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November 16, 2019

中央公論12月号 伊藤氏貴氏への反論

中央公論12月号「国語の大論争」で伊藤氏貴氏は、新井紀子氏のRSTの問題を提示している。

 次の二つの文章の表す意味は同じか異なるか
◆幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。
◆1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。

 中学生の正解率は57%に過ぎず、高校生は71%。
 その要因として、氏は「既習の知識に合わないからだ」と言う。
 「中学生が間違えた最大の理由は、幕府と大名の関係を知らなかったためだろう」
 「国語と言うより日本史の問題だろう。文章を読むことは、外部の知識と切り離して考えられるものではない」とも。

 中学生で「幕府、大名、ポルトガル人、沿岸警備」が分からないことはない。
 これは単純に「受け身の文への書き換えは混乱しやすい」ということなのだと自分は思う。
 受け身の文への書き直しという文法の授業は、むしろ英語の構文で扱われる。受け身や完了形、目的語などは、英語と日本語と合わせて文法の授業をするべきだと思うし、実際、中学校の国語の文法では、英語に絡めて教えたものだ。高校生なら英語文法でも受け身表現への書き換えをしつこく練習させられる。それも正答率が高い要因だろう。

 続く以下の記載には驚いた。
 国語教科書の代表編集を行っているにしては、生徒の実情をご存知ない。

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もし厳密に修飾関係を理解できているかどうかを問うためならば、たとえば構文を変えず、次のようにしてみれば、中学生でももっと正答率は上がったのではないかと思われる。

◆Aは、B年、CをDし、EにはFを命じた。
◆B年、CはDされ、AはEからFを命じられた。


「幕府」「大名」などという、うろ覚えの単語に気を取られず、純粋に修飾関係だけを追えるからだ。これは「読解力」というより「注意力」の問題である。
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・・・確信を持っていうが、このようにABCDで表記したら、中学生も高校生も正答率は間違いなく下がる。中学生57%。高校生71%には絶対に届かない。
 記号化して問うてみよという伊藤氏の発想こそが、むしろ、高校で「論理国語」が必要であることを裏付けている。

 具体的な対象のある数字で考える「算数」から、抽象数や記号で考える「数学」に移行するように
 具体的な対象のある言葉で考える「国語」から、抽象概念や記号で考える「論理国語」に移行すると考えると、実にスッキリするからだ。

「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」という構文を
「Aは、B年、C をDし、EにはFを命じた」
と置き換える思考作業こそが「論理国語」の真骨頂だ。

 だから 伊藤氏の上述の意見をトレースするならば、次のように反論する。

「幕府」「大名」などという、うろ覚えの単語に気を取られず、純粋に修飾関係だけを追う。これこそが「読解力」というより「論理力」の問題である。

「論理学的な内容を導入することに反対しているわけではない」という伊藤氏は、論理国語への疑問をシニカルに書けば書くほど、実は論理国語の必要性を述べてしまっているのだ。

 伊藤氏への反論と書いたが「伊藤先生、ありがとうございます!」という心境である。

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中央公論12月号 「ロギッシュ」と「ミクシ」

 中央公論12月号「国語の大論争」の特集では、三森ゆりか氏の田嶋幸三氏対談が印象的だった。サッカーの強化を言語技術教の習得から始めたお二人だ。話が面白い。

(三森氏)
私はドイツでサッカー観戦の面白さに目覚めたのですが、サッカーと「ロギッシュ」(ドイツ語で「論理的な」)という言葉は切っても切り離せないものでした。解説を聞いてしばしば、「今のプレーはロギッシュだ。なぜなら・・」というフレーズが出てきました。プレー一つ一つに理由がある。このプレーはロジカルにこんなメリットがありましたね、といった分析の仕方がドイツでは普通なのです。一方、日本に解説を聞いていると、「今のプレーは凄かったですね」などと言います。テレビ画面を見ていればわかることを言葉でトレースする。
(田嶋氏)
そう、「ボールが浮いてしまいましたね」というタイプの解説が日本では多いよね。視聴者も画面を見ているのだから、起こったことはわかっているのに。それより「では、いったいなぜ浮いてしまったのか」「蹴った時の足の位置はどうだったのか」という分析や原因を視聴者は知りたいのですよ。現象はなぞっても現象はなぞっても原因の方は言ってくれない解説では、欲求不満がたまりますよ。


