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January 01, 2020

記述式問題とプログラミング的思考

国語の記述式問題に対しては、「答えが千差万別になるから採点が不安」との批判、誤解がある。

しかし、試験問題で課す以上、千差万別や十人十色はありえない。自由な解釈を問うているわけではない。

プログラミングでいうと、たった1つコードが違うだけで、プログラムは動かない。あるいは目的通りの動きをしない。

我々が記述する文章にも同じような精密さを求められる場合がある。
契約書や規約、法的書類などだ。十人十色に読まれては困るのだ。
しかも、現代は外国人にも通じなくてはならないから、阿吽の呼吸は通用しない。きちんと明示し、達意の文章で示さねばならない。
プログラミングのコードほど厳密でないにしても、ある程度の厳密さで記述しないと誤解が生じ、トラブルが生じる。
だから、「プログラミング的思考」「プログラミング的な表現力」が必要になる。誰が読んでも一義にしか読めない文章だ。
新井紀子氏の公開授業も、道案内を題材に「一義になる文を書く」というものだった。
お分かりになると思うが、これがプログラミング的であることは明らかだ。
記述式の解答をAIに採点させるという話もあったらしいが、これも、AIがプログラミングのように一義に読めるかを確かめるためだと思うと合点が行く。
AIに読み取ってもらえないような多義的な表現、条件を逸脱した表現は「不可」の時代が来る。
一義にしか読めない文章を書くのが記述式テストの本意であるのに、「答えが多様になるから採点が大変だ」との批判があった。おかしい。
それは解答が間違っているし、そもそもの記述式解答の意図が分かっていない。
自己採点でバラツキが多かったとの批判があった。あるいはアルバイトの採点で大丈夫なのかという批判があった。
しかし、そもそも条件を正しく読み取れない生徒は、示された模範解答と自分の解答が同じかどうかの理解ができない。
自己採点できない読解力の低さが問題なのであって、記述式問題が悪いわけではない。
生徒が条件設定を理解できる力をつけない限り、このようなおかしな批判はなくならない。

ここは三段論法で締めてみる。

①プログラミングは、society5.0の社会に必須な能力だ。
②一義にしか解釈されない文章を書くことが、プログラミングできる子供たちの育成につながる。
③だから、条件に合わせた一義の記述式問題は、どうしても必要だ。

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