「一字読解」という国語の技法
手元にあるのは、『向山型一字読解指導』。
東田昌樹先生の著書で「向山型国語微細技術1」とある。2008年版を書棚の奥から引っ張り出してきた。残念ながら「積ん読」状態だったのだ。
◆私は「問い」と「答え」の基本を学ばせるために、学期に一、二度は「一字読解」という指導法をする。
というのが、『向山型国語教え方教室」(2000年10月 呼びかけ号)の巻頭論文での主張だ(と前掲書にまとめてある)。
もう少し詳しく引用する。
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子どもの行ノートに、番号をつけさせる。
一行に一問を答えさせるのである。
通例は、ノートには答えを書かせるが、時として「問い」を書かせる時もある。
「問い」について、まるで習っていない子どもたちには、最初は「問い」も書かせる。
教科書のタイトルから読み始めて、イチイチ問題を出し、ノートに書かせ、答を言い、丸をつけさせるのである。
説明は簡単にして、テンポよく進める。
話し合いなどはさせない。
最初は、例えば「この作品の題は何ですか」あるいは「作者は誰ですか」ということになる。
簡単だ。簡単でいいのである。
こういう問題を20問、30問と続けて出して、基礎体力をつけるのである。
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・・・「イチイチ問題を出し」という表現がたまらない。「基礎体力をつける」という主張にゾクゾクしてしまう。
この2000年の読みかけ号より古い『教室ツーウエイ』1994年10月号では「国語のテストの答え方」について、次のように述べている。
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「どんなこと」と聴かれたら、答えは必ず「こと」で終わること。
「どんな気持ち」と聞かれたら、答えは必ず「気持ち」で終わること。
このようなことは、基本中の基本だ。
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・・・ 向国の呼びかけ号には「テストの解き方の基本パターン15」が示されており、東田氏は「向山型一字読解指導10の原則」の原則9として「テストの解き方15パターンを意識せよ」を挙げている。
テストの解き方と一字読解はセットだというと、受験テクニックの指導だという批判があるのかもしれないが、そうではない。目的は「問い」と「答え」の基本を学ばせ、基礎的な読解力をつけることである。
「あれども見えず」と言われるように、文章全体を見ていると、子どもたちは読めているようで実は読めていない。部分に焦点化して問いを立てることで、子どもたちは文意を正しく読んでいくことができる。他人に問われないと、自分が読めているか自覚することは難しいのだ。
一字読解という技法は、文章が意味を成すための最低ラインの内容を確認しているともいえる。
だから、新井紀子氏の主張する「基礎的読解力の保証」「リーデイングスキルテストへの対応」が可能になるのだ。教科書の内容が正しく読み取れない子をなくすには、一字読解のような取り組みが最適だと思う。
さて、向山氏の「向山国語教え方教室」呼びかけ号巻頭論文は、TOSSMEDIAで見られる。「向山型国語教え方教室❶」
同じくTOSSMEDIA「向山型国語教え方教室8 学テ・PISA型読解力を育成する授業づくり」でも、向山氏の巻頭論文が見ることができる。
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さて、国語の学習での「読み」とは、「テキスト」(教材)を「読む」ことが中心となる。
正確に読むことである。
一字一句にも、心を配って読むことである。
深く読むことである。
国語の学習とは、いかなる国においても「テキストを正確に、くわしく読む」ことが中心なのである。
教材を紙芝居にして発表するなど、信じられない学習である。
ある県の公開発表では、「野菜」についての説明文の授業で、「野菜の気持ちになってみよう」という「芝居」を発表していた。
これでは、「文を読む力」がつくわけがない。
PISA型テストとは、国語学力テストB問題とは、つまり「テキストを正確に読みとる」という問題である。
これまでの日本の国語授業の常識を超えて「さまざまな文」「さまざまな表現」「長文」からも、「正確に読みとりなさい」ということなのである。
それを基本にして、「自分の考え」を問うているのである。
これは向山型国語が一貫して追究してきたことである。
「テキストを正しく深く読む」授業をすすめよう。(教室ツーウェイ2007年9-10月39号)
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・・・ただし、「一字読解」を真似て、矢継ぎ早に質問を繰り返すだけでは、これも退屈な授業になる。
簡単な問題を出すことをためらう教師が多いから、一字読解を真似た教師の授業は、難解な問いを投げかけて優等生しか活躍できなくなる可能性が高い。
通常の国語研究の発表では、出来の良い子の発言やノートを提示して成果を自慢するケースが多い。算数の授業でも、全員ができる授業は簡単すぎるからダメだと否定する先生が存在する。全員ができる問題を次々繰り返す一字読解の授業などは、想定できない。
まずは簡単なことを問えばいいのだ。
それなのに、子供の実態に合わない難解な解釈を優先してきた結果が、新井紀子氏が指摘した基礎的読解力不足の問題だ。「教科書が読めない子供に、解釈など考えさせるんじゃない。書かれていることを問え」というのが、新井氏の主張だ。学校現場は教科書が読めない生徒の存在にどう対応するつもりなのか。
ただし、易しい問いは難しい。優しい問いこそ難しいと言うべきだろうか。
冒頭で紹介した東田氏の本の中に、椿原氏の講座資料の引用がある。
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「易しい問い」というのは、ある意味では討論になる発問より難しいのである。(中略)
基本は見開き2ページで、100の発問の中から選ぶということである。一字読解指導は「易しい問いを20問、30問と出す」のではなくて、「見開き2ページで100の発問から選りすぐられた問いを20問、30問と出す」のである。p21
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