「評価の3観点」の理解が怪しい!
従東京書籍の「教師の窓」一月号に、市川真一氏の論稿が掲載された。
https://ten.tokyo-shoseki.co.jp/ten_download/2021/2021017255.htm
市川氏のお名前は椿原先生に著書を教わるまで知らなかった。
椿原先生に教わっていなければ、この論稿もスルーしていただろう。
これを見ると、正直、「かなりヤバいな」と思った。
◆まず「知識・技能」はあまり変わっていないと言われますが、評価の方法に目を向けてもらうとそうではないことがわかると思います。
・・・一番大丈夫だと思っていた「知識・理解」でさえ、従来通りではダメだというのだ。
◆「知識・技能」とは、丸暗記で対応できるペーパーテストで評価するような、断片的な知識だけではなく、記述式問題や実演などを通して、知識同士が関連付いた状態、例えば原因や理由等の理解を伴った知識を評価することが求められています。
・・・原因や理由の記述は「思考・判断・表現」の評価になると考えるのが誤りなのだ。
すみません、今頃こんなこと言っていて。
◆算数、数学であれば、公式を暗記するだけでなく、その公式がどうやってできてきたかや、他の公式との関係まで理解する。歴史であれば、年号を覚えるだけでなく、その出来事が起きた原因や全体の流れまで理解する。従来よりも、知識の高度化が求められているともいえます。
・・・市販テストに記述式問題があるか、記述式問題を評価する力が教師にあるか、繰り返すがそもそも記述式問題が「知識・理解」の評価観点なのだという認識が教師にあるかを考えると、2学期に通知表を配ってしまったとはいえ、再検討する必要があるのだ。
◆「思考・判断・表現」では、それ以上のことを、自分で考察するとか、まとめ直して発表するとか、討論するとか、レポートにするといった活動が求められます。レポートにするとは、時間をたっぷりかけて自分なりに考えを深めて論述することです。このような活動をもっと学校でも取り入れてほしいと思います。そこでその子なりの何か考えたことを表現する姿が見られれば、それを「思考・判断・表現」として評価してください。つまり「知識・技能」と「思考・判断・表現」も、これまでと全く同じではないということを押さえてほしいと思います。
・・・「思考・判断・表現」は、ほぼペーパーテストでは測れないということなのだが、担任は個々のレポートや討論の様子から、個々の能力を適切に評価できるだろうか。担任の職員の評価能力を上げないと(というよりは評価の仕方をみんなで学習しないと)、担任によって、つまり年度によってその子の評価がバラバラになるおそれがある。評価の客観性が担保できない。
そして、そもそも授業を変えないといけない。
静かに先生の話を聴く授業
黙々と板書を書き写す授業
では、「思考、判断、表現」を評価しようがない。
単元の最後に書かせたり発表させたりすることは多い。
しかし、それだけでは「思考、判断、表現」の場の設定はしても、「思考、判断、表現」を鍛えることにはならない。「活動あって指導なし」になるから、元々できる子はよいが、できない子は教わらなければレベルアップできない。
教師の「思考、判断、表現」を鍛える指導力が問われている。
最後に「主体的に学習に取り組む態度」
従来の「関心意欲」は違うんだよねと分かってはいても、結局、挙手発言の量、授業態度、ノート点検などで評価している現状をどうすればいいか、残念ながらよく分からなかった。
◆「主体的に学習に取り組む態度」は、粘り強く取り組む側面と自己調整を行う側面から評価することが求められます。粘り強いというのは、学習に長い時間取り組むといったような量的なものです。ただし、それだけではなくて、自己調整、つまり自分なりの工夫をして、学びを質的に高めようとしているかどうかを評価することが必要です。
・・・市川氏の指摘を読んでも、量的質的な取り組み態度を把握するためにはどうしたらいいのか、結局、従来通りになるのかどうか、そこは分からないままだった。
学習指導要領が変わっても学校現場に混乱がないのは、これまで通りで進めているからだ。
次年度から意識改善と授業改善を進めるには、年度末反省が大事になってくる。
自分だけ焦っていても仕方ないのだ。
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