ITソリューション 堀田龍也先生の講演
9月18日(金)14:00から、幕張メッセで行われたITソリューションの堀田龍也先生の講演に、オンラインで参加した。
ELMO主催の講演であったので、実物投影機の有効活用がメインになった。
この実物投影機の活用を主とした堀田先生のお話は、「IT技術と教育技術の融合」「アナログとデジタルの融合」という点で、すごく良かった。
ただし、翌日視聴した高橋純先生の言葉で言うと「擬似一人一台活用」の産物という点で、実物投影機というツールは、いずれ時代遅れになるかもしれない。
「ITの技術と教育の技術の融合」
実物投影機の使用注意でよく言われるのが「MAX ズーム=できるだけ大きく見せよ(余分な部分は見せるな)」だ。
教室の最後尾から見ると文字が小さくて見えない・画面が歪んでいるというのは、いくらITの技術があっても、教育の配慮はない・授業として成立していないことを象徴的に表している。「子供から見たらどうか」の配慮は、ICTの性能云々の問題ではないのだ。
若い先生は、ICTのスキルは高いが、教育的配慮の足りないことが多い。
ベテランの先生は、ICTスキルは低いが、教育的配慮の高いことが多い。
だから、職員研修を深めることで、若い先生がベテランの配慮を学ぶ絶好の機会になる。
「アナログとデジタルの融合」
「テクノロジーは変わっても、学習は変わらない」という指摘も腑に落ちた。
◆「お隣同士でノートを見せ合って話し合う」という学習が、今後PCになるだけのこと。
◆分かりやすくノート(アナログ)でまとめる学習が、今後PCになるだけのこと。
子どもが説明する(言語化する)スキル、人に分かるようにまとめるスキルは変わらない。
ノートや話し合いなどの「学び方習得の指導」は、デジタルになっても変わらないということなのだと理解した。
学び方を身につけさせることは、自分で行動できる子を育てる。まさに「主体的・対話的で深い学び」のできる子の育成だと堀田先生が言われた。
堀田先生が言われた「学び方が身についていれば、オンライン授業が成立する」というのは、裏を返せば「学び方が身についていなければ、オンライン授業が成立しない」という意味でもある。
堀田先生がTOSSを応援する理由がここにある。
※おまけ 過去ダイアリーより抜粋
昨年12月に名古屋で行われた堀田龍也先生の講演。
テーマは「AI時代の学校教育」。
以下、自分の文責でまとめる。
「手書きで書けなくはないよね」「紙でもできるのになぜICTを使わなければならないのか」「ICTを使わなくてもできるよね」と言ってしまったら、何も変わらない。
スマホで利用しているグーグル検索も地図アプリもオンライン予約も、昔はスマホがなくても可能だった。スマホがなくてもできるけど、あると便利。
ICTは、今までできなかったものがやりやすくなるための「道具」だ。
ICTが導入されたから、いきなりスキルが身につくわけではない。
ICTが学力を上げるわけでもない。
タブレットを見ながら相談する授業が成立するには、その前にお隣同士でノートや教科書を見合う授業が成立していないと無理だ。
スクリーンのデータを示しながら説明する授業が成立するには、黒板で説明する授業が成立していないと無理だ。
ICTは道具にすぎない。しかし、それでもICTに取り組む意義がある。
授業のまとめで毎時間PC入力させる学校があったが、もし、入力に不慣れなままなら、5文字打ってチャイムが鳴ってしまう。いつまでも、そのレベルではPCを使う意味はない。
でもやり続けているうちに授業のまとめが打ち込めるようになる。そうなったら、手書きノートとは全く違うさまざまな可能性が出てくる。時間はかかっても慣れてくれば、能力として活かせることができる。それが基盤能力。
使いこなせないうちは、基盤能力にならない。
やっていくうちにリテラシーができる。仕事ができるようになる。生活が便利になる。
だから、「紙でできることも、あえてICTで取り組む」には意味がある。
◆「『これからの教室』のつくりかた」で、堀田龍也先生の見解が示されていた。
こういうタブレットなどについて、「別に紙でもいいじゃないか」という議論は当然あります。もちろん、紙でもいいです。でも、やり直しができなかったり、色が付けにくかったり、あるいは、どのグループがどういう書きぶりで今書いているかを一瞥できなかったりします。タブレットだったら、授業支援システムでパーっと見られたり、ログに残ったり、再利用できたりということができる。そういう意味で、現在は「紙でできることを、何でICTでやるんだ」というひとがいるけれど、これからは逆に「ICTでできることを、何で今も紙でやってるの?」と、そうなると思うんです。(中略)
お互いの情報や考えていることを共有する。これは、ちょっと前まではこのように紙でやっていたわけですね。だから何も変わらないんですよ。この画像の左奥の子はタブレットでやっているんです。つまり、どっちでやってもいいんですよ。
ただ、タブレットでやると記録が残り、再利用ができるということですね。「前の理科の実験でも似たようなことがあったな」って言って、それを探して、「あのときこうだったよね、今回もこういうふうにやればいいと思います」みたいなことを、子どもが仮説的に言ったりするようなことが出てくる。「一人一台タブレットを持っていた方がいいんじゃないの?」と言われる所以は、過去の学習内容と今の学習をつなげて考えていくことがしやすくなるからです。p82~84
・・・自分のうまく伝えられなかったことを、こんなにきちんと表現していてスッキリする。次ページには次のような発言もある。
ICTのほうが全然便利なのに、それをしないことを良しとするみたいなことがある。このことは若干、罪ですよね。だって子どもたちは日頃、デジタルコンテンツをたくさん触っているのに、学校に来たときだけ昭和のやり方をしなきゃいけないんですから。p86
「教育」カテゴリの記事
- 人々が画一化しないために(2024.09.08)
- 「原爆裁判」については、ほとんど知りませんでした!(2024.09.06)
- パラリンピックの理念(2024.09.02)
- 先生が子離れしないと、子どもは自立できない。(2024.09.02)
- 防災教育の2つの方向(2024.09.02)
Comments