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December 28, 2020

要約は総合的な表現活動である(3)

キーワードを選ぶ作業は難しいが、題名がそのままキーワード・キーフレーズになることが多いので、物語にしろ説明文にしろ、まずは題名に着目させる習慣をつけさせたい。


◆「ごんぎつね」
◆「アップとルーズで伝える」
◆「三つのお願い」
◆「初雪のふる日」


・・・主人公や題名を第1キーワードとしたら字数制限まで拡大させる。
要約なのに「字数を増やす」ことができる。

 

◆つぐないが通じず兵十に撃たれた「ごんぎつね」
◆「アップでルーズ」の違いを生かして効果的に伝える」
◆「三つのお願い」で一番大切なものは友達だと気づいたレナ
◆「初雪のふる日」に白うさぎにさらわれそうになった女の子

 

・・・第1キーワードに比べて、第2・第3キーワードは特定しにくい。

新聞では、見出しの横に小見出しがあって、記事本文の概要が分かるようになっている。
見出しが第1キーワード、小見出しが第2・第3キーワードだ。
 

題名をアレンジするという点で、かつて中学校の『故郷』の授業では、次のようにサブタイトルをつけさせたことがある。

◆「故郷~変わってしまったルントウの今と昔」
◆「故郷~変わり果てた人々と小さなのぞみ~」
 

・・・このダイアリーも「要約指導の第一歩 ~題名に注目する~」というようにサブタイトルをつけてみたので、第2キーワードが意識できる。

上記の4つの作品なら、例えば次のようになるだろうか。


◆「ごんぎつね」・・・ つぐないが通じず兵十に撃たれた狐の悲劇
◆「アップでルーズ」・・情報を効果的に伝える2つの方法
◆「三つのお願い」・・・一番大切なものは友達
◆「初雪のふる日」・・・白うさぎにさらわれそうになった女の子


・・・自分がこの作品をどう読んだか、一言でいうと何が書いてあると理解したかが、このサブタイトルに現れる。
おすすめの本の紹介のパンフなら、このようなサブタイトルをつける工夫もありだと思う。

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要約は総合的な表現活動である(2)

かつて、中三の教科書(光村図書)に「要約文の書き方」のコーナーがあり、次のような解説があった。
 

◆字数の制限に合わせて、この3つの要点を短くまとめたり、必要なことをやったりして、意味がよく通るようにつなぎ合わせていくと、正しい要約ができあがる。
 

・・・ これは「桃太郎」を文末にして「鬼退治」「犬・猿・きじ」を含めて20字でまとめる向山型の要約法と同じである。

ちなみに松本成ニ氏の次の主張も同じ意味である。

「○○字の要約」を求める場合、ともすると文中の<単語>を適当に抜き出して字数制限いっぱいにまとめ上げる人がいるが、それは根本的に間違っている。Sum up または Summarizeという作業は文章中の<命題>を大事な順に抜き出して足していくのである。「現代文の科学的研究1 評論編」あずみの書房 26ページ


・・・主人公や題名を第一キーワードを決めたら字数制限まで拡大させる。
要約なのに「字数を増やす」ことができるのだ。


◆つぐないが通じず兵十に撃たれた「ごんぎつね」
◆「アップでルーズ」の違いを生かして効果的に伝える
◆「三つのお願い」で一番大切なものは友達だと気づいたレナ
◆「初雪のふる日」に白うさぎにさらわれそうになった女の子


・・・ なお、松本氏は前掲書で、「モチーフは、テーマをさらに煮詰めて『〇〇の××』のようなフレーズ(句)の形に直したもの」と述べている(49ページ)。「桃太郎」の要約指導は、句の形で表現させるモチーフ型ということになる。

 蛇足ながら、向山洋一氏の実践の1つ、「恵理子は昨日新潟に行った」を「恵理子」「昨日」「新潟」で終わる一文に書き直すレトリックの指導は先の要約指導につながっている。
要約指導が日々の表現活動の訓練の成果であることがよく分かる。

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要約は、総合的な表現活動である(1)

(1)大事な箇所を絞り込む

大事な部分に線を引くように指示すると、何行も線を引く子がいる。一文どころか二文・三文とまたいでしまう。自信がないから絞れないのだろう。

だから、次のように、飾りの部分を削り大事な句や単語まで絞り込ませる訓練が必要になる。
 

◆「環境を大事にすべきではないでしょうか」→「環境を大事に」

◆「秘密を発見することができた」→「秘密を発見」

 
・・・要約指導は、主に理解活動として扱われるが、この「大事な箇所を絞り込む」を含む日々の表現活動の訓練の成果が如実に現れる。

 

1 常体で書く訓練
2 文末の「思う」を削る訓練
3 主語述語を見抜き、修飾語を削る訓練
4 「まず〇〇について述べる」のように、主張内容を〇〇で括る訓練(ラベリング)
5  意味段落に見出しをつける訓練(ラベリング)
6 主張や結論を先に述べる訓練
7 統括語や同義語等で縮める訓練

 

(2) ラベリング

作文やスピーチに取り組むと、「要するに何が言いたいのか」がはっきりしない子がいる。
主張や結論を明確に表現させる訓練の一つが、「次の○○」の部分のように予告文を入れたり、まとめの言葉を入れたりする「ラベリング」だ。

これが、上の5、6に該当する。
 

◆「まず○○について述べる」
◆「結論は○○である。その理由を二つ述べる」
◆「以上で、○○の発表を終わります」
 

本文が「具体」であるのに対して、ラベリングの言葉は「抽象語・統括語」になる。
このラベリングが難しいのは、文中にない言葉に置き換える場合だ。抜き出しなら容易だが、自分で考えるのは難しい。

 
◆「ちょっ、あんないたずらをしなけりゃよかった」 →「後悔」
◆栗や松たけを運ぶ  →「償う」
◆ごんのしわざだと勘違いして撃ってしまう →「誤解」

など、状況や心境を端的に表す適切な言葉を自分で考える訓練が必要で、これが上記の7だ。
受験でも「主人公の心境にふさわしい語を次から選べ」といった設問がある。答えに幅ができるから選択肢問題になる場合が多い。

同義語・類義語・対義語・抽象的な語彙をどれだけ身に付けさせるかで、要約文の質は、がらりと違ってくる。

だから「語彙」の指導が重要になるのだ。

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語彙力を鍛える(5) 〜齋藤孝著「語彙力こそが教養である」〜

「語彙力こそが教養である」斎藤孝(角川新書) 2016年版

語彙力が教養である事を説明するのに、斎藤氏は、「より多くの語彙を身に付ける事は、手持ちの絵の具が増えるようなものです」と「絵の具」の比喩を用いた。5、6ページ
 

「すごい」「やばい」「なるほど」「確かに」ばかり使う人は、8色の絵の具しか持っていない人。一方で、200色の絵の具を使える人は、あまねく表現を駆使して相手を動かします。部下にかける言葉も、自己アピールの言葉も、ビジネスでの商談も、プライベートな雑談も、「200色」の彩りを持って表現できるようになる。当然、それに伴って、あなたが受ける評価も大きく変わっていくでしょう。

 

・・・さすがだと思う。ここで8色と200色の絵の具の違いで説明するとは!

