読解力は抽象化の力
国語の授業は、作品が変わると、新しくゼロから取り組むようなところがあって、積み上げが難しいと言われる。
作品が変わるごとに授業のアプローチを変えるからそんなことになる。
先のブログで次のように書いた。
◆算数の計算問題が10問あるとき、低い子は違いにばかり目がいくから10問全部にエネルギーを注ぐ。一方学力の高い子は「〇〇の違いはあるけど、△△という点では同じ」と一段高い抽象度で問題を括ることができるから10問のエネルギーがいらない。
「犬・猫・人間」を「哺乳類」で括るように、「白いぼうし」と「一つの花」と「ごんぎつね」の共通項をとらえて抽象度を上げる思考が必要だ。
どれも「物語」だから、場面設定がある・主人公の変化がある・主役と対役がいる・起承転結がある・語り手の視点があるなどなど。説明文なら「問い」と「答え」があり、序論ー本論ー結論がある。筆者の主張と具体例があるというように。
先週は、県の国語研究会があって、愛知教育大学の丹藤博文氏が講演された。
物語教材の「読まれ方」として
①人物の変容
②はじめー中ー終わりの構成
③語り手の視点
などについて、解説があった。
三人称視点や一人称視点があることは、国語を教える先生なら誰でも知っておくべきことだ。
それを分析批評や西郷文芸研や読み研といったある特定の団体の用語のように受け止めてアレルギー反応を起こしているとしたら不幸なことだ。
1つの作品で学んだ力が、次の作品に生かせるような授業の積み上げをスタンダードにしていきたい。
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