« August 2019 | Main | October 2019 »

September 25, 2019

読解力を高める授業と、証明教育

 新井紀子氏が提案した「読解力を高める授業」の実例は、

答えが「〇●〇●〇●」に一意になるように、オセロの並べ方を正確に実況中継しよう

という課題だ。
https://toyokeizai.net/articles/-/256115?page=3

 この「一意」というところが重要で、多様な解答が出るような説明では困るのだ。
 論理的思考(プログラミング的思考)の基本は、漏れなく・ダブりなくのMECE(ミーシー)と言われる。

Mutually (お互いに)
Exclusive (重複せず)
Collectively(全体に)
Exhausive(漏れがない)

 向山先生の実践には、学校から自宅までの経路を書かせるものがあったと記憶している。自分も家庭訪問があった頃、高学年のクラスで自宅までの経路を書かせたことがある。まさに昭和の実践だが、順を追って正確に説明させる訓練になっていた。オセロの並べ方を説明させるのと、自宅までの経路を説明させるのは、意味や意義は同じだと思う。

 さて、久しぶりに『数学的思考法』芳沢光雄(講談社現代新書)を開いてみて、「地図の説明」の重要性が書いてあって驚いた。p22~25

2004年2月に行われた千葉県立高校入試の国語で、地図を見ながらおじいさんに道案内するという記述問題が出題された。200字以内で作文する問題であったが。なんと受験生の半数が0点だったという。

・・・すでに15年前のデータではあるが、自分の言葉で説明させる向山実践が、いかに受験に有効であったかがよく分かる。
 芳沢氏もずっと課題の大切さを提言されてきたとある。

◆「地図の説明」の重要性は、私の10年以上にわたる数学啓蒙活動のなかでも主張してきたことだ。「論理的思考力は地図の説明を練習させると育まれる」とか「(中略)最寄りの駅からこの試験会場までどのような道順で来たかを説明させると、受験者の論理的説明力が一発で見抜ける」などと、いろいろなところで発言してきた。地図の説明は国語だけの問題ではないのである。

・・・「地図の説明は国語だけの問題でない」とあって驚いた。逆に言うと、これが数学の問題だと考えたことがなかったからだ。

 芳沢氏は、地図の説明は「数学の証明」につながると言う。そして、IT先進国インドと日本の差は、中学校時代の証明教育の差だと言う。

インドとはまったく対照的に、日本の中学校での証明教育の実情はまことに惨憺たる状況である。昭和40年代と比べると、現行(2002年度学習指導要領改訂)の中学校数学教科書の証明問題数は3分の1になってしまった。
挙句の果てに「証明の全文を中学生に書かせるのはかわいそうだし、試験に出しても点が取れない」などと、同情して、なんと「三角形」だの「平行」だのという単語だけを穴埋め式に書かせるという、まったく日本固有の異常な教育があちこちの中学校で行われているのである。

・・・新井紀子氏が、キーワード穴埋め式の読み取りでは、読解力が身につかないと主張している点と重なってくる。
 また、大学受験のニュースで、記述式を取りやめた惨状とも重なってくる。

◆現行の大学入試センター試験の後継で2020年度に始まる大学入学共通テストを巡り、大学入試センター(東京)が数学で検討していた文章記述の問題導入を初年度は見送る方針を決めたことが分かった。昨年11月の試行調査では、文章で解答する問題1問を含む記述式の小問3問の正答率が低迷し、本番では3問とも数式のみを記述させる。
https://edu.chunichi.co.jp/pages/entryexam-newexam-20/

・・・記述式問題の導入は共通テストの目玉の一つで、「思考力・判断力・表現力」を評価するための手段であったのに見送りとなってしまった。数学が、マークシートや穴埋め型に慣れてしまった現状を変えるのは、かなり困難なのだ。

  そんな状況だからこそ、小学校の段階から教科の枠を超えて「正確に説明させる」という課題に取り組ませ、証明問題を解く論理的思考力(プログラミング的思考力)の基盤を育んでいかねばならない。
  今は見送りにはなった数学の記述問題だが、いずれは実施されるに決まっているのだ。うかうかしていられない。

| | Comments (0)

September 23, 2019

あいまいな指示を排除する=プログラミング的思考

昨日の愛知サークル合同例会の検定授業の中で、プログラミング的思考の授業があった。

◆牛乳1つ。卵があったら6つお願いね。

この指示を聞いた買い物ロボットが牛乳を6本買ってきてしまった。どんな指示を出せばよいか考えさせるという授業の流れだが、これはもちろん日頃の教師の指示も同じだ。

あいまいな指示、二重に受け取れるような表現に気をつけないと教室は混乱する。

今日の模擬授業でも、指示が曖昧なことがあった。
それは、そもそも発問と指示がセットになっていなかったからだ。
「○○ですか。」と聞かれた瞬間、答える子役がいて、「そうですね」と教師が対応した。
自分はこのとき「なんだ、答えてよかったんだ」と思った。
聞かれた後、①挙手するのか、②ノートに書くのか、③お隣と相談するのか、④即答すればいいのか、⑤指名されるのを待つのか様々な選択肢がある。
おそらく即答が一番混乱を招く。教師の想定内で即答させている場合はよいが、いきなり即答したのに、それを認めてしまうと、教室の秩序が保てなくなる。みんなで考えさせたい場面なのに、賢い子が得意げに大声で正解を発してしまうような事態はよく起こる。

