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August 31, 2019

LINE;によって阻害される「文脈形成力」

    先日講演を聞いた愛知教育大学の丹藤博文氏は、スマートフォンの普及と「ライン」によるコミュニケーションについて、「想像力・識字能力」「文脈形成力」の問題があると指摘された。

・本を読まない。
・動画などの視覚的映像を好む
・ラインのような単語的なコミュニケーションを好む

といった傾向が、悪い影響を与えることは想像に難くない。
ただ、世の中の流れが変わらないなら、そのような状況でどんな手を打つかを講じるしかない。
今さら読書離れが止まり、動画視聴が減り、ラインによるやりとりがなくなるとは考えられないからだ。

いくら文句を言っても、今の傾向は加速することはあっても、減速することはない。

かつて、バーンステインの「言語コード論」を引用したことがある。
 
 労働者階級の子どもが中産階級の子どもに比べて、学校で成功しにくい(よい学業成績をおさめにくい)理由を探る中で、彼が注目したのが「子どもたちの言語使用」である「言語コード」であった。
 中産階級の家庭では、5W1Hが伝わる「精密コード」での会話がされる傾向が強い。
 一方、労働者階級の家庭では、「メシ・フロ・寝る」のような単純な言葉(限定コード)で会話が成立することが多い。


ラインの会話も、こんな感じか。極力短い言葉でやるとりを済まそうとする。場合によっては、意思表示を定型のスタンプで済ませてしまう。
日本中が単純な言葉(限定コード)で会話が成立する世の中で、どんな問題が起きるだろうか。あるいはどんなよいことが起きるだろうか。

新井紀子氏の講演でも、AIも大半の大学生も、単語でしか思考していないとの指摘があった。限定コードだ。

精密コード、つまりきちんと文章で会話する家庭環境、教室環境の確保に努めねばならない。

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読解力は抽象化の力

 国語の授業は、作品が変わると、新しくゼロから取り組むようなところがあって、積み上げが難しいと言われる。

作品が変わるごとに授業のアプローチを変えるからそんなことになる。

 先のブログで次のように書いた。

◆算数の計算問題が10問あるとき、低い子は違いにばかり目がいくから10問全部にエネルギーを注ぐ。一方学力の高い子は「〇〇の違いはあるけど、△△という点では同じ」と一段高い抽象度で問題を括ることができるから10問のエネルギーがいらない。

 「犬・猫・人間」を「哺乳類」で括るように、「白いぼうし」と「一つの花」と「ごんぎつね」の共通項をとらえて抽象度を上げる思考が必要だ。
  どれも「物語」だから、場面設定がある・主人公の変化がある・主役と対役がいる・起承転結がある・語り手の視点があるなどなど。説明文なら「問い」と「答え」があり、序論ー本論ー結論がある。筆者の主張と具体例があるというように。

 先週は、県の国語研究会があって、愛知教育大学の丹藤博文氏が講演された。
 物語教材の「読まれ方」として
①人物の変容
②はじめー中ー終わりの構成
③語り手の視点
などについて、解説があった。

 三人称視点や一人称視点があることは、国語を教える先生なら誰でも知っておくべきことだ。
 それを分析批評や西郷文芸研や読み研といったある特定の団体の用語のように受け止めてアレルギー反応を起こしているとしたら不幸なことだ。
 1つの作品で学んだ力が、次の作品に生かせるような授業の積み上げをスタンダードにしていきたい。

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21世紀型のキーワード

先日、動員で県の教育講演会に行った。

講師は都留文科大特任教授の石田勝紀氏。教育デザインラボ代表の肩書きもある。東洋経済オンラインで「ぐんぐん伸びる子は何が違うのか」の連載を担当しているそうだ。

(1)
印象的だったのは、20世紀型キーワードと21世紀型キーワードの対比

論理ーー感性、発想力
ピラミッド型組織ーーネットワーク型組織、コミュニティ
気合、根性、努力ーークリエイティブ、楽しい、ワクワク感
偏差値型ーー価値型

21世紀型は、「ゆるい、面白い」といったキーワードも含まれる。
これは働き方改革でも強調されているが、好きなことをやるのが一番ストレスがないし、成果も上がる。気合、根性、上意下達では生産性も上がらないし、クリエイティブな仕事はできないのだ。

(2)
ウインドウズ95では、最新版のワードエクセルは動かない。
OSのスペック十分でないと、ソフトがうまく動かない。
つまり、頭の素地をきちんと作っておかないと、国語算数といった各教科の授業内容はうまく処理できない。その点では東大生は頭のスペックが違う。
頭の素地をつくるのは、
いつも「なぜ」と問いかけ、「どう思うか」を主体的に判断すること。
そして「要するにlと一段高く抽象化したり、「例えば」で一段低く具体化したりすること。

