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October 20, 2020

嫉妬を超えて祝福できるのが、真の友達


6年道徳「コスモスの花」は、初めて見る題材だった。


光村の指導計画には次のように書いてある
 

◆いじめを許さない心
【友達だから】 B(10)友情,信頼  13 コスモスの花

◆いつもは目立たない北山が,花を上手に生けたことで友達から 称賛され,それを快く思わない「ぼく」の姿を通して,友達とは どんな存在なのかについて考えさせ,真の友情を育て互いを尊重し合うよい関係を築いてい こうとする判断力や心情を育てる。
 

★友達とは,どんな存在なのだろう。

1 友達とよりよい関係を築くにはどうすればよいか,「コスモスの花」と「泣き虫」を通して考えていくことを知る。 

2 「コスモスの花」を読み,「ぼく」が北山に初めて抱いた 「北山なんて――。」という気持ちにはどんな思いがこもっているかを考える。

3 「ぼく」は,どうして「やめろよ――。」と言ったのかを考える。

4 友達とは,どんな存在なのかを話し合う。

5 「つなげよう」を読み,友情について描かれた本があることを知る。

6 P92「学びの記録」に記入する。

【道徳的価値の理解を基に多面的・多角的に考える】 

「友達とはどのような存在か」について,さまざまな意見を 聞き,自分の見方を広げている。

【道徳的価値の理解を基に自己の生き方について考える】 

友達とはどのような存在なのかについて自分なりの考えを もち,友達とよりよい関係を築いていきたいと考えている。

https://www.mitsumura-tosho.co.jp/kyokasho/s_dotoku/keikaku/30d_nenkei6.pdf

 

これは「いじめ」を扱っているの?

◆「ぼく」は、最初、北山を批判していたのに、みんなが批判したら急に「やめろよ」って、どういうこと?


という疑問を感じる内容だった。
実習生の授業を見ながら、結局本時では何を教えればいいのか良く分からなかった。
少なくとも、実習生は、ごくありふれた「真の友達」を自由に言わせたかっただけだ。


しかし、この作品を、自分の体験(仮想体験)で置き換えてみたらストンと腑に落ちた。
 

もし、一緒に野球をしている親友がレギュラーになり、自分はなれなかったとき、素直に祝福できるか
 

難しい。
だれにも、嫉妬とかやっかみの感情はある。
友達だけが称賛されているのを見て、心から祝福できるほどの度量が自分にはない。
 

本当の友情とは、「自分より優れた点のある相手を素直に受け入れること」だ。
 

「その子も良さを心から祝福できる、応援できる」そんな自分でありたいと今でも思う。

勝間和代の提唱した「三毒追放」を思い出す。

・妬まない・怒らない・愚痴らない

なるほど、たしかに誰の心にも「妬み」はある。
しかし、それを否定すると、妬みを抱いた自分が嫌になってしまう。
嫉妬した自分を責めるのは、酷だ。
 

「妬み」をゼロにしなくても、「称賛」する気持ちを表に出せばそれでいい。
「withコロナ」と同じ、「with 妬み」。三毒とも共存していけばいい。

元々、人間は弱い存在だ。思っていてもできないことが山ほどある。
 

教科書会社の本意ではないかもしれないが、この資料で友情を扱うなら、自分はそこに焦点を当てるだろうと思った。
 

「困っている時に助けてあげるのが真の友情」


というありきたりのメッセージを送る授業ではなく、
 

「相手の素晴らしさを心から応援できるのが真の友情」


を実感させる授業になるように仕込みたい。

それは多面的な価値を考えさせる授業ではないが、自分の持っていない価値観に触れる授業にはなると思う。
授業をやる以上は、明確な意図をもち、自分の願いをぶちけたい。


 

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