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July 29, 2020

アフターコロナは、「物の豊かさ」ではなく「心の豊かさ」

先のブログで、「子どもたちは『諦めること』を学んでしまったのか?」と書いた。

「万が一」の事態に備えて、「9999」の楽しみを奪われたコロナ禍の子供たちに同情した。

しかし、先日、1年生の先生と話をしていて、少し気持ちが変わった。

夏休みの思い出の絵など今年は宿題に出しようがないとその先生は話をされた。

確かに、今年の夏休みは旅行自粛の雰囲気が強くなってきた。


しかし、アフターコロナは、そういう大きな思い出を自慢話として取り上げなくて良い。
保護者も、夏休みだからどこか遠くにお出かけしなければといった強迫観念を抱かなくて良い。

どこかへ行ったとか、イベントに参加したとかの大きな変化がなければ思い出話が語れないわけではない。
派手な行事作文、派手な行事の絵など要らない。
小さな変化でいいのだ。

育てていた朝顔の花が咲いた。
セミがうるさく鳴いていた。

お母さんのお手伝いをしたら、大変だった。

・・・そうした日常のかすかな変化・自分のかすかな発見を、絵にしたり、作文にしたり、スピーチにすれば良い。

そう考えたら、アフターコロナの子どもたちは、「ちょっとした変化」を楽しめる子どもになるかもしれない。
身の回りのちょっとした発見に敏感になれる「精神的な豊かさ」が尊ばれる時代になるかもしれない。

あたかもバブルがはじけて、身の丈にあった楽しみ方を身に付けたようなものだ。

アフターコロナに、希望が見えてきた。

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July 23, 2020

子どもたちは「あきらめること」を学んでしまったのか?


先週、「運動会にかわる平日の体育の授業公開」と「修学旅行実施」の案内文書を保護者に配付した。

運動会は中止だけど、低中高学年で時間を分けてそれらしい種目を公開する。ただし、例年のように長い練習時間を割いての表現はやらない。接触の多い組み立て体操や騎馬戦などはやらない。

修学旅行は、様々な配慮をして実施する予定。例えば宿泊ホテルでも大食堂では食事せず、各部屋で食べる。大浴場も使用せず部屋のお風呂を使う。お土産は宿泊ホテルで並べてもらうというように。

5年生の野外学習については、6月に中止決定の案内を出したが、修学旅行については、これまで実施するとも中止にするとも話していなかった。
そんな状態でようやく保護者向けの正式な文書を配付したわけだが、あるクラスでは驚くほど反応が悪く、安堵も歓喜もなかったという。

「修学旅行は実施予定です」という文書を出したところで、今度の状況によってはどうなるか分からない。
そういう条件付きであることを子供も理解している。

春休み自粛、GW自粛、学校行事中止、プール中止、夏休み短縮

この後も、何が起きてもおかしくない状況であり、予定通りにならなくても文句を言えない状況。
文句を言っても仕方ないし、そもそも誰に文句を言っていいのか、その相手も定かでない。

「予測不能な世界を生きる」とは、

◆過度に期待しないことなのか。
◆あきらめが肝心だと悟ることなのか。
◆「楽しみ」を奪われるということなのか。
◆「夢」を持つなということなのか。
◆「万が一」に備えるために、「九九九九」を我慢することか。


コロナ後の子供たちが、「あきらめること」「期待しないこと」に慣れてしまうとしたら、それはすごく残念だ。
アフターコロナの時代に明るい希望が持てるよう、こんな時期だからこそ「明るい未来」を語る材料をストックしたい。

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July 18, 2020

コロナ禍では、「対話的で深い学び」が難しい

本年度から新学習指導要領が全面実施になったのに、「主体的・対話的で深い学び」が難しい現状について、先日も書いた。

7月16日の中日新聞の「学ぶ」の欄に、同じような趣旨の取材記事が掲載されていた。

◆本年度から小学校で全面実施された新学習指導要領は「主体的・対話的で深い学び」(アクティブラーニング)を掲げている。授業では子供同士の対話を重視するが、新型コロナウィルス対策で思うようにできないのが現状だ。そんな中、工夫して対話的な学びと感染防止を両立している学校もある。