・・・「ボールが浮いてしまいました」「オフサイドです」は、実況ではあっても解説ではない。解説者の仕事は、起きた状況の分析や原因を解き明かすことだ。解説者は実況が本分ではない。ナルホド!

 ドイツでは「ロギッシュ」か。
 そういえば、フィンランドでは先生も子どもも「ミクシ(「なぜ)」だった。
 子どもが答えを言うと、「ミクシ? どうして〇〇だと思うのか」と教師が問う。
 教師が答えを言うと、逆に子どもが「ミクシ?」と問う。
 意見を述べるときは、説得力のある理由をセットにすることが習慣化されていると言う。

 ロギッシュとかミクシとかが日常的に交わされる環境が、母語教育の基盤になるのだ。
 
 さて、上述の田嶋氏の言葉を読んで、子どもの感想文指導と重なった。感想文で必要なのは、実況でなく分析と解釈だ。

◆「次に主人公は◯◯しました」というタイプの感想文が多い。しかしストーリーはわかっているのだから、その説明は要らない。それより自分はどう思ったか、なぜそういう行動をしたか自分なりの解釈を展開してほしい。

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November 09, 2019

学テから大学入試まで一貫している。

7月に堺市で椿原先生の学習会に参加した際、「学力調査問題と大学入試問題 直結している」というレポートを持参した。
その際、引用したのが難波博孝氏の論稿だった。

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「大学入試が求めるもの」
①複数の種類の実用文を読ませる  
②複数の文章を組み合わせて考えさせる
③大量の情報を処理させる
④最大200字程度の文章を20分程度の短時間で書かせる
⑤多くの条件を踏まえた文章を書かせる
⑥誰かの立場で文章を書かせる

 難波博孝氏(広島大学大学院教授)
東京書籍発行「教室の窓 Vol.55」
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 センター試験に代わって2020年度から行われる大学入学共通テスト(国語)は、これまで行われてきた全国学力調査問題と傾向が酷似していた。
 その点について難波氏は次のように指摘していた。

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実はこの方向性は、文科省がずっと追い求めてきたことであった。
小学校・中学校関係者の方ならすぐわかるだろうが、今まで10年以上行われてきた全国学力・学習状況調査のB問題と共通テストのここまで傾向はそっくりだからである。文科省は10年かけて、共通テストの基盤をつくってきたといえる

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「文科省は10年かけて、共通テストの基盤をつくってきた」という箇所にびっくりした。
 昨年11月、朝日新聞に掲載されたコメントも、同様の趣旨だったと理解している。

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文部科学省はこれまでも高校までに教える内容を決める学習指導要領で「思考力、判断力、表現力」を身につけるよう学校に求めてきた。だが、高校では大学入試に向けた勉強に重点が置かれがちだ。
そこで大学入試も、より学習指導要領の内容に合わせるよう大きく変えることにした。

                            
朝日新聞 進学特集「20年度入試から共通テスト」
2018/11/5朝刊
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授業を変えるために、入試を変えるというウルトラCを決行したのだ。
 さて、同様の指摘を最近も目にした。
 文科省の「全国的な学力調査に関する専門家会議」の委員である田中博之氏の見解だ。

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(2017年の大学入試試行調査は)全国学力・学習状況調査の問題と、とてもよく似ています。これは偶然ではなく、意図的に合わせているのです。つまり、記述力が全国学力・学習状況調査から大学入試まで一貫して問われる必須の学力になる、という画期的な出来事が起きようとしています。だからこそ、小中学校では一層B問題的な学力観を重視すべきなのです。 
  
