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October 31, 2020

仕事は適当にやれ!

先日行った採用試験対策の参加者の中に、講師さんがいた。

おそらく講師さんは日々、自分の仕事をきちんとやることで精一杯だろう。
でも、少し周囲を見渡して、他の先生を助けられる存在であってほしい。
それは、周囲を見渡す「心の余裕」を持ってほしいという意味でもある。

そのためのアドバイスが「仕事は適当にやれ」。

そもそも「適当」「いい加減」は、「ジャスト・良いバランス」だから、本来、悪い意味ではない。

自分の仕事に没頭すると、子供がせっかく話しかけたのに気づかなかったり、クラスの不穏な動きを見過ごしたりする。

だから、少なくとも教室では事務仕事は適当にやってほしいし、たとえ1人の子と対応していても周囲の子供の動きを見る余裕を持ってほしい。

できれば職員室でも、何か困っている人がいないか気にしてほしい。

そうやってお手伝いすると、新しい経験を積むこともできるし、周囲の先生からも感謝される。

自分自身も周囲に気を配る余裕のないタチなので、「適当にやる」を心がけていきたい。

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VR道風展に、ビックリ‼️

会議の帰りに、市役所隣の道風展に寄った。
展示された書作品とは別に、大型スクリーンに作品が映し出されている。
近づいてみると、別会場の作品がマウスで選択して見られることが分かった。

しかも、この「VR道風展360」は、昨年から行われている。
 

小野道風公奉賛 第72回(2020年) 全国書道展覧会「VR道風展360」

昨年に続き、2020年もインターネット上で書作品を公開する「バーチャル・リアリティ道風展360」を開催!
今年は、一般部に加え、学生部も特別賞受賞作品を公開します。全世界からアクセスできる書道展を体感ください。
 
>https://www.kasugai-bunka.jp/archives/27598

ネットから、各会場の作品を観ることができる。
名札の部分をクリックすると、その人の作品がきちんとした形で表示される。
 

すごいな、これが広がったら、作品鑑賞がすごく身近になる。
むろん、本物を見る迫力にはかなわないが、遠くの方も見ることができる。
勤務する市で、こんな取り組みがれていることに、驚いた。

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コロナ禍の現状に甘えてはいけない

当初の予定では、先週は5年生が2泊3日の野外学習にでかけるはずだったが中止になった。

来週は、指導主事訪問のはずだったが、中止になった。全校の研究授業もなくなった。

来週の就学時健康診断は予定通りだが、野外学習がなく、主事訪問がなく、児童会行事もない。
当初の予定からしたら、めっちゃ楽になっている。
授業はサクサクと進んでいくので、お楽しみレクをしている学級もあるほどだ。


これほどの「楽」に慣れてしまって、来年度は大丈夫だろうかと、ふと不安になる。

「楽」に慣れてはいけない。

減った分を何かで埋め合わせて子どもに実のある教育活動をさせてほしいと思う。

確かに、担任は、今は今で精一杯頑張っているので、自主的にこれ以上がんばるのは難しいと思う。

だが、やっぱり現状に甘えてはいけない。現状に甘えたら、元の厳しさに向き合うのが難しくなる。

たまたま、今年はいろいろ削減したが、次年度から元に戻る活動もたくさんある。

コロナ禍でなかったら、今頃はどんな教育活動をしていたか。

そこを時々は確認しながら、日々を過ごしていきたい。
 

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October 20, 2020

嫉妬を超えて祝福できるのが、真の友達

6年道徳「コスモスの花」は、初めて見る題材だった。

光村の指導計画には次のように書いてある
 

◆いじめを許さない心
【友達だから】 B(10)友情,信頼  13 コスモスの花

◆いつもは目立たない北山が,花を上手に生けたことで友達から 称賛され,それを快く思わない「ぼく」の姿を通して,友達とは どんな存在なのかについて考えさせ,真の友情を育て互いを尊重し合うよい関係を築いてい こうとする判断力や心情を育てる。
 

★友達とは,どんな存在なのだろう。

1 友達とよりよい関係を築くにはどうすればよいか,「コスモスの花」と「泣き虫」を通して考えていくことを知る。 

2 「コスモスの花」を読み,「ぼく」が北山に初めて抱いた 「北山なんて――。」という気持ちにはどんな思いがこもっているかを考える。

3 「ぼく」は,どうして「やめろよ――。」と言ったのかを考える。

4 友達とは,どんな存在なのかを話し合う。

5 「つなげよう」を読み,友情について描かれた本があることを知る。

6 P92「学びの記録」に記入する。

【道徳的価値の理解を基に多面的・多角的に考える】 

「友達とはどのような存在か」について,さまざまな意見を 聞き,自分の見方を広げている。

【道徳的価値の理解を基に自己の生き方について考える】 

友達とはどのような存在なのかについて自分なりの考えを もち,友達とよりよい関係を築いていきたいと考えている。

https://www.mitsumura-tosho.co.jp/kyokasho/s_dotoku/keikaku/30d_nenkei6.pdf

 

これは「いじめ」を扱っているの?