◆「対話は禁止。子供対教師の古典的な授業が進んでいる。」アクティブラーニング元年となるはずの本年度、準備をしていた直後のコロナ禍で出鼻をくじかれた愛知県内の小学校教諭の男性はため息をついた。

◆本誌が実施した中部地方の教育委員会に対するアンケートでも「子供同士が密着する授業内容は避ける」「学習の遅れを解消するために授業の効率化を進める」などの回答が並んだ。この中で詰め込み型に逆戻りしているような状況となっている。

・・・このあたりは、自分の実感と同じだ。

 「習得」には、「詰め込み」「教え込み」「古典的な授業」「受信型」「教師主導」というマイナスイメージが伴うが、「習得」の過程が大事であることは間違いない。ただし、全ての授業がそれだけでは子どもに「主体的・対話的で深い学び」「創造的な思考力」「発信力」をつけられない。

 ところで、記事では「そんな中、『主体的・対話的で深い学び』を実現しようと工夫する教員もいる」と、ある先生の実践紹介がされている。

◆「書く」と「読む」による対話は、国語に限らない。図工の作品には、児童同士で感想を付箋に書いて貼り付ける。教室内には大小さまざまなホワイトボードを用意。小さなマイボードに書き込んで声を出さずに意見を伝えたり、円形のボードを4人で囲み、距離を保ちながらグループで対話を行ったりする。

・・この記事だけでは詳細はわからないが、「習得」と真逆の「学び合いの授業」を推奨する人もある。
 したがってこの特集記事の裏には、せっかく推奨してきた「学び合いの授業」が今、進められなくなくなっていることへの苛立ちがあるのかもしれない。
 
 「対話・学び合い・教え合い」の場面は大事だ。しかし、全ての授業がそれだけでは子どもに確かな学力をつけられない
「指名なし討論」に憧れる先生も多いと思うが、ステップも踏まず指導もせずに「指名なし討論」だけを繰り返すなら、それもまた「教えない授業」のカテゴリーに含まれてしまう。「指名なし討論」だって手順を踏まなければ「這いまわる」のレッテルを貼られてしまう。

 「確かに教える場面」「子どもたちに任せる場面」の双方のバランスで、日々の授業を組み立てることが、新学習指導要領の本意なのだと思う。

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July 15, 2020

大根の花にびっくりした子供たち・・・あれもWOW体験

「これは何の花でしょう」と、花や葉っぱの部分を見せて問う。
子供には上の部分だけを見せる。根っこの部分は大きな紙袋に隠してある。

ほとんどの子が見たことがないから、菜の花などと言うが当たらない。

「さて、正解は.....」と言って紙袋から根っこの部分を見せる。
ただの根っこではない、太い大根だ。

「わー、大根だったんだ!」と歓声が上がる。
子供に驚き(WOW体験)を与える授業の実例。

ふりかえれば、これは自分の初任の年の春の授業。
当時は、実家に畑があり、早朝、実家の畑で大根をまるごと採って、そのまま出勤したことを覚えている。
こうして、子供にアッと言わせたいという思いが、新任当初から自分にはあったのかと、今になって思う。
さらに振り返ると、正規採用前にある高校で1年間非常勤で国語を教えていた。
最後の授業で「テストをします」といって、東海林さだお氏の楽しい文章をテスト問題にした。
テスト中、生徒はくすくす笑いながら問題を解いていた。
1年間退屈な授業をしてきた自分にとって、「こういう工夫が必要なんだ」と思うようになった原点となる実践だ。
自分だってプリントも作ったし、板書計画もした。
同時に授業のネタ探しにも取り組んできた。子供のワーッと驚く姿を見るのが楽しみだった。
それが教師冥利だと思ってきた。

