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December 15, 2019

大学入試記述式を延期にする理由があるのか?

大学入試の記述式延期の理由が不思議でならない。

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 2020年度から始まる大学入学共通テストで導入される国語と数学の記述式問題について、文部科学省は、来週にも実施の見送りを表明する方針を固めた。複数の関係者が明らかにした。採点者の質の確保や自己採点の不一致率の高さなどが課題となっており、現状のままでは実施できないと判断した。

 記述式問題をめぐっては、約50万人の受験生の答案を採点するため、民間委託で8千~1万人の採点者が動員される。短期間で正確な採点ができるか懸念があることに加え、特に国語では自己採点が難しく、受験生が実力にあった出願先を選びにくくなるなどの問題点が指摘されていた。

 受験生らの理解が得られないとして、野党が秋の臨時国会で追及。与党内にも見直しや延期を求める声が高まっていた。

https://www.asahi.com/articles/ASMDC7WFZMDCUTIL03S.html

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・・・「自己採点が難しい」というのは、「解答が多様で1つに決まらない」ということなのだろう。

次のような記事もある。

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◆課題として、真っ先に挙げられるのが、採点者によって点数のばらつきが生じかねず、自己採点が難しい点だ。

大学入学共通テスト後、出願先の大学を決める際には受験生自身の自己採点が欠かせない。しかし、自己採点と実際の採点結果が一致しなかった受験生の割合は特に国語で高く、28.233.4%に上った。数学でも6.614.7%が一致しなかった。こうした中、文科省が国公立大学に対し、2次試験を受けられるか選考する「二段階選抜」の材料から国語の記述式の成績を外すよう要請する検討を始めたことも報じられた。

混迷深まる大学入学共通テスト、「記述式」も導入延期か:日経ビジネス電子版

https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00002/121000951/

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・・・ 自己採点の結果が3割ほど一致しなかったのは事実なのだろうから、否定しようがない。

しかし、試行問題の場合、椿原先生がされているように、設問の条件をきちんとクリアすれば、ほとんど模範解答と同じ文章が完成する。条件指定や字数指定は、むしろ解答がバラつかないためのヒントになっている。時間はかかるかもしれないが、その場で対応できるから記憶力が要らない。記述問題はむしろ得点源になるのだ。

しかし、解き方の指導を受けていないと

100字も書くなんて大変だ。

②複数の条件に合わせて書くなんて大変だ。

③解答は自分で作らないといけないから大変だ

という先入観が捨てきれない。

 自分で解いてみたことのない記者や、解き方の指導を受けていない記者は、おそらく記述式問題と聞いただけで①②③を連想してしまい、受験生が負担だと思い込んでしまう。ステレオタイプの反応だ。

 解き方の指導を受けていない学生は、自己採点がずれる可能性が高い。教科書が読めない基礎的読解力の低い生徒も、複数の条件設定を理解できないから自己採点がずれる。

 3割ほどの学生が自己採点でずれがあるというのは、確かに多い。しかしPISA調査でも下位成績の集団が多かったことを考えると、残念だが、それくらいの割合いるのが現状なのかなと思う。

 それでも、記述式問題を延期するべきではなかった。

 記者は分かっていないのかもしれないが、学テBによる記述型の問題は、もうこれまでずっと行われてきている。そして、解き方の指導を受けていれば、どの子もほとんど同じ解答が書ける。

 もし記者が自分で解いたこともなく、条件を満たせば同じ解答になると知らないまま、自己採点がずれる生徒の言い分を鵜呑みにして記述式の延期を迫っていたのだとしたら、それは真面目に準備してきた受験生に迷惑をかけたことになる。記述式の方が点数が稼げると思っていた受験生は、一定数いたはずなのだ。

 新井紀子氏は、教科書が読めないようでは、自己採点ができないから、進学に大きな影響があると言う。大学入試の記述式問題について正解と自己採点のズレる生徒が3割近くいることが、延期の理由にもなっているが、彼らは、基礎的読解力に問題があるのではないだろうか。

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自己採点と実際の採点結果が一致しなかった受験生の割合は特に国語で高く、28.233.4%に上った。数学でも6.614.7%が一致しなかった。