◆「ぼく」は、最初、北山を批判していたのに、みんなが批判したら急に「やめろよ」って、どういうこと?


という疑問を感じる内容だった。
実習生の授業を見ながら、結局本時では何を教えればいいのか良く分からなかった。
少なくとも、実習生は、ごくありふれた「真の友達」を自由に言わせたかっただけだ。


しかし、この作品を、自分の体験(仮想体験)で置き換えてみたらストンと腑に落ちた。
 

もし、一緒に野球をしている親友がレギュラーになり、自分はなれなかったとき、素直に祝福できるか
 

難しい。
だれにも、嫉妬とかやっかみの感情はある。
友達だけが称賛されているのを見て、心から祝福できるほどの度量が自分にはない。
 

本当の友情とは、「自分より優れた点のある相手を素直に受け入れること」だ。
 

「その子も良さを心から祝福できる、応援できる」そんな自分でありたいと今でも思う。

勝間和代の提唱した「三毒追放」を思い出す。

・妬まない・怒らない・愚痴らない

なるほど、たしかに誰の心にも「妬み」はある。
しかし、それを否定すると、妬みを抱いた自分が嫌になってしまう。
嫉妬した自分を責めるのは、酷だ。
 

「妬み」をゼロにしなくても、「称賛」する気持ちを表に出せばそれでいい。
「withコロナ」と同じ、「with 妬み」。三毒とも共存していけばいい。

元々、人間は弱い存在だ。思っていてもできないことが山ほどある。
 

教科書会社の本意ではないかもしれないが、この資料で友情を扱うなら、自分はそこに焦点を当てるだろうと思った。
 

「困っている時に助けてあげるのが真の友情」


というありきたりのメッセージを送る授業ではなく、
 

「相手の素晴らしさを心から応援できるのが真の友情」


を実感させる授業になるように仕込みたい。

それは多面的な価値を考えさせる授業ではないが、自分の持っていない価値観に触れる授業にはなると思う。
授業をやる以上は、明確な意図をもち、自分の願いをぶちけたい。


 

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October 11, 2020

虚礼は要らないが、ハレの舞台は要る!

コロナ禍で、多くの学校行事がなくなり、会議や会合がなくなった。
虚礼廃止の意識は、ますます強くなり、形式だけの集会は要らなくなった。

行きたくないのに無理矢理参加させられるような会議や宴会がなくなって、ラッキーではある。

「虚飾」はなくなり、「実」だけが残る風潮だ。

しかし、一方で、何でもかんでも廃止にしてよいのかという疑問もある。

歓送迎会で言えば、退職した先生に最後の挨拶すをる機会がないままになってしまったことは心残りだ。
形式だけの会であっても、そこでしか会えないような方もいて、それなりに価値はあったのだ。

甥っ子は4月に結婚式を挙げる予定だったが、延期したまま保留。
本校職員も来月入籍するが、式は全く未定。
結構式なんて要らないという人にとってはいい風潮だが、きちんと披露したい方にとっては残念だ。


「ハレの舞台(イベント)」というのは、

・子供を成長させる、
・気持ちを切り替える(気持ちの節目をつくる)
・成功体験を積む
・人前に立つ機会を積む


といったメリットがある。
大きな舞台に立った経験があるかないかは、その人の将来に大きな影響を与える。


本校で行った運動会の代替えとなる体育授業参観は、簡素なところが好評であった。
では、次年度も簡素化でよいか、学校なりの「ハレの舞台」を設定しなくてよいか、となると少し迷ってしまう。

少なくとも、高学年の演技を低中学年が見る機会をどこかで設定すべきだった。
参観当日は保護者で埋まるから、他学年は応援できない。
しかし、前日を、全校リハにすれば、子供たちは他学年の演技を観て刺激を受けることができたのだ。

虚礼は要らないが、「ハレの舞台」は要る。
そこはきちんと意識していきたい。

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