「彩り」という言葉も上品だ。

52ページには「頑張る」の別表現が例示されている。

「精一杯尽くす」「全力であたる」「精進する」「粉骨砕身する」「全身全霊を捧げる」

こうしたバリエーションの多さが知性であり、教養なのだ。

これまで私自身が意識してきたのは、次のような点だ。
 

※子どもの作文は「楽しかったです」で終わりがちだから、「楽しかった」以外の言葉を使わせる。

※会話場面で「○○さんは言いました」の繰り返しではくどいから、「言いました」以外の言葉で表現させる。

※文のつなぎが「そして」ばかりでは単調だから、別の語句を使わせる。
 

自分は何でも「最高」と褒める人を信じない。「最高」をそんなに乱発したら「最高」の意味がないからだ。同じ意味で「もう、最悪」などとよく言う人も信じない。「一生のお願い」を使う人も信じない。もっと、その場に合った言葉を吟味して使ってほしいと思う。

 

誰しも自分が頼りがちな口癖、常套句があるから、まずそのNGワードを自覚して封印せよ、そして別の言葉に言い換えよ、と斎藤氏は説く。

「語彙力」イコール「言い換え力」であることが、よく分かる。

ただし、NGワードを封印すると言いながら、そのNGワードを冒頭で使って、後で具体化すれば良いと述べているところもスゴイ。

 

◆一度「おいしい!」と感情を見せ、その後に「さくさくしていて、歯ごたえが気持ちいいですね」と続ける。そうすれば、ただ「おいしい!」で終わる場合と違って語彙の貧困な人には見えません。(中略)単純なワードを冒頭に持ってきてから具体的な描写に移る癖をつけると、バランスの良いコメントができます。46ページ

 

なお、斎藤氏は、語彙力を測るポイントの1つとして、「耳で聞いた単語を反射的に漢字変換できるかどうか」を挙げている。

 

◆私たちは、人と話している時やテレビを見ているときはひらがなの「音」を聞いているんですが、決して「平仮名のまま」理解しているわけではありません。無意識のうちにそして瞬時に漢字かな混じり文に変換しながら聞いてるんです。p34

 

なるほど。同音異義語の多い日本ならではの、語彙力の定義だ。

それは、脳裏に言葉のイメージが明確に浮かぶかという問題でもある。

入力した音を文脈に合わせて漢字変換できないようでは、語の意味、文全体の意味を理解できるはずがない。

 

ところで、語彙を高めるのに「漫画」が良いとは、斎藤氏は挙げていないが、以前から漫画はスゴイと思っている。

漫画の良いところは、言葉の意味を画像が補うし、文字情報も提示しているから「漢字仮名交じり文」で情報がインプットされること。テレビの場合は字幕表示していなければ、文字としては補えない。

音として入ってきただけの知らない言葉は理解できない。

辞書的な意味を知っただけでは、腑に落ちていないから、自分の言葉としてアウトプットできない。

「端的な言葉に言い換える」「分かりやすい言葉に言い換える」ためにも、語彙力を鍛える手立てをきちんと体系化したい。

「本を読め」だけでは、あまりに根性論的な指導なのだ。

確かに「語彙といえば、読書量」となりやすい。

しかし、振り返ってみて、自分はそんなに読書をしてきたのかというと、案外そうでもないのかなと思う。

読書にも質があるから、軽い読み物を好んだ自分の語彙が、難解な文章を読む際に役立ったとも思えない。

2人の息子も、読書に熱心だったようには思えない。

となると、結局、日常生活と異なるジャンルでの語彙習得に一番寄与したのは、高校や大学の入試問題かなと思う。

実際のところ、久しぶりに大学入試問題に取り組んでみて、頭が「難解な論説文」モードに入った。

「入試」という壁がなければ、あれほど難解な評論文を読む機会もなかっただろうと思う。

 

語彙力は教養の表れであり、ウイットに富んだ会話ができると信頼を得られると斎藤氏は述べているが、そういうことで語彙の必要性を語る気はない。

◆正しく情報を読み取り、かつ他者に伝えるために必要なのが語彙なのだ。

◆難しい言葉を分かりやすく言い換える具体化、冗長な言い方を端的に言い換える抽象化、この抽象と具体の往復ができることが語彙力なのだ

と思っている。

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語彙力を鍛える(4)

これまで一度も目を通したことがなかった光村図書の指導書。


「小学校国語 語彙に着目した授業事業をつくる」(本校にあるのは平成27年度版)
 
語彙の習得過程について、次のようなステップを示している。
 
1、ある教材での「語」との出会い
2、語の様々な面の学習・・・・語構成、語源、新出語句や難語句の学習
3、「理解語彙」として学習・・教材本文に食した文脈的な意味
4、認識、想像、思考・・・・教材以外に広げた応用場面での学習
5、「表現語彙」として習得・・自分の表現のための語彙の活用
 
 理屈がややこしい中で、一番腑に落ちたのが、「外国人児童への語彙指導のアイディア」のページだ。
「語彙」の課題であると同時に「スキーマ」の課題なのかと思う。
 
◆異なった文化背景を持つ児童は、日本で暮らしてきた児童、教師が当然だと思い、気にも留めていないことがわからないことがある。これは、一つ一つの言葉の意味が理解できても、場面の状況が正しく把握できないことにつながる。
 
・・・とあるが、これは当然、日本の児童にもあり得ることだ。

小学生にとって、自分の周りとは違う環境を「異なった文化背景」と受け止めるのは当然のことなのである。小学生は日本人としてとらえるより、外国人として捉えた方が、指導のモレがない。 
指導のポイントの「言葉を言葉だけで説明しない」が重要な指摘だ。
 
◆児童がわからない言葉を、他の言葉に言い換えたり、優しい言葉で説明したりする事は有効だが、それだけにとどまらず、実物や写真を添えて説明することが大切になる。


 
「理解語彙」として学習や生活の中で定着させるための継続的な手立てについて、本文を自分なりに①②③で整理してみた。
 
①児童が新しい言葉に出会う場面で、実物や絵、図、映像があったり、体験ができたりすれば、理解における言語面での負担が減る。

②表現するときにも、具体物やジェスチャーなどの手段を利用できれば、児童の負担が軽減される。

③学んだ表現や学ぼうとする語彙などの言語材料を補助資料として提示しておき、児童が自らそれを利用して、理解したり表現したりすることができるように環境を整えれば、学習の助けになる。
 


◆日本語を母語としない児童は、単に日本語が理解できないだけではなく、日本で生活できた児童が当然のように接してきた言葉や物語、気候、行事、風物詩に触れていない可能性が高い。「読むこと」の学習、特に文学作品においては、言葉から場面を想像することや事物や天候等の描写の象徴性に気づくことを気づくことができないことで、学習に支障をきたすことが少なくない。だからといって、教師がつきっきりで言葉の説明をすることも現実的ではない。
そこで、作品中の言葉を取り上げた「絵言葉辞典」をあらかじめ作成しておくと、児童が授業中に参考にでき、また自宅学習でも活用でき有効である。