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 今回のPISA問題で、公開されているモアイの問題。

 「別の謎が残りました」の「謎」を問う自由記述の問題は、実は本文中に答えがそのまま書いてある。

 実際には、そのまま引用しても正答なのだが、日本の正答率は697%だったと言う(中日新聞124日付より)。

つまり、正答率を逆にみれば、3割は間違えていることになる。

「謎」の中身を抜き出せない3割の学生は、記述問題の模範解答に正対して自己採点できないのではないか、と私は思う。

やってみると分かるが、「謎」を問うPISA問題は、けっこう簡単で、逆に「え、自由記述?、答え書いてあるじゃん」と戸惑ったくらいだ。

 強引に「だから」を使うが、だから「3割の学生が正解と自己採点がズレるから記述式問題を延期する」というのは、低いレベルに合わせた無理筋な愚策であると思う。

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December 14, 2019

松本サリン報道から25年

第2のグレタと称する8歳の環境活動家がCOP25(の会場付近?)で熱弁したという。

「地球温暖化に警鐘を鳴らすことをアピールできたようです」というナレーションに続き、彼女の言葉が紹介される。

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時間はありません。あと8年で気温が1、5度C上がります。
政治家が無意味な言葉で時間を無駄にする間に人々は死に家を失うのです。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000171332.html
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こういう映像を垂れ流す報道は、日本人のリテラシー能力をどう考えているのだろうか。
こんなの会場付近で騒いだだけじゃん。
道徳の授業の終末で、こんな粗雑な受け売りの意見を書く子がいたら、たしなめると思う。

◆この子の訴えの科学的根拠や出典は何か、
◆今、政治家は何もしていないと言い切る根拠は何か。
◆どこの人々が死に、家を失うのか。
◆気温が1.5度上がると本当に人は死ぬのか?

日本人のリテラシー能力が高まったら、こんな発言はニュースにならない。
報道した側の知性が疑われるからだ。
根拠不明のヘイトスピーチではないかと一笑に付される。
これで「地球温暖化に警鐘を鳴らすことをアピールできた」と称えるとは、日本人のリテラシー能力をなめているとしか思えない。

http://agora-web.jp/archives/2043182.html

PISA調査結果のニュースも煽情的だった。
記述式問題延期も、国会の桜問題も同じで、内容はしょぼいのに見出しでいたずらに強調する。

日本人のリテラシー能力がみくびられているからニュースになる。
それは25年前の松本サリン報道から全く変わっていない。
政治色の強いニュースは発言しにくいが、偏向報道の類のニュースについて、しっかり向き合ってみたい。
無論、自分の発言に偏りがないかは、しっかり注意していきたい。

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マジシャンズセレクト

先週、帰宅後、ぼーっとしながら観ていた「月9」のドラマ「シャーロック」。
12月9日の回は「マジシャンズセレクト」がキーワードになっていた。

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“マジシャンズセレクト”と聞けば、『古畑任三郎』の第2シーズンにあった「魔術師の選択」のエピソードが思い浮かぶ。言葉巧みに相手を誘導し、こちら側が選ばせたいものを相手に取らせるという、手品で用いられる常套テクニックである。12月9日に放送された『シャーロック』(フジテレビ系)第10話を読み解く上で最も重要なキーワードとして登場したこの“マジシャンズセレクト”は、もしかするとこのドラマ全体にとっても最重要なキーワードとなったのではないだろうか。
https://realsound.jp/movie/2019/12/post-458733.html
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 自分の明確な意思を伝えずに、相手に思い通りの行動をとらせることで、今回は知事が秘書に「お前に任せたぞ」と圧力をかけて、知事の思惑通りの悪事を働かせるわけだ(究極の3択をさせる場面があった)。「忖度」にも近い。
 このマジシャンズセレクトは、優秀な教師なら巧みに使っているかもしれない。直接明示はしないが、うまく子供をのせて自由にさえているように見えて想定内の行動をさせていく。
 大村はまの「仏様の指」の話も、これに近い。奥田正造先生が大村はまに話したエピソードとして『教えるということ』に出てくる。若い先生は知らないか。

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「仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらしたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった。」

「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。
自分が努力して,遂に引き得たという自信と喜びとで、その車を引いていったのだ」

もしその仏様のお力によってその車がひき抜けたことを男が知ったら、男は仏様にひざまずいて感謝したでしょう。
けれども、それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、何分の一かに減っただろうと思いました。
仏様のお力によってそこを抜けることができたという喜びはありますけれども、それも幸福な思いではありますけれど、生涯一人で生きていく時の自信に満ちた、真の強さ、それにははるかに及ばなかっただろうと思う時、私は先生のおっしゃった意味が深く深く考えられるのです。
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 子どもが自分でやったと信じて、自信をもてばよい。教師にやってもらったなどと気づかなくていい。これが教育=EDUCATE=引き出すの本質だ。
 そんなことを考えられただけでも、実りのあるテレビ鑑賞だった。

