「転回点」=「ターニングポイント」=「クライマックス」
『宇治拾遺物語』のなかに「わらしべ長者」の話がある。
長谷寺の観音様のお告げに従ったら、手にした1本のわらがミカンになり、ミカンが布三巻になり、馬一頭になり、田畑と家になり長者になる話だ。
河合隼雄は「日本人の心を解く 夢・神話・物語の深層へ」(岩波現代全書)の中で、このお話について次のように解説している。
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若い侍はとても受け身で、道中にふりかかってくるものをただ受け入れるだけである。しかしながら馬が死ぬところを見て侍の態度は変わる。侍は積極的に馬を買おうとし、生き返るように観音様にお祈りする。馬が生き返るなど誰も思わないから、侍の側からするとこれは大きな賭である。
この抜き差しならぬコミットがこの物語りにおける転回点である。似た場面は多くの日本の物語に認められ、主人公の発達のための最も重要なポイントを成している。
転回点なくしては、ヒーローは自分自身の受動性の餌食となったであろう。けれどもそのようなポイントは抜き差しならぬコミットなしには実現されることはなく、逆に危険が伴っている。もしも馬が生き返らなかったなら、ヒーローはだめになってしまっていたであろう。P34
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なるほど!
「転回点」は初めて聞いた言葉だが、納得できた。
「クライマックス」というよりは「ターニングポイント」なのだ。
おおざっぱな筋しか知らなかったので、「わらしべ長者」の後半部を調べてみた。
それでも相当長いので、現代語訳を、抜粋して示す。
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夜が明けて、見事な馬に乗った人を見ていると、馬が急に倒れて死んでしまった。
持ち主が「この馬を始末しておけ」と、下男ひとりをそこに留め、去ってしまったのを見て
「この馬は、私の馬になるために死んだのではないだろうか。
わらしべ一本はみかん三つになった。
みかん三つが布三巻になった。
この布は馬になるんだろうな」
と思い、歩み寄って下男に向かい
「 たしかに、旅をしていては、皮を剥ごうとしても乾かすこともできないでしょう
私はこのあたりに住んでいるので、皮を剥いで使いましょう。譲ってもらえませんか」
と、布を一巻わたすと、下男は 思わぬもうけものをしたと走り去ってしまった。
侍が長谷寺の方に向かって、「どうかこの馬を生き返らせてください」と念じると、馬が生き返った。
馬は元気になったが、この馬を都に引いていったら、「盗んだな」と言われてもつまらない。
「なんとかこれを売れないものかな」と思い、「馬を買いませんか」と尋ねると、
「今は、交換するような絹などはないのだが、田や米と換えてはもらえぬか」言ったので
「私は旅をしているので、田などもらってもどうにもしようがないのですが、馬が必要なのであれば、仰るとおりでいいです」と答えた。相手は、「これはいい馬だ」と、田と家を預けて、「私が生きて帰ることがあったら、そのとき返してください。`帰るまでは、ここに住んでいてくださってかまいません。もし命を失い、死んでしまったら、自分の家としてください。子もいないので、とやかく言う人もおりません」 と言い、家を預けて、田舎へ向かってしまったので、その家に入った
耕した田は、思いがけないほど米がたくさん取れたため、たいへん裕福になった
その家の主も、それっきり帰って来なかったので、家も自分のものとし、子孫もできて、栄えたという
長谷寺参籠の男 利生に預かる事
https://www.koten.net/uji/yaku/096/
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「3度めの事件で大きく成長する」という構造だ。
たまたま藁がミカンになり、ミカンが布になった若侍は、今度は自分から仕掛けた。
その時「この馬は、私の馬になるために死んだのではないだろうか」と自分を信じ、行動に移した。
これが「転回点」ということか。
ヒーローがブレイクスルーする瞬間とも言えるだろう。
「主人公がガラッと変わる瞬間」
=「ターニングポイント」
=「ブレイクスルーのポイント」
=お話としての「最高潮・クライマックス」
なのだと思う。
河合隼雄の先の解説と「わらしべ長者」を読んで、斎藤隆介の『八郎』と重なった。
八郎は、荒れ狂う海を前に、次のように叫ぶ。
「わかったあ !
おらが、 なしていままで、
おっきくおっきく なりたかったか !
おらは、 こうして おっきく おっきくなって、
こうして、 みんなのためになりたかったなだ 」
あるいは「スイミー」。スイミーはおびえる仲間たちに、こう叫ぶ。
「そうだ。みんな いっしょにおよぐんだ。海でいちばん大きな魚のふりして」
「ぼくが目になろう」
あるいは「モチモチの木」。豆太はじさまを救うために勇気をふりしぼる。
足からは血が出た。
豆太は、なきなき走った。いたくて、寒くて、こわかったからなあ。
でも、大すいなじさまの死んじまうほうがもっとこわかったから、なきなきふもとの医者様へ走った。
文章構造としての「クライマックス」を、人物の成長の「転回点」「ブレイクスルー」「ターニングポイント」で読むと、読書が味わい深くなる。
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