるが、「〇〇は」は主語でないと主張する人もいる。例えば三上章だ。
 
  「宿題をちゃんとやってきます」

と書けばいいところを

 「宿題はちゃんとやってきます」

と書いた所見を読むと「宿題以外はやってこないことを言いたいんだな」と思ってしまう。

===========

 スポーツライターの青島健太氏が羽生結弦の言葉に心を打たれたのも、わずかな言葉の違いを読み取ったからだ。

====================
 男子シングルの開幕を翌日に控え、記者に日本選手団「金メダル1号」の重圧について聞かれた時の返答だ。

 羽生結弦は、言った。

  「誰が取ろうが、僕も取ります」
 
  私は、この言い方に一瞬のうちに魅了された。平易な物言いの中に、強い意志が込められている。
  「僕が」でもなく「僕は」でもなく、「僕も」であることが最高だ。
  「僕が」や「僕は」には、自分を押し出す強い主張がある。
  一方、「僕も」には、過剰な力みや強引さがない。強い思いがありながら、どこかに謙虚さがある。

 他者の活躍を期待しつつ、僕も頑張りたいという気持ちが素直に表れている。

  ここに羽生選手の素晴らしさ(競技への姿勢と考え方)が、見事に出ている気がする。

https://business.nikkei.com/atcl/report/16/122600093/022300057/?P=3
==================

  現在のAIは、こうした付属語の理解・ちょっとした表現の差の理解が不十分のようだ。
 むろん、新井氏のリーデイングスキルテストでは、子供たちも、このような差異が読み取れない実態が明らかにされている。
 主語・述語になるような部分だけ掴んで理解した気になっていると、大きな間違いを犯す。
 AIに負けない人間の強みは、まさに「言語力」なのだということが分かる。

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文章のレイヤー構造

ウェブには「レイヤー構造」という用語がある。「階層構造」と解説される。
添付した図は、地図情報を示したもので、6つの分布情報を合体して一枚の地図にしている。

文章にも階層構造がある。意味内容に役割があり、軽重がある。
論文やレポートは、階層ごとに文字を下げ、文字列を揃えることで、内容の位置を意識させている。

1
・ (1)
・・ ①

要点だけ知りたい場合は、1、2、3だけを見ていけばよい。
各パラグラフの一文目がトピックセンテンスになっている場合は、そのトピックセンテンスだけを見ていけば概要がつかめるようになっている。

主張部分を際立たせる方法としては、文字列を下げる以外に

①ゴチック体・斜体や太字にする
②線を付ける(二重線や波線を含む)
③色を変える、マーカーペンを使う
④枠で囲む

といった方法がある。

さて、向山先生が提案した法則化論文の枠囲みのスタイルも、主張を際立たせるという点で画期的な提案であった。
枠があると格段に読みやすく、イッキ読みをもたらした。
その後、各地区の指導案で発問を四角枠で示すような変化が起きた。
板書も枠囲みがあると分かりやすい。

ずらっと並ぶ文字の群れに、枠囲みを入れることで、囲んだ部分は浮き上がってくる。

その事を科学的に実証するような文献はないかなと探してみたが、見当たらないというか、どういうジャンルで調べていいかもわからないまま今に至っている。唯一、関係があると思ったのが、冒頭で示した「レイヤー構造」だ。

HPやブログもズレることがあるので枠囲みを使わない場合が多い。

強調部分を太字にしたり、色を変えたり、行を開けたりすることで対応しているが、枠囲みできるなら、本当はその方が手っ取り早い。

さて、「丸で囲む、線でつなぐ」という椿原先生の指導方法。
やってみると分かるが、サイドラインを引くのと丸で囲むのでは、視覚的な理解が格段に違う。丸で囲むと、囲んだ部分が浮き上がってくるのだ。
「マルで囲む・枠囲みをする」という手法の素晴らしさを、しっかり伝えていきたい。