 
・・・ここも、もちろん日本の児童も起こりえる。
「絵言葉辞典」とは、教材に出てくる言葉で、児童の生活経験上ではあまりなじみのないものの名前や動き、様子を表す言葉を取り上げ、絵や写真、図表などを添えて説明するものである。
デジタル教科書には、よく参考となる写真や動画などがついている。無論、教科書の挿絵や写真なども子供たちの知らない言葉(概念)を補足する手立てになっている。

以前「スキーマ」に関わって、子どもの理解の補助資料を準備することを書いた。

「語彙」に関わる支援と重なっていることがよく分かる。

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語彙力を鍛える(3) 言語コード論

『学力を育てる』志水宏吉著(岩波新書)2005年初版。

◆バーンステインの「言語コード論」が印象に残っている。

労働者階級の子どもが中産階級の子どもに比べて、学校で成功しにくい(よい学業成績をおさめにくい)理由を探る中で、彼が注目したのが「子どもたちの言語使用」である「言語コード」であった。
中産階級の家庭では、5W1Hが伝わる「精密コード」での会話がされる傾向が強い。
一方、労働者階級の家庭では、「メシ・フロ・寝る」のような単純な言葉(限定コード)で会話が成立することが多い。

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文化伝達の機関である学校では、授業を中心とするほとんどのコミュニケーションが精密コードでなされるため、それに習熟しているMC(ミドルクラス)の子どもたちは成功しやすく、逆に習熟していないWC(ワーキングクラス)の子どもたちは成功しにくくなる。
端的に言うならば、母親の話す言葉と先生の話す言葉とが近いWCの子どもたちはスッと自然に学校生活に入っていけるのに対して、その両者のギャップが生じやすいWCの子どもたちは、学校不適応・学力不振に陥りやすいというわけである。P101
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・・・「論理的な表現」と「精密コード」が一緒だと思って読んでいたが、今は「語彙」と一緒かと思う。


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クラスで喧嘩やトラブルがあったときに、あったことを筋道立てて説明できる子がいる一方で、言葉にならず、感情の赴くままの言動に走ってしまいがちの子がいる。バーンステインの「言語コード論」は、そうした現象の底流にあるものを析出しようとするものであった。P104
==============

・・・家庭の言語環境(保護者の言葉かけ)が学業成績に大きな差を生じさせるとしたら、日本の一般家庭はどうか?

日本の家族の会話は、子どもに合わせて易しい言い回しをすることが多い。
それが「限定コード」=「語彙習得の機会損失」になっているのではないか。

言葉足らずな表現を大人が安易に受け入れてしまうことについては、かつて次のように書いた。

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皆さんのお子さんは、言葉が足りないということはありませんか?
うちの息子は大学生ですが、テレビを見ながら、よく「水」と言います。
すると母親は「そうか、水が欲しいんだな」と水を用意してしまいます。
世間では旦那さんが「飯・フロ・寝る」しか言わないなんて話題になりますね。
これ、家族なら伝わりますが、社会では通じません。

給食の時に箸を忘れた子は、(本校では)職員室にスプーンを借りに来ます。

「先生、箸を忘れました」っていう子には、「だから何ですか?」と聞きます。

「スプーンを貸してください」と言う子には、「なぜですか?」と聞きます。

「何年何組の〇〇です」「箸を忘れました」「スプーンを貸してください」

この3つがそろわないと言葉足らずで相手に伝わらないのです。
これからは「伝え合う力」が求められます。
ご家庭でも「水がほしいんだね」みたいに子どもの言葉足らずの部分を先どりするのではなく、ちゃんと自分の言葉で説明する訓練をしていただきたいです。

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不十分な子どもの言葉を安易に受け入れる大人は、語彙力をスポイルしているのだ。

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語彙力を鍛える(2)

樋口裕一氏の2冊の本。

◆「『頭がいい」の正体は読解力」 幻冬舎新書 2019年11月版
◆「すばやく鍛える読解力 」幻冬舎新書 2020年9月版


どっちがどっちか分からなくなるほど、同じようなテーマ。全く同じ内容の部分もある。

(1)語彙力を鍛える
(2)文章力を鍛える
(3)読解力を鍛える。


2019年の書籍を、2020年に焼き直したという印象が強い。
語彙力を鍛えるためには「言い換え力」が大切だと説き、練習問題を課している点は同じだが、2020版は、リニューアルして7つに減っていた。

①提示された一文に合う具体例を示す
②提示された一文に合うまとめの言葉を入れる
③持って回った表現をわかりやすく書き直す
④漢字熟語などを加えて簡潔な文に変える
⑤直接表現を婉曲表現に書き直す
⑥「言う」「行く」などを別の表現に改める
⑦古文を現代文に訳す


・・・この中で、まず、面白いと思った1つが⑥。

「言う」は、抗議する・叱る・語る・つぶやく・ぼやく・約束するなど、場面に応じて様々な表現が可能だ。
逆に場面状況を理解しないと、適切な「言う」の代案が出てこない。
こういう指導は、とても大事だと思う。

光村図書の「国語教育相談室(小学校)」98号にあった実践は、セリフ中心の「お手紙」で、「言いました」で終わりそうな箇所に、別の表現を入れてみようという試みだ。
https://sns.toss-online.com/u/54vxkxbuoo/gufhfoyok6usjt

これぞ、語彙指導の授業だ。

続いて、面白いと思ったのが③と④。例文が良いので納得感が強い。

③は、わかりにくい文を、やさしい文に改める問題

◆政府の度重なる失態が原因で国民の信頼が失われ、その結果として経済が末期的症状を呈するに至ったため(後略)
→政府が何度も失敗したため、国民が信用しなくなりって経済がひどいことになったので・・・


④は、③の逆で簡潔に言い換える問題

◆子どもたちが勉強したいという気持ちをだんだんともたなくなっているのが、勉強できない子が増えている原因だと思うが(後略)
→学習意欲の減退が学力不足の子どもが増加している原因だと思うが・・


・・・子供の言い訳が冗長すぎるとき「結局、何があったの?」と結論をきちんと言わせるのは、まさに、この③や④の対応なのだと思う。
 やさしく言い換えたらかえって分かりづらくなることもあるし、簡潔に言い換えたら熟語が多くてかえって分かりづらくなることもある。
 そのバランスを調整できるのが「語彙力」だ。

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「人間にとって成熟とは何か」曽野綾子

今年1年を振り返るために再読した一冊。
目次だけでも反省させられる。

◆正しいことだけをして生きることはできない
◆「努力でも解決できないことがある」と知る 

◆「もっと尊敬されたい」という思いが自分も他人も不幸にする
◆「権利を使うのは当然」とは考えない
◆「問題だらけなのが人生」とわきまえる
◆「自分さえよければいい」という思いが未熟な大人を作る
◆辛くて頑張れない時は誰にでもある

