あらためて「PISA読解力」を考える
2000年から始まったPISA学力調査
読解力の樹には2000年が8位、2003年が14位。
大きくダウンしたことで「PISAショック」と呼ばれた。
2005年に文科省が「読解力向上に関する指導資料」を作成した。それが前回の学習指導要領にも反映された(はずであった)。
国語雑誌もマスコミも「PISA読解力」を話題にした。
20年経ってみて、どうなのだろう。
読解力向上プログラムの時代に子どもだった先生もたくさんいるはずだが、それ以前の先生と指導に明らかな違いはあるのだろうか。
あらためて「PISA読解力」=「リーデイングリテラシー」を振り返ってみる。
(1)情報の取り出し
(2)解釈
(3)熟考・評価
「思考・判断・表現」という3点セットの学習指導要領の理念は、読解力の3つのプロセスに重なるところがあると判断できる。
PISAの読解力は、文章に内容を正確に読み取ったうえで「自分はどう思うか」の意思表示まで求められているというのは、カルチャーショックであった。
ただ、その後の学テの記述問題は、自分の意見を求めてはいたものの、それほど高度でもなかった。
また、市販の国語テストを見る限り、記述型の問題はなく、相変わらずの「読み取り問題」に終始している。
私学や中高一貫校など一部の入試では、情報を読み取り自分の意見を述べるような問題が出され、話題になった。
次年度より、満を持して大学センター入試でも記述式の問題が出題予定だったが、土壇場で延期(未定)になった。
採点の難しさなどが問題視されているが、要するに「読み取った内容に関して自分の言葉で意見を述べる」という指導をしてこなかったから、大学入試に出されたら困るというのが、現状なのだ。
2000年にPISA調査が始まってから20年。
2007年に全国学力テストが始まってから13年。
国語の授業は、世界標準の読解力に対応してきたのか、疑問なのだ。
さて、フェイクニュースに惑わされないという点で、「読解力」は、今まで以上に重要な能力になってきた。
OECD教育・スキル局長アンドレアス・シュライヒャー氏のコメントが昨年12月4日の中日新聞に掲載されていた。
見出しは「読解力はより重要な能力」。
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読むという行為の性質は大きく変わっており、今回の調査ではデジタル世界における読解力に焦点を当てた。
従来の紙の書物は専門家が内容を精査し、書いてあることは正しいと信じられていた。
しかし、インターネット上の情報は真偽が分かりにくく、答えも一様ではない。
複数の出所の情報を比較し、事実か違憲かの区別をつけることも求められる。
こうした意味での読解力を付けるには、デジタル機器をただ使うのではなく、どう使えばいいのかを教えることが大切だ。
フェイクニュースが広がる世界で読解力はより重要な能力になっている。
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・・・そんな高級なことは望まない。たとえば、2007年にベネッセから出た「子どもの読解力がぐんぐん伸びる本」の中に、次のようなアドバイスがある。
◆単語でやりとりせず、主語と述語を盛り込んだ会話を
「わたしは、牛乳が飲みたい」
◆自分の意見に理由を加えさせる。
「どうして、そう思ったの?」
◆根拠と意見を文の形で言わせる
「太陽は東から昇るから、あっちが東だ」
◆比べることで違いに気づかせる
「比べてみようよ」
◆気づいたことの理由を確かめさせる
「どうしてだと思う?」
◆自分の経験を元に考えさせる
「同じような体験はあった?」
◆よく似た事例が使えないか考えさせる
「似たような例で考えてみよう」
◆考えてわかったことを言葉にさせる
「どんなことがわかった?」
◆わからなかったことも言葉にさせる
「何がわかって、何がわからなかった?」
このような「言語トレーニング」が常識になっているか。
2007年のこのアドバイスが今なお新鮮に受け止められるとしたら、「言語活動の充実」を目玉にした前回指導要領の10年間は、十分な結果を残さなかったということなのだと思う。
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