*ちなみに、ボールペンの赤と赤鉛筆の赤では見え方・浮かび方が全く違う。赤鉛筆の太さが囲った部分や傍線部を際立たせる。これも椿原先生の講座で学んだことのひとつだ。

 

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「読解力」をマークした

文科省のHPにある中教審の「新しい時代の初等中等教育の在り方について(諮問)」
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1415877.htm

取り急ぎ「読解力」に関わる箇所をマークするだけでも勉強になった。

(1)「新時代に対応した義務教育の在り方」の1項目目

◆義務教育、とりわけ小学校において、基礎的読解力などの基盤的な学力の確実な定着に向けた方策

(2)資料2-2 Society5.0時代の教育・学校・教師の在り方

◆Society5.0時代には、
①読解力や情報活用能力、②教科固有の見方・考え方を働かせて自分の頭で考えて表現する力、③対話や協働を通じて知識やアイデイアを共有し新しい解や納得解を生み出す力等が必要

(3)関係資料P2 Society5.0における学びの在り方、求められる人材像

◆一斉一律授業の学校
 → 読解力など基盤的な学力を確実に習得させつつ、個人の進度や能力、関心に応じた学びの場へ

◆共通して求められる力
 文章や情報を正確に読み解き対話する力
 科学的に思考・吟味し活用するちから
 価値を見つけ生み出す感性と力、好奇心・探求力

(4)関係資料P6 平成30年度全国学力・学習状況調査結果(国語)

小学校
◆主語と述語との関係などに注意して、文を正しく書くことに課題がある。
◆話し手の意図を捉えながら聞き、自分の考えをまとめたり、複数の資料の内容を関係付けて理解したり、表現したりすることに課題がある。

中学校
◆目的に応じて文章を読む際などに、情報を整理して内容を的確に捉えることに課題がある。
◆文の成分の順序や照応、構成を考えて適切な文を書くことに課題がある。

(5)関係資料P7 PISA2015 読解力の結果分析

◆複数の課題文の位置付け、構成や内容を理解しながら解答することができていない。
◆表と文章の読み取りが正確にできておらず、矛盾点をうまく説明できていない
◆課題文の情報を整理しながら読めていないために
→一部の情報について文章全体における意義を捉えられていなかった。
→複数の文章の関係や個別の情報の意義などが捉えられていなかった。

・・・PISA調査・学テの課題の延長上に、大学入試問題がある。
 「複雑な情報を正しく読み取り、分析・考察する」が、読解の授業の基本でなければならないことがよく分かる。
 一字読解・分析批評・B問題対策指導法などが王道になる。

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文相互の関係 ~論理結合子~

 これまで、文相互の関係を3通りから5通りで理解してきた。

①イコールの関係 (具体、体験、引用、比喩)
②対立関係(対比、譲歩・弁証法)
③因果関係

 そして、
①イコールを「=」の線、
②対立を「←→」の線、
③因果を「→」の線

でつなげば、文章構造がかなり理解できる思ってきた。
    自分で教材分析をしたり、文章構造図を作る際には、この三種の記号でつないできた。
    受験国語の神様と呼ばれた松本成二氏は、「リレーションの三大種類」として、まずは次の3つを挙げている。

①同一指示:同じ事を別な言葉で述べたもの
②分析、敷衍:さらに詳しく説明した部分
③近接、類似(比較、比喩)
 
 研究者の中には、4つや6つに分類する者もいる。

①同一指示 ②分析 ③近接 ④類似
①説明 ②類推と比較  ③例示 ④数字 ⑤引用 ⑥繰り返し

    そして、松本氏自身、五つの原則にまとめ直して提示している。

①同一指示 ②分析・敷衍 ③原因・理由 ④例示 ⑤比喩・逆説や修辞

   さて、かつて見て見ぬ振りしてやり過ごしてきたのが「論理結合子」。

 新井紀子氏は『数学は言葉』の中で、次の7種類を挙げている。

①「でない」
②「かつ」
③「または」
④「ならば」
⑤「同値」
⑥「満たす、存在する」
⑦「全ての」

  数学で用いられる基本的な論理結合子はこの7種類で、他の論理結合子は、この7種類を組み合わせれば表現できるという。p59
  全くわからないわけではない。数学の授業では「かつ」「または」「全ての」などの違いを学び、「◯◯ならば〜」の論法で証明問題にも取り組んできた。