TOSSのセミナーの模擬授業では、数分に一回はオーッという歓声が上がり会場が巻き込まれる。
そういう体験がほしくて、今なおセミナーに参加しているのだ(最近はZOOMです)。

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今年度の学力状況調査問題

昨日の朝、勤務校に今年度の学力状況調査が届いた。
回収と採点、結果分析はないから、使い方は学校裁量になる。

できれば学年にはテスト形式でチャレンジさせてほしいし、職員にも研修としてやってほしいと思っている。

ざっくり見ての感想。

国語の漢字問題は3問。

①「非常」を書く問題。
②「改める」「確かめる」の送り仮名は選択問題。

算数の計算問題は3問

①150センチの1、3倍は?
②縦80M 横50M の長方形18個を、縦に何個、横に何個並べると縦240M 横300Mになるか?
③芽が出た種40個は、まいた種50個の何%か?

・・・これまで自習プリントと言えば「漢字と計算」だった。
休校中も、漢字と計算のプリントをせっせと準備していた。

しかし、漢字と計算をいくらがんばっても、学力テストの点数アップには結びつかない。

たくさんの情報から必要なものを選択し処理する能力・よく考えて答えを導く能力が問われているというのが第一印象だ。
むろん、この傾向は今年に限ったものではないが、特にABの区別がなくなったことで、A問題が減ったように思う(ここは、あくまで「印象」である)。

学テの傾向は、大学入試テストの傾向でもある。
漢字練習と計算練習が無駄とは言わない。
しかし、効率よく漢字習得と計算力の向上をはかり、残りの時間を別の課題(情報の選択や処理、思考・判断・表現)に充当しないと、子どもの将来を台無しにしてしまう。

教師は、この学テの「傾向」と「内容」に、もっと敏感でなくてはいけない。

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一方的な講義形式では困る。見た目のアクテイブだけでも困る。

朝日新聞7月12日付に「教育」の特集ページがあった。
休校明け1か月の学校の様子を取材したものだ。
以下の部分が印象に残った。

◆コロナ前と後では授業の方法も変わった。飛沫が気になり、話し合いやグループ学習はできない。大きな声での発表も無理だ。「話し合い学び合う小学校の授業が難しい。教師が話し、黒板に書くスタイルになってしまいます。」

・・・13日、学校に届いた理想教育財団の季刊雑誌「理想」136号の梶田叡智一氏の論文と重ねて読んだ。

「 新学習指導要領の全面実施を迎えて  真のアクティブラーニングを」というタイトルだ。先に自分が引用した文科省の解説「新たな未来を築くための大学教育の質的展開に向けて」2012年8月28日答申の用語集が、ここでも引用されている。

◆教員による一方的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授、学修法の総称。学修者が能動的に学習することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。(後略)

そして、アクティブラーニングに大前提となるポイントが3つ示されている。
自分なりに大胆にまとめると、以下の3点になる。

1 「活用」「探究」の土台として、「習得」が必ず位置付けねばならない。

2   アクティブな活動があるだけではだめ。デイープラーニングや学力形成に繋がらねばならない。

3   見た目のアクティブが大事なのではない。学習者が自分自身の内的必然性をもって学ぶことが必要。

・・・念頭には「這い回る経験主義」「活動あって指導なし」という批判を回避したいという思いがあるのだと思う。

◆このように、アクティブ・ラーニングとは、児童生徒を受身のままにさせない、ということであり、教師が一方的に語り続けたり、活動の指示を出し続けたりするといった指導のあり方から脱却することである。ここで目指されているのは、思考を活性化させ、具体的な課題解決に対して積極的に取り組んでいく主体的能動性を実現することである。これは言われたままにやるのでなく、自分事として〈自我関与して〉課題に取り組み、考えていくこと、と言ってもいいであろう。

 

・・・ただ単に活動させればよいわけではない。一方で、受け身の授業からの脱却は進めねばならない。

この双方のニーズに合わせることが大変なのだ。

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July 04, 2020

新学習指導要領の理念は、一時凍結か?

