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November 16, 2019

中央公論12月号 「ロギッシュ」と「ミクシ」

 中央公論12月号「国語の大論争」の特集では、三森ゆりか氏の田嶋幸三氏対談が印象的だった。サッカーの強化を言語技術教の習得から始めたお二人だ。話が面白い。

(三森氏)
私はドイツでサッカー観戦の面白さに目覚めたのですが、サッカーと「ロギッシュ」(ドイツ語で「論理的な」)という言葉は切っても切り離せないものでした。解説を聞いてしばしば、「今のプレーはロギッシュだ。なぜなら・・」というフレーズが出てきました。プレー一つ一つに理由がある。このプレーはロジカルにこんなメリットがありましたね、といった分析の仕方がドイツでは普通なのです。一方、日本に解説を聞いていると、「今のプレーは凄かったですね」などと言います。テレビ画面を見ていればわかることを言葉でトレースする。
(田嶋氏)
そう、「ボールが浮いてしまいましたね」というタイプの解説が日本では多いよね。視聴者も画面を見ているのだから、起こったことはわかっているのに。それより「では、いったいなぜ浮いてしまったのか」「蹴った時の足の位置はどうだったのか」という分析や原因を視聴者は知りたいのですよ。現象はなぞっても現象はなぞっても原因の方は言ってくれない解説では、欲求不満がたまりますよ。


・・・「ボールが浮いてしまいました」「オフサイドです」は、実況ではあっても解説ではない。解説者の仕事は、起きた状況の分析や原因を解き明かすことだ。解説者は実況が本分ではない。ナルホド!

 ドイツでは「ロギッシュ」か。
 そういえば、フィンランドでは先生も子どもも「ミクシ(「なぜ)」だった。
 子どもが答えを言うと、「ミクシ? どうして〇〇だと思うのか」と教師が問う。
 教師が答えを言うと、逆に子どもが「ミクシ?」と問う。
 意見を述べるときは、説得力のある理由をセットにすることが習慣化されていると言う。

 ロギッシュとかミクシとかが日常的に交わされる環境が、母語教育の基盤になるのだ。
 
 さて、上述の田嶋氏の言葉を読んで、子どもの感想文指導と重なった。感想文で必要なのは、実況でなく分析と解釈だ。

◆「次に主人公は◯◯しました」というタイプの感想文が多い。しかしストーリーはわかっているのだから、その説明は要らない。それより自分はどう思ったか、なぜそういう行動をしたか自分なりの解釈を展開してほしい。

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