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December 10, 2019

PISA調査結果に関する新聞の悪意ある見出し

Pisa

「新聞の見出しに惑わされ、情報を正しく把握できない」

 PISA2018調査結果が発表された。結果の考察も大事だが、センセーショナルに扱った新聞報道の考察(批判)も大事だ。

 「高一読解力15位に後退 OECD調査、真偽見抜く力弱く」

というのが、地元中日新聞の一面トップの見出しである。

数学的応用力が6位、科学的応用力は5位で下がりはしたが依然トップ水準と言うのだから、OECD調査結果を報じたいなら、そちらを書けばいいのに、悪いことだけ見出しにするところが悪意に満ちている。

 資料によると、読解力は、「OECD平均より高得点のグループに位置するが、前回より平均得点・順位が統計的に有意に低下。長期トレンドとしては、統計的に有意な変化が見られない「平坦」タイプ」とある。長期トレンドは平坦のグループに属するのに、「後退」を強調する点も悪意に満ちている。
 なお、新聞記事本文をよく読むと「長期的傾向の分析では米国などと同じく変化がない『平坦』タイプとされた。」とちゃんと書いてある。
「平坦」という調査報告内容は分かっているのに、見出しでは「15位に後退」と危機を煽っている。しかも、1位の中国は正しくは「北京、上海、紅蘇、浙江」。3位マカオ、4位香港といった限定した参加地域を抜いてOECD加盟国でみれば、日本は11位である。
 「教科書が読めない」「情報を活用できない」「長文を読めない、書けない」 などの問題点がないとは言わない。
しかし、見出しで誤った方向に誘導する新聞報道は問題だし、その見出しに踊らされる読者も問題だ。


「見出しだけで判断せず、自分で元資料を確かめる」

「事実と意見を混同しない」

などが、読解力の第一歩と考えると、このような新聞記事を冷静に判断するリテラシー能力こそが求められる。

 今回の新聞の見出しは、25年前、無実の河野さんを犯人扱いした松本サリン事件と同じレベルである。

 この見出しに惑わされるようは、我々のリテラシー能力も読解指導も25年間進歩していないことになる。

・・・妹尾昌俊氏さん、まとめるの早いな〜。結果報告が出たその日の夕方には、ネットニュースに分析が上がっている。
自分の書きたかった見出しの愚かさが書いてあるし、問題の分析も終わっている。さすが、やることが早い。

 【PISAショックとか言うな!】読解力低下をどう受け止めるか(妹尾昌俊) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi/20191204-00153583/

 

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December 09, 2019

丁寧な指導ができてこそ、コーチングだ。

先のダイアリーで、コーチングと称して「教えない」で威張っている教師のことを書いた。
「総合教育技術」11月号で田中博之氏が、学テ問題対策の「丸投げ」を批判していることと重なった。
 少々長いが引用する。
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 新しい学習指導要領では、活用問題的な学力観が重視されます。もうすぐ新学習指導要領に基づいた新しい教科書ができあがりますが、活用問題への指導書の配当時間数が、少しは増えるのではないかと予想されます。もしも1時間でもあれば、学期に1問だけでもいいので、活用問題に取り組んでみてほしいと思います。
 その際に注意してほしいことがあります。それは、活用問題を子どもに解かせるときに丸投げをしない、ということです。
丸投げというのは、教員は机間指導で見て回ってアドバイスはするものの、基本的に「はい、これを解きなさい」と言って、子どもに自力で解かせるやり方です。 
 子どもたちが活用問題を解けない理由は二つあります。一つは論述して書く力が弱いことです。これは決定的な問題ですから、問題解決の過程や根拠を文章で書く練習をしなければなりません。もう一つは、どんな既習の知識や技能を使えば解けるのかを、正しく思い出せないことです。既に学習した知識や技能を活用せず、やみくもに解こうとしてもできませんから、「難しくてできない」と言い出すのです。
 かといって、「教えすぎると、子どもの考える力を奪ってしまうのではないか」と懸念する先生方もいることでしょう。それは正論ですが、活用問題は難しいのです。丁寧な指導が必要です。
(中略)
 授業中に補助輪付きの時間を、5分でもいいのでとってほしいと思います。活用問題はテクニックを覚えればできるわけではありません。一種のひらめきが必要であり、低位層の子どもがひらめくためには、どの知識が使えそうなのか、どんな公式が使えそうなのかなど、問題を解くために手がかりになるような既有知識を想起させることが重要です。例えば、必要になる既習の計算の技をヒントカードにして「ヒントが欲しい」子どもに挙手させて配るなど、見通しレベルの既有知識の想起をしてほしいと思います。
    「新学習指導要領を反映し活用問題を重視へ」より
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・・・田中氏の言う「丁寧な指導」も、子どもにヒントを与えて既有知識の想起を促すという意味では極めて「コーチング」的だ