    ただし、「論理結合子」でヒットする以下のサイトのような解説などは全然理解できない。道は遠いのだ。
http://www.sist.ac.jp/~kanakubo/research/reasoning.html

   こちらのサイト「記号論理学」は、かなり丁寧なので、頑張れば理解に近づくかもしれない。
https://www.sist.ac.jp/~suganuma/kougi/other_lecture/SE/math/logic/logic.htm

※別件になるが、井上尚美氏の「論理力」7要素というメモ書きが見つかった。いろんな分類があるものだとつくづく思う。

①比較 ②分類 ③分析 ④構想 ⑤評価 ⑥選択 ⑦推論

 「『論証』とは筆者の意見の妥当性を検証」と当時のメモに書いてある。

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May 23, 2019

「文章法」とは何か?

 松本成二氏は、「文章法の原則 リレーションの三大種類」として、3つを挙げている(『現代文の科学的研究1』P46)。

①同一指示(coreference) 
②分析(analysis) 敷衍(paraphrase・amplyfication)
③近接(contiguity)類似(similarity)
  
  さて「近接と類似」って何だ?
  実は、1990年にこの本を読んでいながら、「近接と類似」は、ずっと保留したままだった。
  松本氏の書籍でも、「近接と類似は少しその概念がつかみづらい」と書いてある(P124)
 手持ちの書籍を見ても、図書館に行っても、書店に行っても、ネットで調べても、なかなか明快な解説を得ることができなかった。ネット検索すると、人工知能のような分野でヒットする。

  かすかに理解できたのが、以下のような記載。
 =============
◆連想というのは,あることと他のことの間に何らかの関連性があると感じることである。
  心理学では、この連想のもととなる関連性を「類似性(similarity)」と「近接性(contiguity)」に分ける。

  類似性は2つの物事が似ているということで、これは形状,色彩、材質、機能,組成などさまざまの面に関して認められる。
  近接性は2つの物事の間に特別に近い関係があるということで,その関係は空間的なものばかりではなく、時間的、あるいは因果関係的なものまで、様々な場合がある(p133)。

   例) 白→黒      (類似性)
      白→雪・雲・塩・米 (近接性)

  『意味の世界:現代言語学から視る』池上嘉彦著
 =============

・・・松本氏のもう1冊の書『知の学としての国語』(2013年)の解説を簡略化して示す。結局、この解説が一番分かりやすかったのだ。

 ==========
 R・ヤーコブソン
「すべてのテキストは、類似性(simirarity)と近接性(contiguity)とで形の上でも内容的にも展開され、組み立てられている」

  言葉の【類似性】とは、まったく同じ言葉で繰り返したり(同一語 tautology)、似た言葉に置き換えたり(同一指示語 coreference)すること。
  言葉の【近接性】とは、「冬と寒い・雪とスキー」のように、ふつういつも存在するもので置き換えること。
 =============

・・・どうして、「類似・近接」にこだわるかというと、松本氏が次のように主張しており、受験国語の「基本のキ」だからだ。

===============
テキスト展開の本質は「似た言葉を絶えず繰り返し」たり、「いつも一緒にある言葉で繰り返し」たりすることにあるというヤーコブソンの原理は、空欄補充の設問にも、選択肢設問にも、整序問題にも、その他あらゆる設問の解析に使える。P16
================

・・・このヤーコブソンの原理を読むと「類似性」「近接性」が大事なことが分かる。

ただ、松本氏が引用した次のハリスの言葉を読むと、「敷衍(paraphrase)」も大事だということが分かる。

 ==============
Z・S・ハリス
「言語表現の本質は、絶えざる言い換え(paraphrase)であり、ある言語表現は、同じ言語で翻訳されることを前提としている。
  一つの言語表現を理解するとは、絶えざる言い換え(paraphrase)を理解することだ」(P13)
============== 