「他人より劣ると自覚できれば謙虚になれる」
「報われない努力もある」
「諦めることも一つの成熟」
「礼を言ってもらいたいくらいなら何もしてやらない」

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December 19, 2020

「スキーマ」の理解を深める(その2) 宇佐美寛氏の文献に戻る

スキーマという用語は、椿原正和先生の講座で何度も出てくる。

私も、先日のブログで自分なりの具体例で「スキーマ」を解説してみた。


「大造じいさんとがん」には、野口芳宏先生が、はやぶさとガンの大きさやくちばし、足の爪などの違いを提示してみせた実践がある。
学会の壇上で剥製を子供に見せたのは波多野里望先生だっただろうか。ガンとハヤブサの生態の違いを実感しなければ、ハヤブサに立ち向かった残雪の態度に感心しようがない。

作品を理解する上で必要な情報という意味で「前理解」と聞いたことがあるが、これもスキーマと同じ意味だと理解している(違うかもしれない)。

宇佐美寛氏も何か書いていたはずだと思い、書棚を探ってみた。
『国語科授業批判』(明治図書1986年)の第八章「言葉と経験」。説明文の「ありの行列」を例にした内容だ。
「スキーマ」とは書いてないが、前提となる予備知識・経験が必要だとある。
表紙裏に八章からの引用部分が紹介されている。

まず、ありの行列を観察する経験をさせるべきである。
言葉は経験と対応するからこそ解釈できるのである。そして経験は言葉よりも広いのである。
なぜ、教師は、子どもが何を経験し、何を知っているのかを、きちんと確かめようとしないのだろうか。


・・・「スキーマ」がないと、この引用だけでは何のことか理解できないので、もう少し引用する。(P126~129)

◆なぜ、国語教育(学)者は、学習者の<言葉ー経験>の関連構造を推測する方法を研究してこなかったのだろうか。また、実際に経験させるという教授方法が、なぜろくに研究されてこなかったのだろうか。

◆このように、<あり>の経験があれば、「行列」という語の意味の範囲まで意識されてくるのである。言葉ではなく、<言葉ー経験>の連関構造こそが重要問題なのである。

◆言葉が解釈できるとは、その言葉がどんな経験に対応しているかがわかるということである。そのためにはある種の経験をすでにしていなければならない。

◆ありの「行列」を見る経験は、言葉では置きかえきれない。ありの小ささ、それに比しての列の長さ、列の乱れの無さ等は見なければ知られないし、したがって意識されない。また、見た経験が無い者に言葉で伝えることも出来ない。

・・・だから、こころある教師は、作品に応じて、戦争に関する資料、昔の暮らしに関する資料、海外の文化に関する資料などを用意して、子どもたちの予備知識・前提知識を共有させてきた。
2学期に行う「やまなし」を理解させるために、1学期のプールの時間に「水中から水面を見上げてキラキラした様子を体験させる」ことも布石として行われた。

同じ作品を読んでも、大人と子供で感想が異なるのは、その作品を読み解くための前提情報や経験値が異なるからである。

ちなみに、外部情報を与えずに書かれた言葉の範囲の中だけで考える方法を「言語主義」と書いてある。「文章から離れてはいけない」「書いてないことは分からない」としたら、一切の「想像」ができないから、「言語主義」では国語の授業が成り立たなくなるというのが宇佐美氏の主張である。

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「描写」を指導することの重要性

光村図書の国語の指導冊子に「読むことの授業をつくる 文学的な文章編」というのがある。
手元にあるのは平成27年発行だから一つ前かもしれない。

「青山由紀先生の教材研究」のページに「大造じいさんとガン」の例示がある。

中でも「情景描写と心情」の箇所が気になった。

今年度の小学校学テストの設問に「描写」に関するものがあったからだ。
 

情景描写から登場人物の心情に迫るのは、5年生にとって新たな学びである。どのように教えたらよいだろう。特徴的なのは、第一から第3場面の情景描写は、決まって大造じいさんがこれから残雪に挑もうとするところで描かれていることである。これらの描写は、話の筋という点では、なくても通じる。それでもなお繰り返し表現されているのは、作者の意図があるに違いないと、子供たちに気づかせるように授業構想したい。


・・・「話の筋としてはなくても通じる」  ナルホド!
 

話の筋を追うだけの授業をしていると、「情景描写」を扱うことがない。

すると、学テで、情景と人物の行動を関係づけて読んだメモが出てきても、子どもは何を聞かれているのかわからない。

 

だから、決して、ストーリーを掴んで満足するような授業ではいけない。

高学年になれば、

「内容=何が書かれているか」
「表現の工夫=どう書かれているか」

の双方をしっかり検討しなくてはいけないのだ。

その「表現の工夫」の一環が比喩表現やレトリックであり、描写だ。

 

「大造じいさんがん」は情景描写が明白だ。

「やまなし」は、比喩表現やオノマトペが明白だ。

 

そのような作品の特質を見抜き、その作品らしい授業展開を考えていきたい。


◆学習指導要領「国語」構造と内容の把握(文学的な文章)

【第1学年及び第2学年】
 場面の様子や登場人物の行動など、内容の大体を捉えること。

【第3学年及び第4学年】
 登場人物の行動や気持ちなどについて、叙述を基に捉えること。

【第5学年及び第6学年】
 登場人物の相互関係や心情などについて、描写を基に捉えること

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新井紀子氏のアドバイス 〜時系列をまとめるフォーマット〜

新井紀子氏のRST(リーデイングスキルテスト)を特集した5分程度のニュースがある。

2020年2月の映像だ。

https://www.youtube.com/watch?v=udNdUzrkAMg

 

後半に、理科の実験結果を1つの文にまとめることについての新井氏のコメントがある。

====================
特に理科の場合は、時系列で物事が動くっていう意味で、非常に特徴的な科目です。

最初は何々していたが、徐々に何々して、やがてどうなった みたいな理科に特有の言葉というのがあり、

そのような接続詞を使って一文にまとめるっていうのは、国語の授業ではなかなかできないようなものの書き方、指導・・・
===================

新井氏の読解力指導は、「読み方」であり「書き方」であることも分かる。

さて、理科の場合は時系列で物事が動くから国語とは違うというような話だが、ここは疑問だ。
国語の物語作品は大半が時系列だから

◆最初は何々していたが、徐々に何々して、やがてどうなった
◆最初は何々していたが、やがて何々して、最後はどうなった

という「はじめー中ー終わり」の形で一文にまとめることが可能だ。


例えば、国語の「大造じいさんとがん」。

これは、行動の変化というよりは心境の変化だ。
じいさんのガンを捕まえる猟師としての行動に変化はないからだ。

(はじめ)ガンを捕まえることだけを考えていたじいさんが
(徐々に) 残雪の知恵や勇気(頭領らしさ)に心を打たれて
(最後には)残雪と堂々と戦おうと決心する

といった具合に一文になる。

ただし、(はじめ)の部分は、作品を最後まで読まないと、このような表現にはまとめられない。
「いまいましい」「たかが鳥」「あの残雪め」といった表現が重要な意味をもつかどうかは、最後まで読んでみないと分からない。
「ただの鳥に対しているような気がしない」
「いかにも頭領らしい」
「がんの英雄」「えらぶつ」
という表現が出てくるから、その対比表現として、あらためて物語の前半の意味が分かることになる。