「総合教育技術」2019.11月号 P43
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・・・「記述力が全国学力・学習状況調査から大学入試まで一貫して問われる必須の学力になる、という画期的な出来事が起きようとしています」という箇所にしびれた。
 椿原先生の指導が、大学入試に通用することをすることの意義は大きい。

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生徒指導とプログラミング的思考

心理カウンセラー竹内成彦氏の講演会で、働かない我が子(成年)に対してきちんとダメと言うべきだとの指摘があった。

大人になるということは、経済的自立・自分でメシを食えること。
生物学的に言うと、さらに「子孫を残す」という条件が入る。動物の中で子孫を残すことに興味をもたないのは人類だけだ。

◆「働きたくないのか、そうかそうか、無理しなく働かなくたっていいぞ」
◆「お金がないから万引きしちゃったのか、そうかそうか、じゃあお小遣いを値上げしようかな」
といった対応では、いつまでたっても子どもは自立しない。
そりゃそうだ、居心地の悪さがなければ、現状を変えるモチベーションは上がらない。
カウンセラーの元にお手上げの保護者が来院するが、肝心の子どもに「困り感」がないと何も変化しないそうだ。
子ども自身が、「このままではいけない」と自覚しない限り、治療には結びつかない。

働きたいか、働きたくないかは問題ではない。
そこにあなたの選択肢、つまり分岐点はない。
大事なのは、自分一人で生活できるか、できないかだ。


働かずに自分1人で生活できるんだったら、誰も責めはしない。
しかし、自分1人では生きていけない状況であるのに、働きたいか働きたくないかの選択肢を持ち出して

「だって働きたくないんだもん」
「そうか、そうか無理して働かなくてもいいぞ」

といったずれた親子の会話が成立してしまう事例がある。
むしろ親が「オレの死後、我が子がどうなろうか知った事ではない」と現実逃避(未来逃避)しているとしか思えない。

プログラミング的思考で言えば、
◆「働きたいか、働きたくないか」で分岐するのではなく

◆「自分は一人で生活できるか」で分岐せねばならない。

自分1人で生活できるなら、今のままでよいかもしれないが、
自分1人で生活できないなら、どうしたらよいか考えねばならない。その選択肢の1つが「働く」だ。

これは、下記の英語のフレーズについて書いた、かつてのダイアリーと重なるところだ。

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問答無用? 〜Whether you like it or not〜
平成30年11月26日の「ラジオ英会話」の内容に感激した。

◆Rika, I don’t like cleaning the classroom every day. It’s so boring.
 
 リカ、僕は毎日、教室を掃除するなんて嫌だよ。とてもつまらないし。

◆Whether you like it or not isn’t important.
 We have to do it. It’s part of being a student at this school.

 あなたがしたいかどうかなんて問題(重要)じゃないのよ。私たちはそれをしなければならない。それはこの学校の生徒であることの一部なんだから。

◆In the U.S., students don’t have to clean the classroom.
Professionals do it at night.
 アメリカでは、生徒は教室を掃除しなくてもいいんだ。専門の業者が夜やってくれるからね。

◆Well, that’s the American way, but we are in Japan.
This is the Japanese way.
 それはアメリカのやり方だけど、私たちは日本にいるのよ。これが日本のやり方なの。

Whether you like it or not あなたがそれを好きかどうかは
Japanese way 日本のやり方

https://fujiijuku.net/radio-english/2018-11-26-l156/

「あなたが好きか嫌いかは問題ではない。」
「アメリカではどうかは関係ない」
「これが日本のやり方なんだから。」


・・・こうした言い切りができることは、すごく大事で、保護者も学級担任は、ビシッと言わないと統率が取れない。
いつでも「問答無用」では、不満を抱かせるが、ダメなものはダメ、決まりは決まりと毅然とした態度で対峙する力強さはほしい。
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以前は「ダメなものはダメ」と解釈した。
今は「分岐させる箇所が違うのだ」と解釈している。