・・・、むしろ「言い換え」と類似・近接」の区別がつかなくて、まだまだ保留が続くのだ。


 参考(というより理解できなかった文献例)
◆ロマン・ヤコブソンのコミュニケーション論
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/slavic-studies/56/08asazuma.pdf

◆ローマン・ヤコブソンによる言語の二軸理論
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/Biaxial_theory_Roman_Jakobson.html

◆初心者のための記号論-

http://www.wind.sannet.ne.jp/masa-t/retorikku/rhetoric.html
 ◆ウイキペデイア「デイヴィッド・ヒューム」の認識論
ヒュームは『人間本性論』では、人はどのように世界を認識しているかという認識論より検討を始めている。
 人間の知覚(perception、これはヒューム独自の用法であり、心に現れるもの全てを指す)を、印象(impression)と、そこから作り出される観念(idea)の二種類に分けている。
 印象と観念には、それぞれ単純(simple)なものと複合(complex)なものとがあり、全ての観念は印象から生まれると主張した。
そして印象は観念の源泉となるが、観念から印象は生じないとした。
これらの観念が結合することにより知識が成立され、この結合についてはヒュームは二種類の関係を想定した。
 一つを「自然的関係」と呼び、もう一つを「哲学的関係」と呼んだ。
 前者は「類似(similarity)」「時空的近接(contiguity)」「因果関係(causality)」であり、後者は量・質・類似・反対および時空・同一性・因果である。

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May 07, 2019

小中学校の学テ問題から、大学入試まで

◆文部科学省「大学入学者選抜改革推進委託事業」選定事業

個別学力試験「国語」が測定する資質・能力の分析・評価手法に関する研究~記述式問題を中心に~

 という報告書がある。A4で41ページ分。

http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/senbatsu/__icsFiles/afieldfile/2019/01/22/1397824_001.pdf