 このコーチング的な丁寧な指導の対局が「丸投げ」だ。
 「教えすぎると、子どもの考える力を奪ってしまう」と「教えると、子どもの考える力を奪ってしまう」では意味が違う。
 ダメなのは「教えすぎる」であって、「教える」ではない。

 教師の重要な仕事である「見通しレベルの既有知識の想起」を怠ってはいけない。

 蛇足で書くが、「教師が教える」代わりに「子ども同士の話し合いに委ねて、教師が何もしない」は、もっとタチが悪い。
 教師でも難しい「既有知識の想起を促すヒント」を子供に出せるわけがない。
 もし、利発な子が「そうだ、○○を使えばいいんだ」と発言して、みんなが納得したとしたら、それは「ヒント」ではなく「教え込み」だ。

 配慮のない教師、見通しのない教師、子どもに任せっぱなしの教師は、次の①②③を起こす。

①みんなの前で恥をかかせる
②意味の分からないこと・嫌なこと・難しいこと・失敗しやすいことをやらせる。
③つまらないことを我慢させる

 コーチは本人のやる気を促すべき存在だ。
 だから、「テイーチ」より「コーチ」と言いながら何も教えない教師は、まさにコーチの真逆の存在だ。

 とにかく「テイーチ」より「コーチ」「ファシリテート」などと格好のいいことを言いながら、何も教えない教師は、何者でもない。

何を威張っているんだとつくづく思う。

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コーチングできるのが、優れた教師では?

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「体育科教育」12月号にコーチングの話題があった。

 「主体性を引き出すアカデミック・コーチングのすすめ」
  菅原秀幸(アカデミック・コーチング学会会長)

 (1)テイーチングが「教え込む」のに対して、コーチングは「引き出す」であり、両者の方向性は真逆です。
 (2)コーチングの目的は、能力を最大限に引き出すために、適切な行動を自らとるように促すことにあります。

・・・educateの語源がラテン語の「引き出す」だから、コーチングの方が本来「教育」の本質なのだという言い分。
  テイーチングとコーチングの方向性が真逆だという菅原氏の次の一節がとても興味深い。

◆コーチングのスタートは、教育学を修めながら、テニス・コーチとして新しい指導方法を考え出したテイモシー・ガルウエイにあるとされています。その当時の指導スタイルは、模範的なプレーを知っているコーチが、命令形で教え込むというものでした。
 (中略)ガルウエイも、練習プランの作成から、スイングの仕方まで手取り足取り、こと細かに生徒に教えました。しかし教えれば教えるほど、生徒のもっている力が発揮されないことに気づいたのです。
  そこで、ガルウエイは、「教える」ことから「問いかける」ことへと指導方法を変えてみました。つまり、それまでの「ボールをしっかりよく見て打って」と教えていたのを、「飛んでくるボールの縫い目は、縦に回転していたのか、横に回転していたのか?」
 「ラケットにボールが当たる直前のボールの動きは、上昇中だったか下降中だったか」などと問いかけたのです。この結果、生徒はボールに集中し、もてる力を発揮できるようになりました。

・・・「問いかける」がコーチングの基本というなら、我々がめざす「優れた教師」は「コーチング」を含んでいることが分かる。
 我々は一方的に教えるだけの授業などは毛頭めざしていない。子どもの目の色が分かるようなすぐれた発問づくりに邁進してきたからだ。

  そもそも菅原氏は「教える」と書けばいいところを「教え込む」とネガテイブに表記して、イメージ操作している。

  すぐれた教師は「教え込む」を避ける努力をしている。
  子どもたち自身が気づき・考え、行動できるよう、発問を工夫し、授業展開を工夫し、場づくり・教材づくりに苦心している。

  だから、教師は「一方的に教え込む存在」、コーチは「引き出す存在」という対立構造そのものがミスリードなのだ。

◆「教える」ではなく「問いかける」ことで、力を最大限に発揮できる状態を作りだす、これがコーチングの基本であり、それをになうのがコーチです。

とあるが、「教える」と「問いかける」は対立概念だろうか。
 「問いかけることで、教える」が、我々がいつも取り組んでいる授業展開だから、次のように言い換えられる。

※「問いかける」ことで「教えたい内容」を習得する状態を作りだす、これが「教える」の基本であり、それをになうのが教師です。

  宇佐美先生が主張した発問の「間接性の原理」は、まさに「教えないで教える」であったのだと理解している。


  ところで。
  
  「これからはコーチングの時代だ」と、子どもに丸投げしている教師がいるとしたら、それでは「コーチ」の仕事をしていないことが分かる。
 「子供に気づかせる努力・発問(質問)の工夫」を怠る者は、コーチでも教師でもない。

