できない子に寄り添う教師でありたい(1)
同じサークルの先生の学校(高校)の職員アンケートで、期待されているのが「分かりやすい授業」という結果になったと言う。
かつて自分が勤務していた中学では、授業研究は教科部会が中心だった。
各教科で年度の研究目標を立て、教科部会で研究協議を行った。
学校訪問(主事訪問)は全校体制だから、全職員が割り当てられて参観するが、他教科の先生は、その教科の論理がよくわからないから一歩下がって意見を言うことが多かった。
今なら、このやり方に反対する。
他教科の先生、つまり第三者がその授業をどう評価するかを研究協議の中心にすべきだと思う。
この高校の先生には、以下のように返信した。
◆高校教師にとって、自分の専門教科は「できて当たり前」だから、本気にならない限り、できない子・苦手な子の気持ちに寄り添えません。自分だって漢字を覚えられない子の気持ちには正直寄り添えてなかったと思います。そんなの練習するだけじゃんと思っていましたから。
だから教科部会で授業検討するのではなく、他教科の先生に授業公開して、「専門以外の教師から見た授業の感想」を共有することが大事だと思いますね。
「俺、英語苦手なんだよね」という先生にこそ、英語の授業を見てもらって正直な感想をもらう校内研修のシステムです。
・・・「中学校の時、こんな国語の授業を受けてたら、自分も国語嫌いにならずにすんだかも」と同僚教師に言われたら、まさに最高の賛辞だろう(言われたことはなかったが)。
そして「教科は違うけど、あのような授業をすれば生徒が熱中するのだとよく分かりました。自分の教科でも工夫してみます」と言われたら光栄だ(言われたことはなかったが)。
生徒は正直だから「○○先生の授業、つまらんよね」とも言うが、「○○先生の授業よくわかるよね。面白いね」とも口にする。
つまらないと言われたり、授業中に他ごとをされるのは辛いが、その原因を生徒に押し付けていては何の解決にもならない。
「俺はこんなに一生懸命授業しているんだから、聞かない生徒が悪い」と、授業に集中しないことを生徒のせいにしているようでは永遠に授業力は上がらない。もちろん仕返しに態度点を減点して溜飲を下げているようでは話にならない。
「俺が悪いんじゃない、やる気のない生徒が悪い」と豪語する中学の先生を何人も見てきた。
「楽しい授業を目指すなんて言って、生徒にご機嫌とってどうするんだ。楽しくなくたって授業はしっかり聞くべきなんだ」と、あたかも授業はそもそも苦行だと言わんばかりの先生も見てきた。
一方で、態度点を減点されたら困るからと我慢して授業を受けている生徒を山のように見てきた。
生徒のやる気を喚起することも、他ごとさせないことも含めて、教師の力量なのだということをT、私たちは日々の課題として教師修行をしている。
耳に痛い指摘だから、拒否する教師もいるだろう。
しかし、心ある教師(A先生の授業では言うことを聞く生徒たちが、自分の授業では騒然とするという経験を持つ心の折れそうな教師)は救われると思う。
私たちの教育サークルは、そのように苦しんでいる先生たちの味方なのだ。
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