  27年度の大学入試問題(旧帝国大学)の分析なので、今後のことは分からないが、現状を理解するには参考になった。以下、まとめながら示す。

 P6~7

◆「文脈に照らし筆者の主張(考え)の理由を問う」設問

 →出題者の意図と合致し,かつ求められている能力に対応した記述ができることがポイント。

(1)字数制限がない場合は、解答する「文脈」の範囲をどこまで拡げて記述するかで解答する内容や文章表現が変化する。

  だから、「小説における自由記述問題では,文章中には表現されていないことを自分の頭の中で想像して読み解いて記述する必要があるため,多種多様の解答が生じる」。

 (2)字数制限がある場合は、本文読解で理解できた内容を制限字数内で要約して記述する力が求められる。

 ・・・受験生からすれば、字数制限は「ヒント」である。字数制限があるかないかは、出題者の意図が違うと言えるし、求められる能力が違うとも言える。

 私が興味深いと思ったのは研究チームが設問内容を24項目に分類してみたが、15項目しか出題されていないことだ。

【出題された設問】

①本文全体を読み筆者の主張(考え)を問う ②登場人物の心情を問う

③文脈に照らし指示語の内容を問う ④語句の意味を問う ⑤文の意味を問う

⑥ 文の示す状況を問う ⑦筆者の主張(考え)を問う

⑧筆者の主張(考え)の根拠や理由を問う

⑨登場人物の心情を問う ⑩ 登場人物の心情の理由を問う 

⑪登場人物の行動を問う ⑫ 登場人物の行動の理由を問う

⑬登場人物の考えを問う ⑭登場人物の関係性を問う

⑮本文を踏まえて想像できることを問う

 【出題されなかった設問】

①文脈に照らし 登場人物の考えの理由を問う ②段落等の要約を問う

③本文の要約を問う ④データを読み出し,結果を考察させる

⑤情報を分析した上で仮説を形成させる 

⑥筆者の主張を踏まえて,言えること/言えないことを問う

⑦本文におけるある部分の位置付けや役割を問う

⑧文章の構造と接続詞の関係を問う

⑨表現の特色を問う

  さらには、こうした設問の分類が人によって異なることも問題で、以下のような指摘があることが、まだまだ国語が科学的でない実態の表れだ。

 ◆設問の文言と内容の解釈において,WG構成員が全員同じ分類軸に分類できるものもあれば,異なるものもあった。多くの分類者が同じ分類軸に分類できなければ,フォーマットによる分類やその結果は,妥当性に欠けることとなる。P8

  また、P12には興味深い記載があった。一部を改変して示す。

 ◆小学校6年生と中学校3年生を対象とした全国学力・学習状況調査[国語]では,PISA調査 [Reading Literacy]の出題及び結果をふまえて,従来の国語科試験では出題されていない設問が出題されている。

 しかし、この種の設問は,平成27年度の大学入試「国語」の問題群には,ほとんど存在しない。PISAReading Literacy]で測定しようとしている能力に関して,義務教育段階では対応が始まっているが,現時点での大学入学試験では対応が難しいのではないかということが類推できた。

 P13の表(フォーマット)には、PISAに対応した設問の分類もなされていた。

 【テキストの精査・解釈】

①テクストの一部分を把握・理解する

②テクストの複数部分を通貫して説明(解釈)する

 ※指示語が指している内容を抜き出す、指示語が指している内容を要約して説明するなど。

③テクストの全体を把握・理解して説明(解釈)する

④テクストを編集・加 工・操作し て説明(解 釈)する

 ※読み取った情報(連続テクスト)をもとにして位置関係を示す、読み取った情報(連続テキスト)をもとにして計算等を経て結果を説明するなど。

 【考えの形成・深化(自分の考え)】

⑤テクスト以外の考え(知識・体験)を組み込んで説明す(論じ)

⑥複数のテクストを比較検討して説明(論じ)

⑦表、グラフなどの 定量的テクストの分 析をふまえて、説明 す(論じ)*?

 ※読み取った情報(非連続テクスト)をもとにした判断を説明する。ただし、ここでは、文 

  章(連続テキスト)の一部として図表(非連続テクスト)が挿入されていて、図表の解釈が 

  解答するために不可欠な場合とする。

⑧テクストによって触発された自分の考えを論じる

⑨構成・表現形式を理解(解釈)して論じる

 ◆旧帝国大学系が出題している問いを含めて,多くの問いは,「テクストの精査・解釈」に分類される。第3フォーマット①②③欄である。ほとんどの問いは,テクスト内部の解釈が正確に読解できるかどうかを見ている。日本の国語科教育が伝統的にとってきた「読解」の定義にあてはまる。

 東京大学及び京都大学では,テクスト内部の正確な解釈だけでは説明出来ない問いがある。つまり,⑤欄に分類される問いが多い。しかし,1つのテクストの提示に止まっている。複数のテクストを比較検討して解答するという問いはない。つまり,⑥欄に分類される問いはない。

(中略)

 つまり,国語科という枠の試験では,テクスト内部の正確な読解ができているかどうかを問うことが一般的となっている。「(自分の)考えの形成・深化」を見ていない。あるいは,国語科という枠内では,このことを問うのが困難なのかもしれない。

 ただし,一部の大学では,旧帝国大学系が踏みだしていない④⑦⑨欄に分類される問いを出題している。全国学力調査のB問題などに類する問いである。

 

・・・さて、2020からスタートする大学入試改革によって、これまでほとんど存在しなかったPISA型の問題が出題されるだろうか。

 これまでのプレテストを見ると、PISA型問題が出題される。YESだ。

しかし、従来の大学入試では出題されていないのだから、ノウハウは少ない。

ところで、小中学校の実践では、全国学テ問題に対応が始まっている。

小中から大学入試を貫く国語のノウハウが見えてきそうだ。

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May 06, 2019

美智子さまの講演録

地元中日新聞に、美智子さまの1998年の講演録が再掲された。
久しぶりにこの講演録を読んでみて、改めて素晴らしい内容だと思った。

第26回IBBYニューデリー大会(1998年)基調講演
子供の本を通しての平和--子供時代の読書の思い出--美智子
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/ibby/koen-h10sk-newd...