算数の計算問題が10問あるとき、低い子は違いにばかり目がいくから10問全部にエネルギーを注ぐ。一方学力の高い子は「〇〇の違いはあるけど、△△という点では同じ」と一段高い抽象度で問題を括ることができる から10問のエネルギーがいらない。

「違いしか見えない人は抽象度が低い」という指摘にナルホドと思った。

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August 23, 2019

「艦長は血の出るほど舌を噛む」~リーダーの自制心~

「艦長は血の出るほど舌を噛む」
(The captain bites his tongue until it bleeds)

という言葉があるそうだ。
 これだけでは意味が分からなかった。

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これは海軍用語なのだが、船長が自分の部下に舵を握らせておくことは、非常に危うい。
しかし、船長が自分で舵をとると部下が育たない。
そこでジーッとこらえると血がタラタラ出てくるという話である。
リーダーというのは下からクリエイトされるアイデアを、悪意で潰すということはもちろんあるだろうが、善意で介入しすぎて潰していくというのが案外多いので、これを戒めているのである。

野中郁次郎 「創造する組織の研究」講談社 P31
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 実際にやらせてみない限り、本人は永遠にできるようにはならない。
 部下が四苦八苦してからといって、代わりに全部やってしまっては、本人のためにならないのだ。

 
野中氏は以下のようにリーダー論を語る。


◆要するにリーダーというのはイノベーションを支援はするが口は出すなという意味合いである。

 このワードで検索していたら、「冷暖自知」という禅の言葉に出会った。

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またアメリカの3M(スリーエム)社で、社内でよく使われる言葉に 

   “The captain bites his tongue until it bleeds”
   (艦長は血の出るまで舌を噛む)というのがあるそうだ。

 これは米国海軍で生まれた言葉だそうで、馴れない部下はへたくそでなかなか思うように舵が切れないので、艦長はつい口を出して教えたくなる。しかしここで教えたのでは部下のためにならない。ほんとに操舵法を身につけるには、失敗をしながら学んでゆくしかない。そう思って艦長は口をつぐんでジッとがまんしているという状態を言ったものだそうで、若い社員のミスやもたつきを、舌を噛んでジッとがまんして黙って見まもり、自ら体得することを気長に待つのが最良の社員教育だというのだそうである。
 まさに冷暖自知、「証の得否は、修せんものおのづからしらんこと、用水の人の、冷暖をみづからわきまふるがごとし」(『正法眼蔵・弁道話』)という禅の教育と軌を一にするものである。

「冷暖は身体で覚える」
http://www.jtvan.co.jp/howa/Sato/houwa018.html
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「冷暖自知」とは、真の悟りは自分で感得するものであるということを、水の冷暖を自分で手を入れてみて知ることにたとえていう語。

 「冷暖自知」でさらに検索して、以下の指摘には納得した。

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◆人から聞いただけの借り物の知識でなく、自分自身の体験を何よりも大切にするように。
それが本物の知識なのだと「単にそのことについての情報を知っている」という意味での「情報」は、「知識」とは質的にまったく別ものと言っていい。

◆「情報」と「知識」の違いは、僅かなようでまったく別次元の事柄なのでよくよく気を付けておかなくてはいけない。
 現代社会では頭に所有する「情報」を指して「知識」と呼ぶことがあるが、それはかなり危うい混同といえる。

【禅語】 冷暖自知 - 体験してはじめてわかること -
https://www.zen-essay.com/entry/2016/09/25/231514
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 だから「教えるな」ということではない。
 知らないことは教えねばならないし、できないことは少しずつクリアさせていかねばならない。

 「艦長は血の出るほど舌を噛む」はアメリカ海軍の用語。

 「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」は、連合艦隊司令長官山本五十六の言葉。

 野中氏は、組織論を語るのに軍事組織を研究している。組織員の命が懸かっているのでいるので、勝つ組織としてたえず自己革新しながら進化しているからだと言う。
また、逆に日本軍の敗北から「失敗の本質」を抽出している。読まねばならない本がまた増えた。
 

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August 19, 2019

「一字読解」という国語の技法

 手元にあるのは、『向山型一字読解指導』。

 東田昌樹先生の著書で「向山型国語微細技術1」とある。2008年版を書棚の奥から引っ張り出してきた。残念ながら「積ん読」状態だったのだ。

◆私は「問い」と「答え」の基本を学ばせるために、学期に一、二度は「一字読解」という指導法をする。

というのが、『向山型国語教え方教室」(200010月 呼びかけ号)の巻頭論文での主張だ(と前掲書にまとめてある)。

 もう少し詳しく引用する。

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子どもの行ノートに、番号をつけさせる。

一行に一問を答えさせるのである。

通例は、ノートには答えを書かせるが、時として「問い」を書かせる時もある。

「問い」について、まるで習っていない子どもたちには、最初は「問い」も書かせる。

教科書のタイトルから読み始めて、イチイチ問題を出し、ノートに書かせ、答を言い、丸をつけさせるのである。

説明は簡単にして、テンポよく進める。

話し合いなどはさせない。

最初は、例えば「この作品の題は何ですか」あるいは「作者は誰ですか」ということになる。

簡単だ。簡単でいいのである。

こういう問題を20問、30問と続けて出して、基礎体力をつけるのである。

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 ・・・「イチイチ問題を出し」という表現がたまらない。「基礎体力をつける」という主張にゾクゾクしてしまう。

