「人はいかにして学ぶか 日常的認知の世界」(中公新書)
「人はいかにして学ぶか 日常的認知の世界」(中公新書1989)
稲垣佳代子、波多野誼余夫の共著という点では、あの1973年の「知的好奇心」と同じだ。
学ぶところが多く、たくさん付箋を貼った。厳選すると以下の箇所。
経験と知識の獲得との関連については、第二章の「現実的必要から学ぶ」が深い。
◆金魚の飼育経験のある子どもは、金魚についての概念的知識を獲得しただけではなく、この知識をもとにして、他の似た動物について類推することもできた。(中略)彼らは、その動物の生態について、大人も顔負けするほどの知識を獲得していることが珍しくない。(中略)これらの事実は、伝統的な学習の説くところとは違って、人は、能動的に環境と交渉し、そこから自分なりに知識を構成していける存在であることを示唆しているといえよう。p32
興味関心の高さが、知識獲得を促す点については「第三章 知的好奇心により学ぶ」
◆子供たちが磁石遊びを終えた時点で、どんな事物が電磁石に吸い付くかを、いろいろな仕方で聞いてみた。すると、探索を熱心にあった子供ほど、そこから学んでいることが多かった。どんなものが、どんなふうに磁石に出かに関して、正確に答えることができたのである。
・・・「角砂糖が水に溶けた時の重さ」について集団討論の効果について説明した次の箇所も興味深い。仮説実験授業を参観したのかなと思わせる場面だ。
◆観察後には、討論群もそうでない群も、ひとしく「砂糖は水中で溶けても重さは変わらない」と答えることができるようになった。しかし、なぜ変わらないのか、その理由を聞いてみると、討論群の子どもでは十分な説明を述べることができたが、ただ観察しただけの群の子どもでは、それができなかった。51ページ
◆彼らは、得られた結果だけに満足せずに、どのようにしてその結果が生じたのか、自分たちの行為と結果との因果的な関連を理解しようとしているのである。53ページ
・・・因果関係を自分で考え、自分の中で生じた事象に整合性を持たせたい(自力解決したい)というのが、「知的好奇心」であり「学ぶ意欲」であるのだと理解した。
また、文章の読み取り=イメージ確定についての次の箇所も印象に残った。
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書いてあることがわかるだけで満足するのではなく、そこに直接書いてないことを推測し、書いてあることに照らしてその推測が正しいかどうかを吟味していく。こうすることによって、書いてある事を超えてより深く理解することができる。54ページ
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◆人は、たえず自分なりに納得のいく、整合的な世界のイメージを構成しようと努めている存在なのである。
◆理解するためには、新しく入ってくる情報を既有の情報と関連づけ、そこに整合的な関係を見出すことが必要である。
・・・「AとBの事態を理解するには、Cという解釈をしないとつじつまが合わない」といった思考過程だろうか。
子どもは「整合性」なんて言葉を知らなくても、整合性のある解釈をする。
それが「知性」だ。
ちなみに、何の根拠もないが、子どもは「穴うめ」問題が好きだ。
空欄を見ると、前後の内容からの類推で埋めてみたくなる(「文字数指定」があると類推もさらにやる気になる)。
それは「整合的に物事を理解したい」という知性の表れなのだと思う。
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