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May 05, 2019

宝暦治水薩摩工事義歿者の墓

 自宅のある一宮市と、岐阜県羽島市は木曽川を隔てた隣同士である。
 羽島市の竹鼻別院に藤棚があるというので行ってきた。
 そして、藤棚よりも「宝暦治水薩摩工事義歿者の墓」があることに目が釘付けになって帰ってきた。

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◆羽島市は清流木曽川と長良川に挟まれた水と緑の恵み豊かな都市です。
 しかし、時に自然はその強大な力を私達に見せつけ、昔から人々を苦しめてきました。
 「水との戦い」。それは羽島の歴史を語る上で決して忘れてはならない記憶なのです。

◆境内の藤棚の隣には宝暦治水工事の幕臣として御小人目付を任ぜられ、後に自刃した竹中伝六喜伯の墓(県史跡)があります。

https://www.city.hashima.lg.jp/0000000240.html
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 なお、宝暦治水の経緯については、以下の羽島市のHPに詳しいので、ざっと目を通してほしい。薩摩藩に工事を命じた幕府側が、いかに薩摩に対して無理難題を押し付けたかが分かる。

https://hashima-rekimin.jp/satumagisi.html

 薩摩側の義士はたくさんの割腹自殺者を出した記録がある。
http://www.kasen.net/@5/kiso/houreki/index.htm

 しかし、竹中は、木曽三川工事を請け負った薩摩藩の人間ではなく、幕府側の人間である。
 薩摩藩の人間でないのに、なぜ竹中は自刃したのか。
 墓の脇の看板には次のようにあった。

◆これは幕府側としては二人目であって、その理由は遺書もなく不明であるが、二十九歳という若さと役目柄からみて、恐らくは監督上の責任を負ったものと思われる。

 HPには、次のような解説もあった。

◆宝暦5年1月13日割腹にて自害。自刃の真意は遺書が無く不明。
木曽・長良川の分流工事の幕府方御小人目付として赴任。
薩摩義士への度重なる工事妨害に付いて、幕府方と薩摩義士方の板ばさみとなり、工事監督上の責を負って自刃した。

http://www.fuwaiin.com/kenendou/hasima-rekisi-sanpo/hasima-satumagisi.htm#1

・・・江戸幕府は薩摩藩の財政を圧迫するため、無理矢理、木曽三川の工事を命令した。
 『千本松原』(岸武雄作・あかね書房)には,工事責任者の平田靭負は「おおよそつぎのようなことを語った」と書かれている。

 「美濃の国の百姓は,われわれ薩摩の国にとっては、えんもゆかりもないようにみえるが,考えてみれば同じ日本の国の人間,いわば兄弟のようなもの。その兄弟が長いあいだ苦しんでいると聞くからには、いのちをかけて助けるのが薩摩武士の本分ではござらぬか。たしかに裏を考えれば徳川のいろいろなはからいもあろうが、ここはひとつ,歯を食いしばってこらえ、『お手伝い普請』をすなおに受けようではないか。それは、お家をすくうためでもあり、薩摩武士のほまれのためである」

 工事完了の後、平田靭負は薩摩藩に多額の借金を背負わせ、たくさんの犠牲者を出したことの責任を取って自刃した。
 その4か月前に幕府側の竹中が自刃していることになる。

宝暦5年1月13日幕府役人竹中伝六自害(竹鼻別院)
宝暦5年5月25日平田靱負割腹(大黒寺、海蔵寺)

 竹中の自刃は、薩摩義士に苦難を強いた自責の念であろうか。  「逆川(一の手・羽島市)でも工事完成間近になると密令された者によって、工事完了区域が破壊されるなど非情なものであった」といった幕府側へのやり口への抗議であろうか。

 竹中は「薩摩義士」ではない。
 だから「宝暦治水薩摩工事義歿者の墓」という表記がされている。
 幕府側にも、薩摩義士の苦しみを汲んだ竹中のような者がいたということだ。

 かつて、「道徳『輪中の人々を救った人たち』」というコンテンツをTOSSランドにアップした。
 アップしたから終了ではない。
 しっかりアップデートしていかねばと思った。
http://www.tos-land.net/teaching_plan/contents/2372

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