あえて、行動の変化でまとめてみると

(はじめ)ガンを捕まえようと作戦を練ったじいさんが
(中)  残雪の狙うのをやめ(銃を下し)
(最後には)残雪をおりから放ち、見守った。

といった具合に一文になる。この場合は、真ん中にクライマックスを入れるのが妥当だろう。

冗長になるが、心情と行動の変化を合体させると、次のようになる。


(はじめ)ガンを捕まえることだけを考えて、作戦を繰り返してきたじいさんが
(中)  残雪の知恵や勇気(頭領らしさ)に心を打たれて、銃を下し
(おわり)堂々と戦おうと決心して、残雪をおりから放ち見守った。


ところで、算数の文章問題も時系列でとらえられるものが多い。

(はじめ)学年だよりを115枚印刷しました。
(なか)  35枚ずつ束にしていくと、
(おわり)何束できて何枚あまりますか?


時系列のテキストは、教科にかかわらず「はじめ、 途中で、 最後に」の観点でまとめられると考えるとスッキリする。

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「機能的非識字」 日常会話はできても教科書が読めない問題

◆「機能的非識字」とは、ひらがなやカタカナなどの文字を読んだり書いたりはできるものの、書かれた内容の理解や活用ができない状態です。たとえば、日常生活の中で、このようなことが起こり得ます。

・家電の説明書を読んで、その通りに設置したり利用する
・災害情報を文字で理解し適切な行動をとる(これは重要ですね)
・薬の服用方法について書かれた説明文書を読み、正しく服用する
・法的な契約書等を理解し、適切な判断のもと契約を行う
・新聞に書かれている内容、掲載されている表やグラフが表している数値の意味を理解し、適切な情報を得る
など、日常生活に欠かすことのできない能力です。
(中略)
こうした子どもたちはFacebookやLineなど、日常会話の延長で発信される文字会話を読んだり書いたりすることはできますが、新聞や教科書などの文章を読み込んで情報を得たり、何を問われているかを判断して回答する、といったレベルの日本語力が不足しているのです。

日本の識字の課題は本当に「終わった」のだろうか?―あらためて考えたい機能的非識字のこと(田中宝紀) - Yahoo!ニュース

※(竹田注) この文章は原文通り引用したが、例示された行動ができないのが「機能的非識字」のはずです。

・・・恐ろしい話だ。「スキーマ(自分の内部情報や自分の保有する常識)」とは、また別個の課題なのだと思う。

だから、新井紀子氏の危機感に繋がる。

◆「高校卒業までに高校の教科書を読める人材を採用するのが組織にとって最大のリスクヘッジ」と強調するのは、国立情報学研究所教授の新井紀子さん。基礎読解力を測るテストを開発した。

文章が読めないと社内規則が形骸化する恐れも。「読み書きはできても新聞などの文章を読めない機能的非識字者がイタリアで3割に達するという報告もある」という。

東ロボくん・新井紀子教授が考える、人材採用時の最大のリスクヘッジ策とは

東ロボくん・新井紀子教授が考える、人材採用時の最大のリスクヘッジ策とは|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社

 

・・・契約書が読めなければ、仕事にならないし、まんまと騙される。

新聞を読まない。読んでも自分の解釈ができない。

複数の情報から判断することができない。

新井紀子氏は、ある講演で「そういう人は、5000円の布団を500万で買わされます」と表現した。
 

意味が分からなくてもロボットが合格できる大学がある。偏差値が50を超えるそこそこの大学だ。
その大学に高校生たちが入れない。
国家的危機なのだという思いを共有しないといけない。

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高学年の授業は、語彙との闘い

学校で定期購読している小学館の「教育技術」今月の5・6年号に、次の記述があった。

=====================
高学年の授業は、語彙との闘いなんです。科目によっては、1時間授業をしただけで、学習に必要な語彙が一気に増えることも多いのです。読み書きに課題がある子は、『授業に参加するための語彙』を意識して指導して欲しいのです。
新しい語彙への抵抗をなくすためには、言葉に触れる回数を増やすことが大切です。勉強として『暗記が必要』になると本人も心理的な抵抗感も大きくなるので、それ以前に、『何となく触れておく機会』が欲しいのです。私は『NHK for スクール』の視聴などもよい方法の1つだと思っています。P64

NPOえじそんくらぶ高山恵子氏と松江市の支援学級担任の井上賞子氏の担当箇所
========================

・・・新井紀子氏が、中学校の卒業時に教科書が読めない子が三割いるという指摘も同じだ。
日常会話に必要な語彙に問題がなくても、ふだん使わない学習の語彙に問題があれば、授業にはついていけない。

難解な用語が苦手な子は、まんまと詐欺にあう。
語彙不足・基礎的読解力の不足は国家の危機なのである。

新井紀子氏は、あるオンラインセミナーで、次のように発言していた。

「中学を卒業するまでに、中学校の教科書を読めるようにすることが公教育の最重要課題」

しっかり肝に銘じたい。

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December 12, 2020

学習指導要領の用語の定義(今さらながら)

改めて、新学習指導要領の国語編を読んでみる。
今回、着目したのは、用語の定義である。

「伝え合う力を高める」とは
人間と人間との関係の中で、互いの立場や考えを尊重し、言語を通して正確に理解したり適切に表現したりする力を高めることである。

 

「思考力や想像力を養う」とは
言語を手がかりとしながら論理的に思考する力や豊かに創造力を養うことである。

思考力や想像力などは認識力や判断力などと密接に関わりながら、新たな発想や思考を創造する原動力となる。こうした力を、未来の状況にも対応できる「思考力、判断力、表現力等」として育成することが重要となる。

 

「言語感覚」とは
言語で理解したり表現したりする際の正誤、適否、美酒などについての感覚のことである。


なお、学年の目標については一覧表の後で、重点箇所についての補足がある。
どこまでを目指している


◆「考える力」

12年では、「順序立てて考える力」
第3学年以降では「筋道建てて考える力」の育成に重点を置いている。

 

◆「自分の思いや考え」

12学年では「持つこと」、
34学年では「まとめること」、
56年では「広げること」

 

「言葉が持つよさ」

12年では「感じる」こと
34年では「気付く」こと
56年では「認識する」

 

◆「読書」

1 2年では「楽しんで」
34年では「幅広く」
56年では「進んで」

 

・・・言葉の定義が曖昧だと、その後の議論がズレていく。

原点(原典)に戻り確認する習慣を作ることは、「事実(引用)と自分の考えを区別すること」にも繋がっていく。

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December 03, 2020

「学びの保障」の理解を深める(今さらですが)

編集

6月に文科省が出した「学びの保障 総合対策パッケージ」
https://www.mext.go.jp/content/20200605-mxt_syoto01-000007688_1.pdf

