中央公論12月号 伊藤氏貴氏への反論
中央公論12月号「国語の大論争」で伊藤氏貴氏は、新井紀子氏のRSTの問題を提示している。
次の二つの文章の表す意味は同じか異なるか
◆幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。
◆1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。
中学生の正解率は57%に過ぎず、高校生は71%。
その要因として、氏は「既習の知識に合わないからだ」と言う。
「中学生が間違えた最大の理由は、幕府と大名の関係を知らなかったためだろう」
「国語と言うより日本史の問題だろう。文章を読むことは、外部の知識と切り離して考えられるものではない」とも。
中学生で「幕府、大名、ポルトガル人、沿岸警備」が分からないことはない。
これは単純に「受け身の文への書き換えは混乱しやすい」ということなのだと自分は思う。
受け身の文への書き直しという文法の授業は、むしろ英語の構文で扱われる。受け身や完了形、目的語などは、英語と日本語と合わせて文法の授業をするべきだと思うし、実際、中学校の国語の文法では、英語に絡めて教えたものだ。高校生なら英語文法でも受け身表現への書き換えをしつこく練習させられる。それも正答率が高い要因だろう。
続く以下の記載には驚いた。
国語教科書の代表編集を行っているにしては、生徒の実情をご存知ない。
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もし厳密に修飾関係を理解できているかどうかを問うためならば、たとえば構文を変えず、次のようにしてみれば、中学生でももっと正答率は上がったのではないかと思われる。
◆Aは、B年、CをDし、EにはFを命じた。
◆B年、CはDされ、AはEからFを命じられた。
「幕府」「大名」などという、うろ覚えの単語に気を取られず、純粋に修飾関係だけを追えるからだ。これは「読解力」というより「注意力」の問題である。
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・・・確信を持っていうが、このようにABCDで表記したら、中学生も高校生も正答率は間違いなく下がる。中学生57%。高校生71%には絶対に届かない。
記号化して問うてみよという伊藤氏の発想こそが、むしろ、高校で「論理国語」が必要であることを裏付けている。
具体的な対象のある数字で考える「算数」から、抽象数や記号で考える「数学」に移行するように
具体的な対象のある言葉で考える「国語」から、抽象概念や記号で考える「論理国語」に移行すると考えると、実にスッキリするからだ。
「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」という構文を
「Aは、B年、C をDし、EにはFを命じた」
と置き換える思考作業こそが「論理国語」の真骨頂だ。
だから 伊藤氏の上述の意見をトレースするならば、次のように反論する。
「幕府」「大名」などという、うろ覚えの単語に気を取られず、純粋に修飾関係だけを追う。これこそが「読解力」というより「論理力」の問題である。
「論理学的な内容を導入することに反対しているわけではない」という伊藤氏は、論理国語への疑問をシニカルに書けば書くほど、実は論理国語の必要性を述べてしまっているのだ。
伊藤氏への反論と書いたが「伊藤先生、ありがとうございます!」という心境である。
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