LINE;によって阻害される「文脈形成力」
先日講演を聞いた愛知教育大学の丹藤博文氏は、スマートフォンの普及と「ライン」によるコミュニケーションについて、「想像力・識字能力」「文脈形成力」の問題があると指摘された。
・本を読まない。
・動画などの視覚的映像を好む
・ラインのような単語的なコミュニケーションを好む
といった傾向が、悪い影響を与えることは想像に難くない。
ただ、世の中の流れが変わらないなら、そのような状況でどんな手を打つかを講じるしかない。
今さら読書離れが止まり、動画視聴が減り、ラインによるやりとりがなくなるとは考えられないからだ。
いくら文句を言っても、今の傾向は加速することはあっても、減速することはない。
かつて、バーンステインの「言語コード論」を引用したことがある。
労働者階級の子どもが中産階級の子どもに比べて、学校で成功しにくい(よい学業成績をおさめにくい)理由を探る中で、彼が注目したのが「子どもたちの言語使用」である「言語コード」であった。
中産階級の家庭では、5W1Hが伝わる「精密コード」での会話がされる傾向が強い。
一方、労働者階級の家庭では、「メシ・フロ・寝る」のような単純な言葉(限定コード)で会話が成立することが多い。
ラインの会話も、こんな感じか。極力短い言葉でやるとりを済まそうとする。場合によっては、意思表示を定型のスタンプで済ませてしまう。
日本中が単純な言葉(限定コード)で会話が成立する世の中で、どんな問題が起きるだろうか。あるいはどんなよいことが起きるだろうか。
新井紀子氏の講演でも、AIも大半の大学生も、単語でしか思考していないとの指摘があった。限定コードだ。
精密コード、つまりきちんと文章で会話する家庭環境、教室環境の確保に努めねばならない。
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