改めて読んでみると、疑問に感じる箇所がある。
 

あらゆる手段で、子供たち誰一人取り残すことなく、最大限に学びを保障

感染症対策を徹底しながら、まずはしっかりと学校での学習を充実
 

と、ここまでは分かる。その通りだと思う。

しかし、次のフレーズはどうか。
 

授業を協働学習など学校でしかできない学習活動に重点化し、限られた授業時数の中で効果的に指導
 

・・・学校再開後、「協働学習」のような授業形態はブロックされた。
隣同士の相談もグループ学習も「感染症対策の徹底」を優先したために、自粛させられた。


「授業を協働学習など学校でしかできない学習活動に重点化」とは、まさに真逆の対応であった。

 

また、

個人でも実施可能な学習活動等は授業以外の場で実施。


とあるが、これも疑問だ。
学校再開後の授業は、プリントもワークを含め、個人でも実施可能な学習活動がメインとなっていた。
感染症対策徹底のためにグループ学習をやるなと指示されれば、それは当然の成り行きだ。


「協働学習しないなら、わざわざ登校してみんなで授業する意味がない」

ということを暗に主張しているなら、少なくとも、協働学習ができていない現状に対する憂慮が必要だ。

最近になって、少しずつ話し合い活動を再開しつつあるが、今後の感染拡大の状況によっては、封印されかねない。

「感染症対策優先だから仕方ないでしょ」と開き直っては、学びが保障されていない。学びを止められた子どもが犠牲になる。

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「最適解」の理解を深める

今年の2月に楠木健氏の講演を聴いた(その頃はオンラインではありません)。
演題は「ストーリーとしての競争戦略」(だったと思う)。

その際のメモ書きに次のように残っている。

◆競争・・メダルは1つ
◆戦争・・一方が勝てば、一方は負ける
◆商売・・複数の勝者が存在する

 

Right と Wrong なら、Right を選ぶのは当たり前。
Right と Wrong なら、どちらかが「優先」になり、どちらかが「劣後」になる。

しかし、世の中は往々にして、Right と Right の選択。

Right と Right の場合、どちらにも「一理」から簡単に決まらない。

「異なる理」のどちらをとるか、自分の判断が大事。

 

・・・文科省の提言する新しい価値観は、「最適解・正解がない・多様な解が存在する」と言われるから、まさに「Right と Right」 の選択が求められている。

大事なのは、「与えられた条件に照らした最適解はどれか」という観点を見失わない事なのだと思う。

楠木氏のメモ書きには「商売は複数の勝者が存在する」と書いたが


汎用的に言うと

「実社会は、複数の選択肢が存在する」

なのかなと思う。
 


※楠木氏の講演内容は少し違うが、以下のような内容。
https://www.ashita-team.com/jinji-online/event-report/2988

改めて読むと、以下の部分もなるほどと思う。非常に深い!

======================
では、そもそも競争戦略とは何でしょうか。
競争戦略とは実は非常に単純で、「競争相手との違いをつくる」ことです。
競争戦略理論をつくったマイケル・ポーターは、「違い」には2通りあると論じました。
ひとつは「Operational Effectiveness(OE)」。これは“Better”という意味の違いです。
つまり、“AさんよりBさんの方が速く走れる”のような、同じモノサシのなかで優劣を競い、違いを見出すやり方と言えるでしょう。

OEに対して、もうひとつの「違い」は、「Strategic Positioning(SP)」という“戦略的位置取り”です。
これは“AとBは性質が異なる”という“Different”を生みだすやり方。優劣を測るモノサシがない状態です。
人にたとえるなら、男女の違い。優劣や勝ち負けで語るものではなく、違いが違いとしてあるだけですよね。

さて、今ご説明した“違いの違い”ですが、なぜ違いを区別することが大切なのでしょうか。
それは、先ほどご説明した競争戦略において重要な「競争相手との違いをつくる」とは、Differentだからです。
Betterかどうかは二の次。他社よりもBetterであったとしても、それは必ずしも戦略ではありません。
つまり、足が速いことも大切ですが、それ以前に他の人と違うゴールに向かって走るようなDifferentの方がもっと重要なのです。
======================

 

・・・「人と異なる場所で活躍する」というのは「ブルーオーシャン戦略」とも重なってくる発想だ。

大事なのは「違い」。

「みんな違って、みんないい」という金子みすゞの言葉が聞こえてくる。

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「スキーマ」の理解を深める

(1)朝放課や昼放課に落ち葉清掃を行っている。
通りがかった子供に、ほうきをはきながら

「お出かけですか?」

と聞きたくなるが、このギャグが通じるはずがない。職員も同じだろう。
子供にも、若い職員にも「レレレのおじさん」の予備知識がない。

(2)落ち葉を集めていると、ふと「たき火」の歌を思い出す。
しかし、落ち葉を集めて焚き火をするなんて光景をずっと見ていない。
「たき火」の歌を情景を想像しながら歌うのは今の子には無理だろう。

(3)子供たちは手づくりの可愛いマスクをつけていることが多い。
最近は、ピンクや緑の格子柄のマスクの子を見かける。
「古風な柄のマスクだね」と反応する人は、「鬼滅の刃」を知らないからだ。
自分も詳しくは知らないが、格子柄が主人公たちの衣装なのだという情報がないとマスクをほめることもできない。

(4)「お笑い」というのは、何の話をしているのかを理解できていないと笑うことができない。
「え、今の話、どこが面白いの?」と周りに聞くほど、野暮な話はない。

(5)知り合いの先生は自分が朝風呂に入っている間に奥さんに朝ごはんを作ってもらって、出勤するそうだ。
私自身の状況を聞かれたから「奥さんが寝ている間にそっと出かけるんだよ。ジュリーみたいでしょ?」と言うと、教頭は理解できたが、教務主任は理解できなかった。40代は「勝手にしやがれ」が通じないのだ。

・・・・というようなエピソードも「スキーマ」なのだと理解している。


あることがらに関する、私たちの中に既に存在しているひとまとまりの知識を、心理学、とくに認知心理学では「スキーマ」と呼びます。 
「わかったつもり」西林克彦(光文社新書)より

※自分が、その用語を本当に理解しているかどうかを試すには、自分の身近な具体例で当てはめてみるとよい。
これは誰に教わったわけではないが実感としてそう思う。
読書量の多い子が文章読解に優れているのは、読みの速度のメリットもあるだろうし、スキーマのメリットもあると思う。
時事問題や歴史・科学のようなスキーマがあれば、内容理解がスムーズだからだ。

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「知識・理解の質の向上」の理解を深める(今さらですが)

市内の研究指定校でアドバイザーをされていた高橋純先生の講演を視聴した。

新学習指導要領の解説として印象に残ったのは

①能動的な学び
②知識・理解の質の向上

先のブログに続いて②の「理解の質」

総則解説のP3に「今回の改定の基本的な考え方」として次のように記してある。

◆知識及び技能の習得と思考力、判断力、表現力等の育成のバランスを重視する平成20年改訂の学習指導要領の枠組みや教育内容を維持した上で、知識の理解の質を更に高め、確かな学力を育成すること


