簡単だから難しい
市の教員会から干支にちなんだ原稿を書くように依頼があった。
退職予定の校長の中で自分に回ってきた仕事だ。
少しの違い
「丑」という漢字は十二年に一度しか意識しないから、すぐ忘れてしまう。「五」や「互」に近いから、かえって覚えづらい。
先日、二年生の子が漢字の間違い直しで苦労していた。「来」が書けなくて「半」と書いていた。「惜しいね。」と声をかけると「米」と書き直した。なるほど、確かに「半・米」と「来」はよく似ている。「丑」が覚えられない自分には、よく似た漢字で苦労するこの子の気持ちがよく分かった。
「恕(じょ)」という漢字がある。「ただ一言で生涯行うことができるものは?」と問われた孔子は「恕」を挙げ、その意味として「己の欲せざる所、人に施すなかれ」と説いた。「怒る」と「恕す(ゆるす)」は「又」と「口」の違いだけなのに意味は真逆だ。
ストレスマネジメントのアドバイスに「辛い気持ちを乗り越えると幸いになる」とあった。「辛」と「幸」が一画違いというのも意味深い。
日々の生活も「怒と恕・辛と幸」の繰り返しであるが、禍福は表裏一体だから「辛・怒」がなければ「幸・恕」は味わえない。残る一年は「辛・怒」を受け入れる自分でありたい。
・・・よく似ているから簡単なのではない、よく似ているから混同しやすいから難しい。
「簡単だからすぐ覚えられるよね」などとアドバイスしてはいけないのだ。
自分も、ハングル語の1から10の漢数詞は、到底、覚えられないと思う。
数字・ひらがな・カタカナ・アルファベットで、つまづく子たちに優しい教師でありたいと、今更ながら思う昨年だった。まだまだ教師修行は続く。
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