ウイルスより怖いのは「人の心」
◆4月28日 市教委の指示で学校HPに以下の動画を紹介した。
日本赤十字社作成『ウイルスの次にやってくるもの
動画を公開した日本赤十字社は
「この感染症の問題の一つは、嫌悪や差別が『人』に向かっていくことだ。本当に戦わなくてはいけない相手は『ウイルス』であり、『恐怖』なので、団結し、励ましあうことにより、『恐怖』を乗り越えられると伝えたい」
としている。
「人が傷つけ合うのはウイルスよりも恐ろしい」と自分もそう思う。
◆4月1日に神戸市外国語大学学長のメーセージが配信された。
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(前略)病気という目に見えない脅威は、人々を不安にし、その不安に何らかの説明を求めようとします。この不幸の原因は自らにあるとして、病を神から下された懲罰と考えることもありました。その反対に、自分は何も悪くないのに、病気が迫ってくることは理不尽であると考え、他人に原因を求めることもありました。そのため、パニックに陥った人々が、悪魔や魔女といった邪悪な存在によって脅威が引き起こされているのだと思い込み、何の罪もない弱者を魔女とみなして処刑する、といった不幸な出来事もありました。また、社会で疎外されている人々--宗教的マイノリティや抑圧されている少数民族など--が病気の原因をもたらしたのだ、といった「陰謀説」にとらわれて、迫害するといった例も数多くあります。
遠い歴史の話ばかりではありません。身近な例では、2009年に新型インフルエンザの流行があった際に、流行が始まった神戸・大阪の高校生、というだけで偏見の目を向けられるということがありました。不安のあまり、理性的な対応ができなくなってしまうのです。
http://www.kobe-cufs.ac.jp/news/2020/20547.html
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・・・同じ大学だというだけで京都産業大学の生徒たちが非難を浴び、差別を受けたことなどが話題になっていた頃だ。
「魔女狩り」という言葉がずっと気になっていた。
人は誰しも「魔女狩り」の素地を持っているのかもしれないからだ。
感染していながら歩き回った、感染地域から慌てて帰国した、感染地域へ旅行に行ったという話を聞くたびに、自分も腹立たしいと思った。自分だって同じような怒りの感情がある。
GW中に「自粛警察」という言葉を知った。通報したり、脅迫したり、ネットで拡散したりと、自分たちは正しいことをしていると信じて「私刑」を行う人たちだ。「やりすぎだ」と思うが表立ってはやらないが、自分も腹立たしいと思うことがあるから、同罪だ。
そもそもマスコミは、散々「自粛警察」みたいなことを報道しておきながら、一般人の「やりすぎ」をとがめる。マッチポンプだ。
正しいを貫いて鬼になってしまった神を「阿修羅」と言う。
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怠けている人間、遅刻した人、それぞれに事情があり、理由があるはずです。
その事情・理由を斟酌(しんしゃく)することなく正しいことを言う人は、じつは、ー正義という名の魔類ーになっているのです。
仏教では、その正義という名の魔類をー阿修羅ーと呼びます。
阿修羅というのは、本来は正義の神であったのですが、自分だけが正義だと思って、他人に対する思いやりがないために、神界から追放されて魔類になった存在です。
2006年中日新聞7月18日付の朝刊に「ひろさちやのほどほど人生論」 より
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若い先生は知らないだろう。永井豪の漫画「デビルマン」。
これも、悪魔と化した人間が誰か分からず「人間が人間を殺し合う」という壮絶なシーンが出てくる。
「悪魔狩り」と「人間狩り」がイコールになってしまうという含蓄のある作品だ。
愛蔵版というのを所有していて、今日もまた読み耽ってしまった。
「人が傷つけ合うのがウイルスよりも恐ろしい」と自分もそう思う。
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