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January 31, 2021

学校の存在意義が問われている 


1月中旬、オンラインで行われた岐阜聖徳学園大学の玉置嵩氏の講演の中で、いくつか興味深い指摘があった。

「意味の喪失」

・・・これは『ビジネスの未来』山口周氏の引用だそうだ。

• 人間は意味をエネルギーにして生きている。
• 意味も意義も感じられない営みに携わって生きることはできない。
• 社会が大きな危機を迎えるには、間違いなく「意味の喪失」という問題から引き起こされる。
• 何のために?という問いに答えられない状態になる。

・・・様々な行事が削減された学校においても「意味」が問われ、「意味」が喪失し、エネルギーが喪失した。
これは「社会的な大きな危機なのだ」と言う。

このところ気になっていたキーワードが

「祝祭性」


「祝祭性」というワードを落合陽一氏は使う。

たとえば、次の番組
◆落合陽一「テレビに出るのは社会科見学」|日テレNEWS24
https://www.news24.jp/articles/2020/12/18/07788583.html

向山先生が使う「ハレ」と同じ意味なのだと思う。

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「飲み会をリモートでやろうとしても、身体性がないから“祝祭性”や“共時性”が足りない。
(中略) 冠婚葬祭ができないので祝祭感が盛り上がらない」

「祝祭」の意味とは何だろうか。

「入学式や卒業式など、コミュニティを維持するために、その一員として認められるためのイベントというのは祝祭と呼ばれることが多い。例えば、オリンピックだったら、“日本”とか“世界市民”だとか。祝祭がなくなると、社会に対する帰属意識やお互いにとっての共通基盤、コミュニティに属しているという感覚がなくなる。そうするとマナーが悪くなったり思いやりがなくなったりすることは起こるんじゃないですか」
================

・・・自粛ムードが高まると何でも中止になるが,エンタメや祝祭は「こんな時だから必要」という側面がある。
冠婚葬祭は、多くが自粛されている。では冠婚葬祭はもう必要ないのか?
冠婚葬祭は「不要不急」なのか?

そのような観点で、学校行事を考える。
コロナ禍で中止になったということは、しょせん「不要不急」だったのか?
何が必要で何が不要なのか、そこをあいまいにして年度をまたぐと、さらに混乱が起こる。
意味の喪失が起こり、職員や子供の気力も喪失する。

ちなみに玉置氏の講演で指摘された「学校の存在意義」は、次の3つ。
知・徳・体の三要素と考えれば、ごくごく常識的な私的であるだけに、きちんと受け止めておきたい。

(1)学力保障(学習的機能)
(2)関係保障(社会的機能)
(3)健康保障(福祉的機能)


「ポストコロナ」を見据えた新しい時代の初等中等教育の在り方について 
参考資料2 岩本委員提出資料より
https://www.mext.go.jp/content/20200702-mxt_syoto02-000008445_10.pdf

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