「主体的・対話的で深い学び」をキーワードにスタートした新学習指導要領元年だが、現状は「一時凍結」といっていい。

コロナ禍にあって、マスク着用、小グループ禁止で、対話を封じられている。

おまけに授業の遅れを取り戻す必要があるので、
 

「従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業」
 

に拍車がかかっているように思えるのだ。

◆効率よく知識を教え込むために、板書計画やノート計画を立て、プリントを作成している。
◆子どもは教師の指示通りに黒板をノートに写し、プリントの穴埋めを行っている。
 

それは、全否定するわけではないが、それが全てではいけない。

「授業の魅力=WOW体験」を置き去りにしてはならないからだ。


「アクテイブラーニング」という名称そのものは使わなくなったが、「主体的・対話的で深い学び」の理念は、アクテイブラーニングであることに立ち返って、補足する。


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◆従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動的学修(アクティブ・ラーニング)への転換が必要である。
すなわち個々の学生の認知的、倫理的、社会的能力を引き出し、それを鍛えるディスカッションやディベートといった双方向の講義、演習、実験、実習や実技等を中心とした授業への転換によって、学生の主体的な学修を促す質の高い学士課程教育を進めることが求められる。
学生は主体的な学修の体験を重ねてこそ、生涯学び続ける力を修得できるのである

(『新たな未来を築くための大学教育の質的転換に 向けて〜生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ〜(答申)』
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1325047.htm  本文P9
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・・・これは大学向けの授業改善の答申だ。
座学だけにならないよう、能動的な学習を大学でも取り組んでみようと主張している。

小学校でも、座学からの脱却=「従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業からの脱却」が論じられ、

平成元年 生活科の導入
平成10年 総合的な学習の導入

と着々と進められてきた。

教育課程審議会が次のような答申を出したのは、なんと昭和42年10月のことだ。

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「低学年社会科については,具体性に欠け,教師の説明を中心にした学習に流れやすい内容の取り扱いについて検討し,発達段階に即して効果的な指導ができるようにすること,
また,低学年理科については,児童が自ら身近な事物や現象に働き掛けることを尊重し,経験を豊富にするように内容を改善すること

http://ejiten.javea.or.jp/content15c9.html
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生活科にも教科書が求められ、実際に教科書が作られたとき、「生活科は死んだ」という声があった。
教科書ができてしまったら、生活科が、教室での座学になってしまうからだ。

2020年。

今なお、黙って教師の言うことを聞いて、黙々と板書をノートに写す授業が、理想の授業モデルであってはならない。

しかし、振り出しに戻るが、コロナ禍にあって、2か月3か月の臨時休校中の学習の遅れを取り戻すために、伝達注入式の授業が跋扈しているように思うのだ。

「余分なことは考えずに、先生の進める授業に従え」では困る。

先生が困るほど、子供が疑問を感じ、異議を唱え、すったもんだすることが本当は望ましいのだ。

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優れた指導者は、GRITを見抜き、GRITを伸ばす。

『GIVE&TAKE』アダムグラント著(三笠書房)2014年。

1980年代、心理学者のベンジャミン・ブルームが行った調査によると一流のピアニストは、生まれながら才能に恵まれていたわけでもなく、一流のピアノ教師に習ったわけでもない。特徴的だったのは「思いやりのある、親切で、寛容な先生」に指導されたこと。

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超一流のピアニストは、ギバー(与える人)である教師によって音楽への関心に火がついたのである。

教師はレッスンが楽しくなるようにな方法をあれこれ工夫し、これがきかっけとなって猛練習をするようになり、専門的知識がついていったのだ。(中略)

同じパターンが世界的なテニスプレーヤーにも見られる。(中略)

最初のコーチは「優秀なコーチというわけではなかったが、子どものあつかい方がとてもうまく、テニスに関心をもち、練習をがんばろうという気にさせてくれた」ということだ。P174~176

