マジシャンズセレクト
先週、帰宅後、ぼーっとしながら観ていた「月9」のドラマ「シャーロック」。
12月9日の回は「マジシャンズセレクト」がキーワードになっていた。
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“マジシャンズセレクト”と聞けば、『古畑任三郎』の第2シーズンにあった「魔術師の選択」のエピソードが思い浮かぶ。言葉巧みに相手を誘導し、こちら側が選ばせたいものを相手に取らせるという、手品で用いられる常套テクニックである。12月9日に放送された『シャーロック』(フジテレビ系)第10話を読み解く上で最も重要なキーワードとして登場したこの“マジシャンズセレクト”は、もしかするとこのドラマ全体にとっても最重要なキーワードとなったのではないだろうか。
https://realsound.jp/movie/2019/12/post-458733.html
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自分の明確な意思を伝えずに、相手に思い通りの行動をとらせることで、今回は知事が秘書に「お前に任せたぞ」と圧力をかけて、知事の思惑通りの悪事を働かせるわけだ(究極の3択をさせる場面があった)。「忖度」にも近い。
このマジシャンズセレクトは、優秀な教師なら巧みに使っているかもしれない。直接明示はしないが、うまく子供をのせて自由にさえているように見えて想定内の行動をさせていく。
大村はまの「仏様の指」の話も、これに近い。奥田正造先生が大村はまに話したエピソードとして『教えるということ』に出てくる。若い先生は知らないか。
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「仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらしたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった。」
「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。
自分が努力して,遂に引き得たという自信と喜びとで、その車を引いていったのだ」
もしその仏様のお力によってその車がひき抜けたことを男が知ったら、男は仏様にひざまずいて感謝したでしょう。
けれども、それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、何分の一かに減っただろうと思いました。
仏様のお力によってそこを抜けることができたという喜びはありますけれども、それも幸福な思いではありますけれど、生涯一人で生きていく時の自信に満ちた、真の強さ、それにははるかに及ばなかっただろうと思う時、私は先生のおっしゃった意味が深く深く考えられるのです。
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子どもが自分でやったと信じて、自信をもてばよい。教師にやってもらったなどと気づかなくていい。これが教育=EDUCATE=引き出すの本質だ。
そんなことを考えられただけでも、実りのあるテレビ鑑賞だった。
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