美智子さまが紹介した新見南吉の「でんでんむしのかなしみ」。
美智子さまの語る粗筋で引用すると
==========
そのでんでん虫は,ある日突然,自分の背中の殻に,悲しみが一杯つまっていることに気付き,友達を訪ね,もう生きていけないのではないか,と自分の背負っている不幸を話します。
友達のでんでん虫は,それはあなただけではない,私の背中の殻にも,悲しみは一杯つまっている,と答えます。
小さなでんでん虫は,別の友達,又別の友達と訪ねて行き,同じことを話すのですが,どの友達からも返って来る答は同じでした。
そして,でんでん虫はやっと,悲しみは誰でも持っているのだ,ということに気付きます。
自分だけではないのだ。私は,私の悲しみをこらえていかなければならない。
この話は,このでんでん虫が,もうなげくのをやめたところで終っています。
==========

 このお話は、すごく深い。
 人は誰しも悲しみを背負っている。
 自分だけが理不尽な苦しみを背負っていると思いたくなることもある。しかし、結局のところ辛いのは自分だけじゃない。
 それが分かることで、人は強く優しくなれるのだと思う。

 合わせて感動したのは、美智子さまのコメントだ。

=============
この話は,その後何度となく,思いがけない時に私の記憶に甦って来ました。
殻一杯になる程の悲しみということと,ある日突然そのことに気付き,もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが,私の記憶に刻みこまれていたのでしょう。
少し大きくなると,はじめて聞いた時のように,「ああよかった」だけでは済まされなくなりました。
生きていくということは,楽なことではないのだという,何とはない不安を感じることもありました。それでも,私は,この話が決して嫌いではありませんでした。。
(中略)
読書は私に,悲しみや喜びにつき,思い巡らす機会を与えてくれました。
本の中には,さまざまな悲しみが描かれており,私が,自分以外の人がどれほどに深くものを感じ,どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは,本を読むことによってでした。
自分とは比較にならぬ多くの苦しみ,悲しみを経ている子供達の存在を思いますと,私は,自分の恵まれ,保護されていた子供時代に,なお悲しみはあったということを控えるべきかもしれません。
しかしどのような生にも悲しみはあり,一人一人の子供の涙には,それなりの重さがあります。
私が,自分の小さな悲しみの中で,本の中に喜びを見出せたことは恩恵でした。
本の中で人生の悲しみを知ることは,自分の人生に幾ばくかの厚みを加え,他者への思いを深めますが,本の中で,過去現在の作家の創作の源となった喜びに触れることは,読む者に生きる喜びを与え,失意の時に生きようとする希望を取り戻させ,再び飛翔する翼をととのえさせます。
悲しみの多いこの世を子供が生き続けるためには,悲しみに耐える心が養われると共に,喜びを敏感に感じとる心,又,喜びに向かって伸びようとする心が養われることが大切だと思います。
そして最後にもう一つ,本への感謝をこめてつけ加えます。
読書は,人生の全てが,決して単純でないことを教えてくれました。
私たちは,複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。
人と人との関係においても。国と国との関係においても。
==============

 長い講演録だが、「悲しみを乗り越える」で一貫していることが分かる。
 個人の体験だけではあまりに狭い。だからこそ、読書体験によって視野を広げ、見識を広げよと述べている
 本当に奥深い。
 これほどの講演ができる美智子さまは素晴らしいと今回も痛感した。

