アフターコロナは、「物の豊かさ」ではなく「心の豊かさ」
先のブログで、「子どもたちは『諦めること』を学んでしまったのか?」と書いた。
「万が一」の事態に備えて、「9999」の楽しみを奪われたコロナ禍の子供たちに同情した。
しかし、先日、1年生の先生と話をしていて、少し気持ちが変わった。
夏休みの思い出の絵など今年は宿題に出しようがないとその先生は話をされた。
確かに、今年の夏休みは旅行自粛の雰囲気が強くなってきた。
しかし、アフターコロナは、そういう大きな思い出を自慢話として取り上げなくて良い。
保護者も、夏休みだからどこか遠くにお出かけしなければといった強迫観念を抱かなくて良い。
どこかへ行ったとか、イベントに参加したとかの大きな変化がなければ思い出話が語れないわけではない。
派手な行事作文、派手な行事の絵など要らない。
小さな変化でいいのだ。
育てていた朝顔の花が咲いた。
セミがうるさく鳴いていた。
お母さんのお手伝いをしたら、大変だった。
・・・そうした日常のかすかな変化・自分のかすかな発見を、絵にしたり、作文にしたり、スピーチにすれば良い。
そう考えたら、アフターコロナの子どもたちは、「ちょっとした変化」を楽しめる子どもになるかもしれない。
身の回りのちょっとした発見に敏感になれる「精神的な豊かさ」が尊ばれる時代になるかもしれない。
あたかもバブルがはじけて、身の丈にあった楽しみ方を身に付けたようなものだ。
アフターコロナに、希望が見えてきた。
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