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July 29, 2019

『わかったつもり~読解力がつかない本当の原因~』

 久しぶりに書棚にある『わかったつもり~読解力がつかない本当の原因~』西林勝彦著(光文社新書)2006年7刷をめくってみた。
 帯に「『ドラゴン桜』でも教材に」とある懐かしい1冊だ。
 すっかり忘れていたので、新鮮な驚きがたくさんあった。
 自分の問題意識が変わったから、以前ひっかからなかった箇所にひっかかるのかもしれない。
 結局10年前は、「分かったつもり」レベルで読了したのだとも言える。

今回、脳裏に浮かんだのは「三角ロジックと同じ理屈だ!」ということ。

例えばP32に【小銭がなかったので、車を持って行かれた】という一文がある。
「ので」でつないであるから「原因ー結果」であることは分かる。

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 【小銭がなかったので、車を持って行かれた】
 
   根拠   →   主張
   原因   →   結果
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 しかし、いくら【原因→結果】だと分かっても、多くの人は何のことか意味が分からない。
 ここに【コインパーク】というワードが入ると、駐車場の場面が浮かんでくる。
 【コインパークは小銭を入れないと、駐車違反とみなされるから】という解説(理由)があると「ああ、そういう意味か」と理解できる。
 この場合の「コインパーク」は、「理由」と呼ばれたり「前提」と呼ばれたりする。

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前提 コインパークには小銭を入れないと使えないのに
原因 私は小銭がなかったから
結果 駐車違反になった(車を持っていかれた)
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というロジックになる。

 【小銭がない】と【車を持っていかれた】を関連づけるための「コインパーク」があると、文脈がわかる。
 部分間の関連を理解する「コインパーク」が文中の記述の場合もあれば、自分の知識や常識による場合もある。
 文中にないからといって必ずしもルール違反ではない
 ただし、自分の常識が邪魔をして、提示された文章を正しく読み取れなくなることもある。「思い込みによる誤読」だ。

 「思い込みによる誤読」と言えば、最近書いた「ゲシュタルト知覚」とも重なってくる。10年前には自分の頭に中になかったワードだ。

◆「ゲシュタルト知覚」とは、より多くの情報を簡単に処理するために少ない情報をもとに、脳が補ってある認知をすること。
  プラスで言えば、少ない情報から類推して効率的に情報処理できること。
  マイナスで言えば、思い込みや早合点をおこすこと。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2019/05/post-cf3db3.html


 「早合点・思い込み」はAIでも起こるミスだと言う。
 「わかったつもり」とよく似ていると思う。

今回、脳裏に浮かんだのは「三角ロジックと同じだ」ということ。

「三角ロジック」を知ったのが2年ほど前。
直接的には鶴田清司氏の書籍だが、ロジックの元になる「トゥールミンモデル」は、もう少し前から、聞きかじってはいた。
https://ameblo.jp/gen-dai-bun/entry-12356809584.html


 国語の授業で「表にしてまとめる」という活動がよく行われる。社会科でも表にまとめる活動は多い。
 学テでも、表に書いてあることを読み取らせることは多いから、「文章を表にする」と「表の内容を文章化する」という双方向の力が求められていると言えるだろう。

『わかったつもり~読解力がつかない本当の原因~』西林勝彦著(光文社新書)では、「もしもしお母さん」という三匹のねこのお話を表にまとめる場面がある。
 西林氏は、3匹の子ねこの「性別」「性格「もらわれ先」「話した内容」「母ねこの言葉」などを表にしてまとめることを「個体識別」と呼んでいる。

◆こうして「個体識別」の表を埋めていく過程において、私たちは以前とは異なる、より細かな文脈を使い、部分から異なる意味を引き出して、「わかったつもり」から脱出しようとしていたことになるでしょう。pP72

 西林氏の用いる「文脈」は「読みの視点・観点・切り口」と同じだと理解した。
「時間軸」「色彩」「心情描写」「情景描写」「対比構造」のような切り口で表を作ることがあるからだ。

 文章を読み取って表にすることについては、数学的処理との関連で2年前にダイアリーで書いた。
 「そもそも『論理的に考える』って何から始めればいいの?」(日本実業出版社)に出てくる「整理って何をすることなの?」というQに対して、「一言で言うと、表を作ることです」というAに衝撃を受けたからだ。

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たとえば、「ごんぎつね」を整理する場合、切り口は様々にあるが、場面ごと(時系列)が大前提になるから

