AIの限界を「言語コード論」で解釈する
新井紀子氏は講演の中で、「今のAIは、問われた内容を論理的に認識しているわけではなく、統計的な処理をしているだけだ」と言われた。
例えば
①「市内」の「イタリアン」の、おいしい「店」と問われても
②「市内」の「イタリアン」以外の、おいしい「店」
③「市内」の「イタリアン」の、おいしくない「店」
と問われても、同じ店が出ることがある。
同じ「」内の3つのワードで情報検索をかけているからだ(新井氏の話を私がアレンジしました)。
新井氏の意見は以下の記事からも分かる。
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20180211-00081509/
この話を聞いて「言語コード論」を思い出し、ダイアリーで確かめてみた。
◆バーンステインの「言語コード論」
労働者階級の子どもが中産階級の子どもに比べて、学校で成功しにくい(よい学業成績をおさめにくい)理由を探る中で、彼が注目したのが「子どもたちの言語使用」である「言語コード」であった。
中産階級の家庭では、5W1Hが伝わる「精密コード」での会話がされる傾向が強い。
一方、労働者階級の家庭では、「メシ・フロ・寝る」のような単純な言葉(限定コード)で会話が成立することが多い。
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文化伝達の機関である学校では、授業を中心とするほとんどのコミュニケーションが精密コードでなされるため、それに習熟しているMC(ミドルクラス)の子どもたちは成功しやすく、逆に習熟していないWC(ワーキングクラス)の子どもたちは成功しにくくなる。
端的に言うならば、母親の話す言葉と先生の話す言葉とが近いWCの子どもたちはスッと自然に学校生活に入っていけるのに対して、その両者のギャップが生じやすいWCの子どもたちは、学校不適応・学力不振に陥りやすいというわけである。P101
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もし、日本の家族の会話が総じて「限定コード」であるとしたら、それもまた、日本人が「ロジカルシンキング」に弱いことの要因の1つだと考えられる。
・・・自分勝手な判断だが、今のAIは「メシ・フロ・寝る」のような「限定コード」レベルなのだと思う。
AIに負けない人間になるためには、まずは「精密コード」の言語環境が必要なのだ。
さて、「言語コード論」では、カッコつけすぎなので、もう少し身近な言い方をすると
◆文意を捉える際に、付属語が極めて大事であることを教える
である。
◆「てにをは」1語もおろそかにしない。
とも言える。
中学校で文法を教えている時、付属語によって文意が変わるので慎重に扱うように教えてきた。
当然だが、次の2文は、1文字違いで主格が逆になる。
「僕は、君が、好きだ」
「僕を 君が 好きだ」
「私は あなたを 好きよ」なら脈はあるが、
「私は あなたも 好きよ」と言われたら、あきらめよう
などと冗談交じりに話してきた(今、気づいたが「あきらめよ」と「あきらめよう」もニュアンスが全然違う)。
「○○君でも100点とれたんだ」と言われたら、○○君は全然褒められてないよね、なんて例も出してきた。
大人の社会も同じで、通知票の所見について以前、次のようなダイアリーを書いたことがある。
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「は」と「が」の違いは、副助詞と格助詞の違い。
「〇〇が」は主語になるが、「〇〇は」は主語でないと主張する人もいる。例えば三上章だ。
「宿題をちゃんとやってきます」
と書けばいいところを
「宿題はちゃんとやってきます」
と書いた所見を読むと「宿題以外はやってこないことを言いたいんだな」と思ってしまう。
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スポーツライターの青島健太氏が羽生結弦の言葉に心を打たれたのも、わずかな言葉の違いを読み取ったからだ。
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男子シングルの開幕を翌日に控え、記者に日本選手団「金メダル1号」の重圧について聞かれた時の返答だ。
羽生結弦は、言った。
「誰が取ろうが、僕も取ります」
私は、この言い方に一瞬のうちに魅了された。平易な物言いの中に、強い意志が込められている。
「僕が」でもなく「僕は」でもなく、「僕も」であることが最高だ。
「僕が」や「僕は」には、自分を押し出す強い主張がある。
一方、「僕も」には、過剰な力みや強引さがない。強い思いがありながら、どこかに謙虚さがある。
他者の活躍を期待しつつ、僕も頑張りたいという気持ちが素直に表れている。
ここに羽生選手の素晴らしさ(競技への姿勢と考え方)が、見事に出ている気がする。
https://business.nikkei.com/atcl/report/16/122600093/022300057/?P=3
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現在のAIは、こうした付属語の理解・ちょっとした表現の差の理解が不十分のようだ。
むろん、新井氏のリーデイングスキルテストでは、子供たちも、このような差異が読み取れない実態が明らかにされている。
主語・述語になるような部分だけ掴んで理解した気になっていると、大きな間違いを犯す。
AIに負けない人間の強みは、まさに「言語力」なのだということが分かる。
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