・・・「暗記型の知識・断片的な知識」の対極にあるのが「知識・理解の質の向上」。

それは、「深い学び(各教科の見方・考え方)」とかなり密接につながっている。

◆各教科等の特質に応じた物事を捉える視点や考え方である「見方・考え方」は、新しい知識及び技能を既にもっている知識及び技能と結び付けながら社会の中で生きて働くものとして習得したり、思考力・判断力・表現力等を豊かなものとしたり、社会や世界にどのように関わるかの視座を形成したりするために重要なものであり、習得・活用・探求という学びの過程の中で働かせることを通じて、より質の高い深い学びにつなげることが重要である。P78

・・・以下の「知識に概念的な理解」は、「断片的な理解」を組み合わせたものを言うそうだ。

◆このような時代にあって、学校教育には、子供たちが様々な変化に積極的に向き合い、他者と協働して課題を解決していくことや、様々な情報を見極め知識の概念的な理解を実現し情報を再構成するなどして新たな価値につなげていくこと、複雑な状況変化の中で目的を再構築することができるようにすることが求められている。

・・・確かに指導要領解説だけを読んでいても、よく分からない。

断片的な知識の1つ1つをつなげ、そのつないだ線を太くしたり、つないだ知識を整理することで質が向上すると解説された。

今回の高橋先生のお話も、ある程度の下準備があったから理解できた。
数週間前の自分だったら理解できなかったかもしれない。

この「理解するための下準備、予備知識」が、「スキーマ」。
この「スキーマ」について、この後、書きます。

それにしても、学習指導要領については、まだまだ理解が足りていない。

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「能動的な学び」の理解を深める(今さらですが)

市内の研究指定校でアドバイザーをされていた高橋純先生の講演を視聴した。

新学習指導要領の解説として印象に残ったのは

①能動的な学び
②知識・理解の質の向上


この2点は、正直なところ、今まで意識してこなかったので、驚きでもあった。

①は、総則解説のP3にある。
実に長い一文である。

◆子どもたちが、学習内容を人生や社会の在り方と結び付けて深く理解し、これからの時代に求められる資質・能力を身に付け、生涯にわたって能動的に学び続けることができるようにするためには、これまでの学校教育の蓄積を生かし、学習の質を一層高める従業改善の取組を活性化していくことが必要であり、我が国の優れた教育実践に見られる普遍的な視点である「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善(アクテイブ・ラーニングの視点に立った授業改善)を推進することが求められる。

・・・「受動的」の対語が「能動的」だから「受け身でない学び(従来の詰め込み型とは異なる学び)」を推奨していることが分かる。ただし「主体的」とどう違うのかは、正直、疑問。


さて、この「能動的な学び」の背景は、総則解説の冒頭「改訂の経緯」とつながっている。

◆今の子供たちやこれから誕生する子供たちが、成人して社会で活躍する頃には、我が国は厳しい挑戦の時代を迎えていると予想される。生産年齢人口の減少、グローバル化の進展や絶え間ない技術革新等により、社会構造や雇用環境は大きく、また急速に変化しており、予測が困難な時代となっている。
(中略)
このような時代にあって、学校教育には、子供たちが様々な変化に積極的に向き合い、他者と協働して課題を解決していくことや、様々な情報を見極め知識の概念的な理解を実現し情報を再構成するなどして新たな価値につなげていくこと、複雑な状況変化の中で目的を再構築することができるようにすることが求められている。


キーワードを抽出すると

①厳しい挑戦の時代
②予測困難な時代
③新たな価値の創造
④協働して課題解決
⑤知識の概念的な理解
⑥情報の再構成
⑦複雑な状況変化の中で目的の再構築


コロナ禍の学校休校中は、よく「学びを止めるな」と言われたが、これからの世の中は、昨日の学問が通用しないほど変化が激しい。

生涯にわたって自分が活躍するためには、生涯にわたって自分で課題意識をもって、学び続けねばならない。
それが「生涯にわたって能動的に学ぶ」の意味だ。中教審答申に出てくる「自己のキャリア形成」とも重なってくる。


学力調査で課題になったのが、諸外国に比べて家庭学習の時間が少ないことや読書の時間が少ないことだ。
「自分のための学び」の意識が薄いから、家に帰ったら勉強しないし読書もしない。自宅のPCやスマホは、エンタメにしか使わない。
あるいは、大学入学がゴールになっていて、大学に入ったとたん、学びをやめてバイトにあけくれてしまう。

子どもたち(というより我が国のすべての人々)が、能動的に新たな課題に向かって創造的に取り組まないと、国家が傾くという危機意識が、「総則」の文面に表れている。

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「コンピテンシー」の理解を深める(今さらですが)

文科省資料の「主体的・対話的で深い学びからの授業改善」を読む。


◆子どもたちに「生きる力」を育むために大切なのは「何を学ぶか」だけではなく「何ができるようになるか」

・・・「コンテンツ」から「コンピテンシー」と言われる部分だ。

「コンピテンシー」
=教科等を横断する汎用的なスキル
(例えば、問題解決、論理的思考、コミュニケーション、意欲など)

ということになるが、分かった気になっていたが不十分だった。
 今回、自分の言葉でまとめてみたら、少しだけ理解が進んだ。


たとえば、校内研修を行った後の職員の感想

◆1年生の教材「じどう車くらべ」を構造的に考えてみて、すごくわかりやすかったです。1年生を担任したときに実践したいと思いました。

・・・ご本人を責めるわけではないが、これが、通常の教材研究の理解、つまり「コンテンツ」の理解だ。


◆1年生の教材「じどう車くらべ」を構造的に考えてみて、すごくわかりやすかったです。今の学年の説明文にも応用して実践したいと思いました。

となるのが、「汎用的な読解」、つまり「コンピテンシー」の理解だ。


私たちが常々主張する「基礎的読解力」は、言い換えれば「汎用的読解力」だ。分析批評のさまざまな分析スキルも、「汎用的なスキル」 だから、他作品の読みに応用できる。

ただし、教える側に「汎用性」の意識がなければ、教わった子どもも「他の作品への応用」を意識できない。

他の作品に応用できる汎用性を意識した授業展開
子どもに「他の作品にも応用してみよう」と思わせる授業展開

この「コンテンツからコンピテンシー」が、指導要領の骨子になっていることを、しっかり理解せねばならない。

 

市川伸一氏は、認知心理学の観点から「授業の振り返り」の内容について、次のような事例を書いている。

 

本時の振り返りで抑えさせたいことは、

 ①1平方メートルは、100センチかける100センチだから10000平方センチメートルだということが分かった

 という「式と答え」=「必要知識」だけではなく、

 

②何を聞かれているか(定義に戻って)、ちゃんと考えると解けることが分かった。
③図にして表すと、解きやすいことが分かった。

 

・・・他の問題でも使える「汎用的な学習スキルの自覚」=「コンピテンシー」で振り返りの言葉を書かせたい。

本時の学びを言語化させるのが、授業ラストの振り返りのはずだが、そこまでの深い意図がなかなか浸透していないので、

 