 この2000年の読みかけ号より古い『教室ツーウエイ』199410月号では「国語のテストの答え方」について、次のように述べている。

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「どんなこと」と聴かれたら、答えは必ず「こと」で終わること。

「どんな気持ち」と聞かれたら、答えは必ず「気持ち」で終わること。

このようなことは、基本中の基本だ。

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・・・ 向国の呼びかけ号には「テストの解き方の基本パターン15」が示されており、東田氏は「向山型一字読解指導10の原則」の原則9として「テストの解き方15パターンを意識せよ」を挙げている。

 テストの解き方と一字読解はセットだというと、受験テクニックの指導だという批判があるのかもしれないが、そうではない。目的は「問い」と「答え」の基本を学ばせ、基礎的な読解力をつけることである。

「あれども見えず」と言われるように、文章全体を見ていると、子どもたちは読めているようで実は読めていない。部分に焦点化して問いを立てることで、子どもたちは文意を正しく読んでいくことができる。他人に問われないと、自分が読めているか自覚することは難しいのだ。

  一字読解という技法は、文章が意味を成すための最低ラインの内容を確認しているともいえる。

 だから、新井紀子氏の主張する「基礎的読解力の保証」「リーデイングスキルテストへの対応」が可能になるのだ。教科書の内容が正しく読み取れない子をなくすには、一字読解のような取り組みが最適だと思う。

  さて、向山氏の「向山国語教え方教室」呼びかけ号巻頭論文は、TOSSMEDIAで見られる。「向山型国語教え方教室❶」

 同じくTOSSMEDIA「向山型国語教え方教室8 学テ・PISA型読解力を育成する授業づくり」でも、向山氏の巻頭論文が見ることができる。

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 さて、国語の学習での「読み」とは、「テキスト」(教材)を「読む」ことが中心となる。

 正確に読むことである。

 一字一句にも、心を配って読むことである。

 深く読むことである。

 国語の学習とは、いかなる国においても「テキストを正確に、くわしく読む」ことが中心なのである。

 教材を紙芝居にして発表するなど、信じられない学習である。

 ある県の公開発表では、「野菜」についての説明文の授業で、「野菜の気持ちになってみよう」という「芝居」を発表していた。

 これでは、「文を読む力」がつくわけがない。

 PISA型テストとは、国語学力テストB問題とは、つまり「テキストを正確に読みとる」という問題である。

これまでの日本の国語授業の常識を超えて「さまざまな文」「さまざまな表現」「長文」からも、「正確に読みとりなさい」ということなのである。

 それを基本にして、「自分の考え」を問うているのである。

 これは向山型国語が一貫して追究してきたことである。

「テキストを正しく深く読む」授業をすすめよう。(教室ツーウェイ2007年9-1039号)

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 ・・・ただし、「一字読解」を真似て、矢継ぎ早に質問を繰り返すだけでは、これも退屈な授業になる。

 簡単な問題を出すことをためらう教師が多いから、一字読解を真似た教師の授業は、難解な問いを投げかけて優等生しか活躍できなくなる可能性が高い。

  通常の国語研究の発表では、出来の良い子の発言やノートを提示して成果を自慢するケースが多い。算数の授業でも、全員ができる授業は簡単すぎるからダメだと否定する先生が存在する。全員ができる問題を次々繰り返す一字読解の授業などは、想定できない。

 まずは簡単なことを問えばいいのだ。

 それなのに、子供の実態に合わない難解な解釈を優先してきた結果が、新井紀子氏が指摘した基礎的読解力不足の問題だ。「教科書が読めない子供に、解釈など考えさせるんじゃない。書かれていることを問え」というのが、新井氏の主張だ。学校現場は教科書が読めない生徒の存在にどう対応するつもりなのか。

 ただし、易しい問いは難しい。優しい問いこそ難しいと言うべきだろうか。

 冒頭で紹介した東田氏の本の中に、椿原氏の講座資料の引用がある。

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「易しい問い」というのは、ある意味では討論になる発問より難しいのである。(中略)

基本は見開き2ページで、100の発問の中から選ぶということである。一字読解指導は「易しい問いを20問、30問と出す」のではなくて、「見開き2ページで100の発問から選りすぐられた問いを20問、30問と出す」のである。p21

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