    ごんの行動  兵十の行動
1場面   〇〇    △△
2場面   〇〇    △△
3場面   〇〇    △△

というような表にすることができる。むろん切り口は「ごんの行動」「ごんの心情」でもかまわない。そこは授業者が決めればいい。
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 また、2つの事象を関連付けたクロス集計についても2年前のダイアリーに書いたし、4年前に授業技量検定で指導案に書いたことがある。
 西林氏の「個体識別」というワードは今でも十分理解していない。
 だが、表にまとめることについては10年前よりも理解が進んでいたので、今回、納得する点が多かった。


 読解した内容を表にして整理するにしろ、話し合いをするにしろ、大事なのは「切り口」だ。
 とりわけ高段者の先生の国語の授業では、あっと驚くような切り口で思考させられることが多い。
 たとえば「話者はどこにいますか」、「どこを見ていますか」、「AですかBですか」など。
 AB選択の場合は、「解釈Aしか考えてこなかった子どもに新たな解釈Bを提示して比較検討させる」というような意味で思考の幅を広げさせる。

 これらは「あれども見えず」「わかったつもり」を浮かび上がらせる手段だ。
 教師もざっと読んだだけでは、「あれども見えず」が分からない。100発問のような課題を自分に課すと、ようやく自分自身の「あれども見えず」が浮かんでくる。

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 あまり難解な文章でなければ、ざっと読んで「わかり」ます。そして、読むこと一般、たとえば新聞や雑誌の記事、ネットの情報を読んだりすることを考えれば、ほとんどの場合は、その程度のわかりかたでよいのだろうと思います。
しかし、(中略)当該の文章を足がかりに、そこから応用や探求へと進んでいかなければならなかったりすることがあります。
ざっと読んで「わかる」以上のわかり方が要求される場合です。
そのようなときに、「よりよくわかる」ための障害は、文章を「わからない」ことではなくて、文章を読んで「わかったつもり」になることです。P78
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という西林氏の指摘に納得した。以下の指摘も同じだ。

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「読む」という作業に支障をきたすのは、「わからない」せいだと一般には考えられています。このことは「わからない」から「わかる」に達する過程ではその通りです。
 しかし、「わかる」から「よりわかる」うえで必要なのは、「わかったつもり」を乗り越えることなのです。「わかったつもり」が、そこから先の探究活動を妨害するからです。P73
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「わかったつもり」には、「物足りない読み」と「間違った読み」があると言う。
 読みの浅さを自覚させたり、間違った読みを正したりするために、授業では鋭い発問による切り込みがある。
 鋭い発問が思い浮かばなければ、まずはある観点に沿って表にまとめさせてみるだけでもよい。


 国語の授業では、一読で「分かったつもり」レベルのことを「より分かった」「よりよく読めた」という状態にするために、問答法や図表化を用いて部分と部分の関連を緊密にするのだと西林氏は言う。
 一読だけでは本当はよく分かっていないのに、「わからない点はなかった」「自分の分かり方に不満はない」と満足してしまうと、そこで読みのレベルも終わってしまう。

◆浅いわかり方から抜け出すことが困難なのは、その状態が「わからない」からではなくて「わかった」状態だからなのです。P40
◆「わかったつもり」が、そこから先の探索活動を妨害するからです。P41

 「分からないところはないかを意識しながら読む」「疑って読む」「矛盾を指摘するように読む」と考えると、「クリテイカルシンキング」の重要性が見えてくる。
 
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(ⅰ)事実等を解釈し,説明することにより自分の考えを深めること

  事実等を正確に理解した後,それを自分の知識や経験と結び付けて解釈することによって自分の考えをもつこと,さらにその自分の考えについて,理由や立場を明確にして説明することなどを通じて,自分の考えを深めていくことが重要である。
  また,他者の考えを認識しつつ自分の考えについて前提条件やその適用範囲などを振り返るとともに,他者の考えと比較,分類,関連付けなどを行うことで,多様な観点からその妥当性や信頼性を吟味し,考えを深めること,すなわち「クリティカル・シンキング」も大切になる。
  そのため,自分の考えを深める指導を行う際には,(1)事実等を知識や経験と結び付けて解釈し,自分の考えをもたせるようにすること,(2)自分の考えについて,探究的態度をもって意見と根拠,原因と結果などの関係を意識し,説明する際にはそれを明確に示すこと,(3)自分の考えと他者の考えの違いをとらえ,それらの妥当性や信頼性を吟味したり,異なる視点から検討したりして振り返るようにすることなどに留意することが大切である。

「言語活動の充実に関する指導事例集【小学校版】」第2章 言語の役割を踏まえた言語活動の充実 イ(ⅰ)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/gengo/1300858.htm
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 「なんとなく分かったつもり」で安心してしまうと、読解力の精度が上がらない。
 まさに「ぼーっと読んでんじゃねえよ」ということだ。 

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