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May 05, 2019

宝暦治水薩摩工事義歿者の墓

 自宅のある一宮市と、岐阜県羽島市は木曽川を隔てた隣同士である。

 羽島市の竹鼻別院に藤棚があるというので行ってきた。
 そして、藤棚よりも「宝暦治水薩摩工事義歿者の墓」があることに目が釘付けになって帰ってきた。

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◆羽島市は清流木曽川と長良川に挟まれた水と緑の恵み豊かな都市です。
 しかし、時に自然はその強大な力を私達に見せつけ、昔から人々を苦しめてきました。
 「水との戦い」。それは羽島の歴史を語る上で決して忘れてはならない記憶なのです。

◆境内の藤棚の隣には宝暦治水工事の幕臣として御小人目付を任ぜられ、後に自刃した竹中伝六喜伯の墓(県史跡)があります。

https://www.city.hashima.lg.jp/0000000240.html
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 なお、宝暦治水の経緯については、以下の羽島市のHPに詳しいので、ざっと目を通してほしい。薩摩藩に工事を命じた幕府側が、いかに薩摩に対して無理難題を押し付けたかが分かる。

https://hashima-rekimin.jp/satumagisi.html

 薩摩側の義士はたくさんの割腹自殺者を出した記録がある。
http://www.kasen.net/@5/kiso/houreki/index.htm

 しかし、竹中は、木曽三川工事を請け負った薩摩藩の人間ではなく、幕府側の人間である。
 薩摩藩の人間でないのに、なぜ竹中は自刃したのか。
 墓の脇の看板には次のようにあった。

◆これは幕府側としては二人目であって、その理由は遺書もなく不明であるが、二十九歳という若さと役目柄からみて、恐らくは監督上の責任を負ったものと思われる。

 HPには、次のような解説もあった。

◆宝暦5年1月13日割腹にて自害。自刃の真意は遺書が無く不明。
木曽・長良川の分流工事の幕府方御小人目付として赴任。
薩摩義士への度重なる工事妨害に付いて、幕府方と薩摩義士方の板ばさみとなり、工事監督上の責を負って自刃した。

http://www.fuwaiin.com/kenendou/hasima-rekisi-sanpo/hasima-satumagisi.htm#1

・・・江戸幕府は薩摩藩の財政を圧迫するため、無理矢理、木曽三川の工事を命令した。
 『千本松原』(岸武雄作・あかね書房)には,工事責任者の平田靭負は「おおよそつぎのようなことを語った」と書かれている。

 「美濃の国の百姓は,われわれ薩摩の国にとっては、えんもゆかりもないようにみえるが,考えてみれば同じ日本の国の人間,いわば兄弟のようなもの。その兄弟が長いあいだ苦しんでいると聞くからには、いのちをかけて助けるのが薩摩武士の本分ではござらぬか。たしかに裏を考えれば徳川のいろいろなはからいもあろうが、ここはひとつ,歯を食いしばってこらえ、『お手伝い普請』をすなおに受けようではないか。それは、お家をすくうためでもあり、薩摩武士のほまれのためである」

 工事完了の後、平田靭負は薩摩藩に多額の借金を背負わせ、たくさんの犠牲者を出したことの責任を取って自刃した。
 その4か月前に幕府側の竹中が自刃していることになる。

宝暦5年1月13日幕府役人竹中伝六自害(竹鼻別院)
宝暦5年5月25日平田靱負割腹(大黒寺、海蔵寺)

 竹中の自刃は、薩摩義士に苦難を強いた自責の念であろうか。

「逆川(一の手・羽島市)でも工事完成間近になると密令された者によって、工事完了区域が破壊されるなど非情なものであった」といった幕府側へのやり口への抗議であろうか。

 竹中は「薩摩義士」ではない。
 だから「宝暦治水薩摩工事義歿者の墓」という表記がされている。
 幕府側にも、薩摩義士の苦しみを汲んだ竹中のような者がいたということだ。

 かつて、「道徳『輪中の人々を救った人たち』」というコンテンツをTOSSランドにアップした。
 アップしたから終了ではない。
 しっかりアップデートしていかねばと思った。
http://www.tos-land.net/teaching_plan/contents/2372

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