発問した後、どうさせたいのかを考えて、教師が明確に指示を出す。

教師が自分の発した言葉に指示にあいまいさがないか、誤解を生じないかを考えて指示を出す。

日頃から、そうした教師の心構えがなければ、プログラミング的思考を教えることなどはできない。

そう考えると「黒い目のきれいな女の子」という言葉が何通りに受け止められるかを考える古典的な授業も、プログラミング的思考につながっていることが分かる。

| | Comments (0)

September 13, 2019

不利を克服する子どもの特徴

「教育新聞」1月21号のコピーがある。

浜野隆氏の「全国学力調査から見えた伸びる学校の条件(3)」。久しぶりに目を通したが、コピーしておいただけのことはあった。

===================
 家庭の社会経済的背景(SES)が低いにもかかわらず学力の上位25%(学力A層)に位置する児童生徒を「不利を克服している子」と見なし、彼らがどのような特徴を持っているか見ていこう。

 第一は「認知スキル」の高さである。「非認知スキル」とは、読解力や計算力などの認知スキル以外の能力ー粘り強さや忍耐力、自制心、好奇心、感情安定性、協調性を指す。近年、これらの能力は「社会情緒的スキル」「性格スキル」とも呼ばれ、学校生活のみならず、人生全般にわたる成功のカギを握っているともいわれている。「不利を克服している子供」は、物事を最後までや遂げる姿勢、異なる考えを持つ他者とのコミュニケーションなど非認知スキルが高い傾向が見られた。
(中略)
SESと非認知スキルとの間には弱い相関しかない。これは、SESの工程にかかわらず、非認知スキルを伸ばすチャンスがあることを示唆している。親が子供に努力や忍耐の大切さを伝えたり、温かい褒め言葉を掛けて自信を持たせたりして、子供の非認知スキルを高めることが重要である。
==============

・・・論稿この後も続くのだが、とりあえず、ここまで。
 「非認知スキル」についての復習のような内容だが、「非認知スキル」の重要さを感じさせる内容である。
 どの保護者にも理解してほしい内容だ。
 順序は逆になるが、この論稿の冒頭部は印象的だ。

=========
 言うまでもなく、子供の学力は家庭の経済力や親の学歴によってすべてが決定されるわけではない。不利な環境にあっても高い学力を達成している子は少なくない。
==========

・・・その通り。どの保護者にも理解してほしい。

| | Comments (0)

教師に必要な「低刺激」の意識

    9月5日のサークル例会の前に、1名の若い先生を招いてミニセミナーを行った。
自分は「実践障害児教育」の川上廉則氏の文献を引用して、「教室に不穏な風を吹かせる毒語」の紹介をした。

◆何回言われたらやるの?
◆どうしてそういうことするの?
◆やる気がないなら、もうやらなくていい。
◆お母さんに言おうか?

と教師が先に売り言葉を仕掛けてしまうようなパターンだ。
   教師がイライラして毒語を吐いたら負けなのだということを伝えたかった。
   併せて、大げさに褒めて優越感を与えると、裏返しで劣等感が生じる。自己肯定感は高めたいが、優越感は要らないという話もした。およそ弱肉強食のクラスは、できる子が威張り、できない子がオドおどしている。優越感と劣等感が混在している。

   A先生は、学級の雰囲気を左右するのは教師のメンタルだという観点から、教師自身が平静を保つ心がけが必要だという話をされた。
   自分への大きなご褒美を設定すると、長続きしないから、毎回できる小さなご褒美を用意しろといわれ、ナルホドと思った。過度な感情表現をしないで淡々とやり過ごすというのも「低刺激」なのだろうと納得した。気分が落ち込んでいる時にに高段者の音声CDを聴いたら、余計、実力差を感じて落ち込んでしまうと聞いて、これもナルホドと思った。
   子どもは一度大げさに褒められたら、その大げささを毎回期待してしまう。ある子が大げさに褒められたら、自分が褒められる時もそのテンションを期待してしまう。教師のその日の気分で褒め方を変えてしまっては、子どもは戸惑うことになる。教師は、その日の気分に左右されてはいけないのだと理解した。
   子どもたちの気分をアップさせるために、ハイテンションで対応する方法もあるが、毎時間ではぐったりしてしまう。無理せず、長続きする対を前提にして、時々テンションを上げるような対応を入れるとよい。
 

  B先生が話された「ブロークンレコード」の対応も、低刺激だ。感情を荒げず、指示語を繰り返す。相手が諦めて、指示に従うまで、穏やかな声で、淡々と同じ言葉を出すというスタンスは、声を荒げたら教師の負けということを表している。

  C先生が示された算数の模擬授業は、先生の指示通りに作業していくと「できる、わかる」に到達するものだった。決して論争や大きな盛り上がりがあるわけではないが、指示通りに1つ1つ作業していく心地よさがあった。ある意味で「低刺激」だと思った。

   打ち合わせたわけではないが、2学期最初の心構えを示す講座で4人の意識は共通していた。全く同じ資料で同じ話をしたらウンザリしてしまうが、違うアプローチで「低刺激」に関わる提示だったので、「変化の
ある繰り返し」が効いたのではないかと思う。

| | Comments (0)

« August 2019 | Main | October 2019 »