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・・・なるほど、良心的な教師(本書では「与える人」=ギバーと呼んでいる)との出会いが、その人の一生を左右する。

教師の責任の重さを痛感させる一節だ。

さて、このあとの根性論が興味深い。

 

◆ずば抜けた才能を持っているかや、熱心に取り組んでいたかではなく、粘り強さが際立っているかどうかが将来性に大きく関わってくると言う。

◆心理学者のアンジェラ・ダックワーズは、これを「根性〜長期的な目標に向かって熱意を持って根気よく取り組むこと〜と呼んだ」とある。

ダックワースの研究では、知力や適性以上に、根性のある人びとが、関心、集中力、やる気によって、より高い業績を達成することがわかっている。P176/177

 

・・・これは、GRITのことだ。ここでは「根性」と訳されている。

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もちろん天賦の才能も重要だが、一定以上の能力を持った候補者がたくさんいたら、粘り強さは、その人がどこまで可能性を発揮できるかを予測する大きな要因になる。だから、ギバーは、根気のある人間に目をつけるのである。そして、じっくり時間をかけて、粘りのある人の背中を押すだけではなく、ギバーは根気のない人に根性そのものを植え付ける努力もする。(中略)

 根性を養う秘訣の一つは、目のまえの仕事をより興味深く、やる気のあるものにすることだ。ブルームの調査によれば、才能のある音楽科やアスリートは皆最初、ギバーの教師から学んでいた。

 こうした教師は子供好きで、正しいことをすると、褒めたり、ポジティブに賛同したり、ときにはあめ玉をあげたりしている。そして励ますことを常に忘れず、自分が専門とする分野と子供の指導に熱意を持っている。多くの場合子供とは家族や友人のように接する。このような教師の1番よいところは、子供が楽しくやりがいを感じながら、技能を学んでいけるようにしていることであるP 177178

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GRITそのものは、個々の非認知能力の問題だ。

しかし、だからといって「個々の性分」で片づけてはいけない。

「与える人」=教師や指導者、コーチは、個々のGRITを見極めるとともに、GRITの足らない子には「植え付ける努力」をして、しっかり育んでいくようにと述べている。

GRITが足らないからと見捨ててはならないのだ。

 

これは、性格は努力次第で変えられるという「成長志向」による。

ドウエックの「しなやかなマインドセット」と重なる部分だ。今まで読んできた書物と重なるので、嬉しくてワクワクしてしまう。

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ギバーであること、ペイフォワードすること

GIVEする人=「ギバー」は、惜しみなく人に与える人
TAKEする人=「テイカー」は、自分の利益を優先させる人
MATCHする人=「マッチャー」は、損得のバランスを考える人
 
『GIVE&TAKE』アダムグラント著(三笠書房)2014年
 
最終的に「与える人」が成功するのは予想されるところで、本書の副題は
 
「与える人」こそ成功する時代
 
である。

人が良すぎて損をすることもあるが、長い目で見て他人から高い評価を受けるのは、常に相手(顧客)のことを考える「与える人」だ。
 
◆「ギバーであることは100メートㇽ走では役に立たないが、マラソンでは大いに役立つ」P45
 
という言葉も「なるほど」と思う。
 
その「与える人」の成功の1つは、たとえば
 
◆「思いやりをもって相手に質問をし、辛抱強く話を聞く」P96
 
相手のことを最優先に思うとは、このような具体的な行動によって評価される。
 
 
◆「損得抜きで気前よく、知識を共有したり、スキルを教えたり、仕事を見つける手助けをしたりした実績があるので、もう一度連絡をとったときに二つ返事で助けてもらえる」P100
 
従来の「ギブ&テイク」の関係は、お互いの価値交換である。
しかし「与える人=ギバー」は、価値交換でなく、価値を「増やす」ことを目指している。
自分が気前よく自分の時間や知識を分け与えれば、そのネットワーク内のみんなも感化され、「与える人」になっていく。