◆「掃除がしたいかしたくないか」は、分岐にならない。
 分岐が必要なのは「あなたは本校の学生かどうか」である。
 そして、「本校の学生」であるならば順次処理で「掃除をする」しかない。「やる・やらない」の分岐はない。

 あるいは、分岐が必要なのは「ここはアメリカか、日本か」である。
 そして「ここが日本」であるならば順次処理で「掃除をする」しかない。「やる・やらない」の分岐はない。

分岐点を間違えてはいけない。
分岐点のすり替えにごまかされてはいけない。

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November 06, 2019

RST 係り受け解析

平成19年の小学校学力調査で、答えが210×0.6の式で求められる式を1つ選ぶ問題がある(A問題)

正答率54.3%だったのが以下の問題。 

◆1mのねだんが210円のリボンを0.6m買いました。
 リボンのねだんはいくらでしょう。

誤答30.1%で誤って選択されたのが以下の問題。

赤いテープの長さは210cm。
赤いテープの長さは白いテープの0.6倍です。
白いテープの長さは何cmでしょう。


設問に「倍」という表現が含まれることから乗法と判断していると考えられている。
問題文を自分が分かるように正しく置き換える力がほしい。


× 長さ210cmの赤いテープの0.6倍が白いテープ■cm

○ 白いテープ■cmの0.6倍が、210cmの赤いテープ。



「■cmの0.6倍が210cm」が分かれば、210×0.6という式を立てることはない。
 なお、「が」は「=」に直すことが理解されていたら、もっと簡単になる。
 
 白いテープ■㎝の6倍 = 210cm

RSTでいうと、これが「係り受け」に該当するのかもしれない。

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係り受け解析・・文の基本構造を把握する力

◆水に沈む鉄でできたボルトとナットも、鉄より密度の大きい水銀には浮かぶ
 
ボルトは(  )に浮かぶ
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 学力調査算数の問題分析を読むと、読解力不足が要因だと思えるものが多い。

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November 01, 2019

愛情を伝える方法〜竹内成彦氏の講演〜

中学校ブロックの健全育成の講演会があった。講師は心理カウンセラーの竹内成彦氏。お話の中心は「子育て」。
初めて話を聴く方だったが、とても良い講演で、90分しっかり聞き入った。他の校長も良かったと言っていた。

中でも印象的だったのが、他者(子供)への愛情表現。
よく「自分のしてほしいことを相手にせよ」と言われるが、竹内氏はこれはダメだと言う。

①相手に話に耳を傾ける
②暖かい言葉をかける
③一緒に時間を過ごす
④気持ちのいいスキンシップ
⑤相手の喜ぶような行動
⑥プレゼント

自分のしてほしいことと、その人のしてもらいたいことは違う。
自分が一番してほしいからと言って、それをして相手が喜ぶとは限らないのだと。

竹内先生はカウンセラーだから、奥さんの話をじっくり聞いてあげている。それが一番良いのだと思っていた。
でも、奥さんに直接聞くと、奥さんの望みは「何かしてくれること」例えば家事だと言う。さらに奥さんは、「主婦はみんなそうだ、間違いない」と断言する。
でも、嫁いだ長女に聞いたら、「一緒に時間を過ごすこと」
嫁いだ次女に聞いたら、「プレゼント」。相手が自分のために時間を割いて何か選んでくれることがうれしいのだとか。

まさに「人の心は分からない」ということだ。
自分の当たり前に頼ってはいけないということだ。
相手のためにと思って尽くし、報われないからと腹を立てるのが実に無意味なのことかがわかる。

だから、「一度何が一番うれしいかきちんと尋ねてみましょう」と言われた。そう言われても、なかなか家族で直接聞くのは照れくさいので、聞かないが、とりあえずは、自分の常識は疑ってみようと思うし、ふだん全くやらないアプローチも必要かなと思う。

いや、よく考えたら、妻は「あなたからは、どれ1つもしてもらっていない」と感じているかもしれない。
まず、はじめの一歩からやり直しだな。

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