  「教え込む」より「気づかせる」の方が、実は手間がかかるし、指導の腕も求められる。
  コーチングには、その「気づかせる」が求められているというのに、「教え込む」よりもはるかにレベルの低い「教えない(何もしない)」をやろうとしている教師がいるとしたら、それは、まさに「コーチング」とは真逆だ。


  何もしない < 教え込む < 問うて気づかせる

 「コーチング=教えない」を口実に、ただサボっているにすぎない。まさにコーチングの歪曲だ。


  我々がめざすべき「すぐれた教師」は、子どもの能力を最大限に引き出すために努力と工夫を続けるのだから、「コーチ」を含む存在だ。

というのが、今回の自分の結論だ。

  部分的に抜粋したので菅原氏の真意とはズレるかもしれないが、「コーチ」よりも「教師」の方が求められているのだという思いを強くした。

  菅原氏の論稿の冒頭は、ウイリアム・アーサー・ワードの言葉を引用している。

◆平凡な教師は、ただしゃべる
 よい教師は、説明する
 すぐれた教師は、やってみせる
 偉大な教師は、やってみようという気にさせる。

  しかし、自分の都合のよい解釈をする怠け者教師は、教師とは「しゃべらない・説明しない・やってみせない」が望ましいのだと豪語する。
 「やってみようという気にさせる」=「教えない」とは、どこにも書いていない。「教えない」教師を理想とする意味はどこにもないのだ。

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「PEAK PERFORMANCE 最強の成長術」

ここ数年読んだ研究者のオールスターズのような一冊。
「フロー(熱中体験)」のチクセントミハイ、「意志力」のバウマイスター。
「ファストシンキングとスローシンキング」のダニエルカールマン。
「一万時間の法則」のマルコムグラッドウエル。
「マシュマロテスト(とは出てこなかったけど)」ウォルターミシェル。
「マインドセット」のキャロルドウエック、ケリーマクゴニガルなどなど。
帯で「大絶賛」として紹介されているのが、「モチベーション」のダニエルピンク。
安易な「一万時間のルール」を否定して、鍛錬の密度・集中度を述べた一節もあった。
やった気になる「マルチタスク」より「シングルタスク」の方が成果が上がることも述べられていた。
「ルーテイン」の効能も。

これまではメンタルな啓発本しか読んでこなかった。
しかし、当たり前だけど身体的な成長術も体得しないとパフォーマンスを発揮できない。
この本には、休息や睡眠の重要性がしっかり書かれていた。

「負荷+休息=成長」という方程式。

これは、大学時代にトレーニングの知識として学んだ「超回復」の理屈に似ている。

■超回復とは?
超回復とは、筋力トレーニング後に24~48時間くらいの休息をとることによって起こる現象で、休息の間に筋肉の総量 がトレーニング前よりも増加することをいいます。
■筋肉増加のメカニズム
筋肉を増加させるには、筋肉の破壊と修復を繰り返さなければなりません。
筋力トレーニングを行うことによって筋肉は破壊され、それから「24~48時間」かけて徐々に修復されます。
トレーニング後は筋肉が破壊されてしまうので、トレーニング前よりも筋肉の総量 は減少しますが、適切な時間休息を与えることで修復され、さらには超回復が起きて、一度減少してしまったはずの筋肉がトレーニング前よりも大きな筋肉になるのです。つまり、超回復が起こるのを待ってから次のトレーニングを行う方法が、筋肉を増加させるには理想的といえます。
■休息時間の重要性
超回復を知らない選手たちは、超回復が起こる前(筋肉の修復を待たず)に次のトレーニングを行ってしまいます。これは、筋肉の破壊だけを繰り返していることになりますので、筋力トレーニングを続けているにも関わらず、期待通 りの成果を出すのが難しくなるのです。
 超回復の原理を有効に利用することによってはじめて、筋肉は強く逞しくなります。

http://www.cramer.co.jp/training/rest_3.html


知識としては睡眠の重要性を分かっていながら、実践が怠ってきた。
締め切り前は、寝る時間を削るくらいの気迫が必要だと思ってきたが、それは。実際の成果から言えば「自己満足」にすぎない。
深夜になればなるほど、パフォーマンスは下がっていく。分かっているけど、やっているのだから愚行であったとしか言いようがない。

選択と集中、オンとオフの切り替え。余分なものを断つ絶縁能力と書くと、またメンタルに寄ってしまう。
「長期的に持続可能」であるために、とにかく身体を大事にしようと思う。

 

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