「恩返しの連鎖」の事なのだと納得しかけたが、「恩送り(Pay forward)と表現されていた。P106
 
なるほど、「恩返し」と「恩送り」では意味が違う。

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ペイイットフォワード
別表記:ペイフォワード
英語:pay it forward、pay forward
 
ある人物から受けた親切を、また別の人物への新しい親切でつないでいくことを意味する英語。または、多数の人物が親切の輪を広げていくための運動のこと。アメリカ合衆国などで突発的に一つの場所で行われることが稀にある。ちなみに同一人物にお返しすることはペイバック(pay it back,pay back)というが、これでは2人の間で親切が途切れてしまう上、悪い意味でのお返し(復讐)の意図も含んでしまうことがある。
 
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「ペイフォワード」という映画もあった。「恩送り」という言葉が日本で昔から存在していたことも下記のサイトから分かる。
 
 
このサイトの中の一節。

◆多くの人が、新人時代、上司や先輩社員から社会人のマナーや仕事に必要な知識やスキル・ノウハウを教えられて育っています。ですので、部下は上司に「恩」がある形になります。その「恩」を育ててもらった上司に返せば「恩返し」となりますが、自分が上司となって部下を持った時に、部下たちへ返せば「恩送り」となります。

・・・自分が先輩から教わった「恩」も、次の若い世代へ送っていきたいと、つくづく思う。

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謙虚であることの大切さ

子どものころに観た「巨人の星」のかすかな記憶をたどる。
大リーグボール1号のヒントを得る瞬間だ。
 
禅寺で座禅を組む星飛雄馬は、心の迷いからビシビシと住職に打たれてしまう。
ところが、飛雄馬が開き直ったとたんと全く打たれなくなる。
 
◆打たれまい、打たれまいと身構えると邪念が入って打たれてしまう。
 「打たれてもかまわない。一歩進んで、打ってもらおう」と思うと、邪念が吹き飛んで打たれずにすむ。
 
こうして、当たらない魔球ではなく、わざとバットに当てにいく大リーグボール1号ができあがる。
 
「GIVE&TAKE」アダムグラント著(三笠書房)2014年
 
GIVEの「ギバー」は、惜しみなく人に与える人
TAKEの「テイカー」は、自分の利益を優先させる人
 
自分の利益を優先する「テイカー」は、周囲から疎まれて、自分に利益が回らなくなる。
一方、他人に惜しみなく与える「ギバー」は、周囲からのその人望が集まり、支援者も増える。結果的に成功者になる。
 
・・・「利益を求めたければ、利益を求めるな」は、まさに禅問答だ。
そんなわけで、大リーグボール1号開眼のエピソードを思い出してしまった。
 
◆テイカーの強気なコミュニケーション法の対極にあるのが、「ゆるいコミュニケーション法」である。
ゆるいコミュニケーションをする人は、強引な話し方はせず、不明な点があれば明らかにし、人のアドバイスを喜んで受け入れる。P213
 
・・・この箇所からは、「アグレッシブ」と「アサーテイブ」が重なった。
 
アグレッシブ(攻撃型)は、winーloose だから、コミュニケーションをしようにも負ける側がどうしても身構えてしまう。
一方、アサーテイブは、win-win だから、相手が身構えることがない。
つまり、協力関係を築きやすい。
◆やさしくて裏表のない人間だとわかっているので、クリエイテイブチームは縄張り意識をもつこともなく、喜んで彼とアイデアを共有し、その意見を歓迎した。P237

 
また「ギバー」は、自分のプライドにこだわらないから、素直に相手の意見を聞くことができる。
そして、謙虚な姿勢をみせるから好感度が高い。
 
◆知識のある同僚にしょっちゅうアドバイスや助けを求めている人は、まったく求めていない人よりも、上司の受けがいいことがわかってる。P244
 
まさに「実るほど頭を垂れる稲穂かな」であり、「奢れるものは久しからず」である。
 

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