◆「難しかった、楽しかった、頑張った」レベルの感想で許容するか、

◆そんな振り返りは意味がないから、最初から書かせていない

 

というのが多くの教室の現状だ。
 

昔から、「教材を教える」か「教材で教えるか」の議論はあった。「教材を通じて教科内容を教える」は、コンピテンシーの考え方である。

道徳授業の後段に行われる「価値の一般化」も、同じ意味だ。具体的な資料のエピソードから離れて自分事として思考させるのだから、コンピテンシーの考え方だ。


文科省初等中等教育局の白井俊氏の論文には、次の指摘がある。

=======================
ここで注意しなければならないのは、コンピテンシーを重視すると言っても、そのことが、各教科等のコンテンツを軽視するものではないということである。
コンテンツを学習する過程において、コンピテンシーが育まれるのであるし、より高次のコンピテンシーを獲得することにより、さらに多くのコンテンツをより深く理解することが可能になる好循環が働くのである。したがって、コンピンテンシーを重視するとしても、コンテンツとコンピテンシーが二項対立で捉えられてはならないことについては、改めて留意が必要であり、一つ一つのコンテンツをしっかりと学習していくことの重要性が変わるものではない。大切なのは、コンテンツを学んだことで、どのような資質・能力が身についたかという学習の成果を意識することである。

「新しい学習指導要領を読み解くための視点」
http://www.saitama-city.ed.jp/04kanko/saitama/31/31/06-09.pdf
=======================

 

以前、奈須正裕氏の講演で「コンテンツ・コンピテンシー」を聴いたのだが、なかなか腑に落ちなかった。
その日の資料とは違うが、奈須氏の講演資料を見ると、今は以前よりは理解できる。

https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/wg2/0723/shiryou_05.pdf

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「主体的・対話的で深い学び」の理解を深める(今さらですが)。

コロナ禍の三密対策・授業時間の確保の観点から、教師主導の授業が優先され、話し合いや発展的な学習が十分行われていない現状を踏まえると、今一度、新学習指導要領の理念に立ち返り「主体的・対話的で深い学び」が実現できるよう意識を改革する必要がある。

ちなみに、「深い理解」のためには、「基礎的・基本的な知識・技能の習得」と「思考・判断・表現力」の双方のアプローチが必要である。
文科省の資料には次のようにある。

=========================

「ゆとり」か「詰め込み」かではなく、基礎的・基本的な知識・技能の習得と思考力・判断力・表現力等の育成との両方が必要です。

【基礎的・基本的な知識・技能の習得の重視】
● 社会の変化や科学技術の進展等に伴い子どもたちに指導することが必要な知識・技能について、しっかりと教えます
● つまずきやすい内容の確実な習得を図るための繰り返し学習を行います

【思考力・判断力・表現力等の育成の重視】
● 各教科等の指導の中で、観察・実験やレポートの作成など、知識・技能を活用する学習活動を充実します
● 教科等を横断した課題解決的な学習や探究的な活動を充実します

それぞれの力をバランスよくのばしていくために、教科書等の授業時数を増加し、教育内容を改善します

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/idea/1304378.htm
======================


なお、「主体的」「対話的」「深い」について、文科省初等中等教育局の白井俊氏は、次のように修飾語をつけている。

========================
①見通しを持って粘り強く取り組み、自己の学習活動を振り返って次につなげる 「主体的な学び」

②子供同士の協働、教職員や地域の人との対話、先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ、自己の考えを広げ深める「対話的な学び」

③習得・活用・探究という学びの過程の中で、各教科等の特質に応じた「見方・考え方」を働かせながら、知識を相互に関連付けてより深く理解したり、情報を精査して考えを形成したり、問題を見いだして解決策を考えたり、思いや考えを基に創造したりすることに向かう「深い学び」

「新しい学習指導要領を読み解くための視点」
http://www.saitama-city.ed.jp/04kanko/saitama/31/31/06-09.pdf
=========================

③などは、ずいぶん長い修飾語だが、この修飾語を抜くと具体的でないので、共通理解が進まないだろう。


なお、同論文の中で白井氏は、丸投げの授業をしないようにと釘を刺している。

◆主体的な学びを重視するとしても、基礎的・基本的な知識や技能すら身についていないのであれば、十分な成果は出ないだろう

◆一部には、「アクティブ・ラーニング」なのだから、「教師が教えてはいけない」という議論も見られる。確かに「教師が教えてはいけない」場面もあるかもしれないが、「教師が教えなければならない」場面も当然あるだろう。「グループ学習が必要」な場面もあるだろうが、「グループ学習に適さない」場面もあるだろう。児童生徒の状況を的確に捉えた上で、授業全体をどのようにデザインしていくかを教師一人一人が考えなければならないのであり、まさに、教師が教育のプロフェッショナルとしての専門性を発揮すべき場面である。

 

繰り返すが、

◆「ゆとり」か「詰め込み」かではなく、基礎的・基本的な知識・技能の習得と思考力・判断力・表現力等の育成との両方が必要です。

というように、双方のバランスが大事だという立場である。
今回の学習指導要領は、極端に触れてきた従来の振り子を止めたのだから。

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私たちの思考は「推論の連続」

「考えることの科学」市川伸一著(中公新書1997発行)を紹介された。
サブタイトルが「推論の認知心理学への招待」。
これだけではよく分からなかったが、少し読んでみて、これが論理的思考の本であり、それはプログラム的思考に関わる内容であることがわかった。

冒頭に次のようにある。

夕焼けを見て、「明日は晴れそうだ」と思う。
ある国を旅行して親切にされてたので、「この国の人は皆親切だ」と思う。
「趣味はゴルフです」というのを聞いて「裕福な人に違いない」と思う。
クシャミがやたらに出るので、「カゼをひいたかもしれない」と思う。
前にやった問題と似ているので、「同じ解ける同じ解き方で解けるのではないか」と思う。
・・・
このように私たちの思考は推論の連続と言っても過言ではない。

こういう記述にゾクゾクしてしまう。


例えば第一章で、どのカードをめくれば良いかという問題が例示されている。
(4枚カード問題とか、ウエイソンの選択課題と呼ばれる)。

カードは「A、K、4、7」の4枚。
「母音のカードの裏側には、必ず偶数がある」が成り立つことを確かめよ。


①Aは母音だから、Aのカードの裏側が偶数かを確かめる必要がある。
②kは母音ではないから、カードの裏側を確かめる必要はない。
③4は偶数だが、表側は母音でも子音でも困らないから、確かめる必要はない。
④7は奇数だから、表側が母音だと困る、母音でないことを確かめる必要がある。


注意すべきなのは、この命題は、言い換えれば

「子音の裏側は、奇数でも偶数でも構わない」
「奇数の裏側は、子音でないといけない」

という条件を含んでいるのだ。

なるほど、考えてみれば、授業も推論の連続で、「前にやった問題と似ているので、同じ解き方で解いてみよう」とチャレンジすることでつながっていくのだ。

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