『ごんぎつね』は、「人間と狐」だからこその悲劇
「ごんぎつね」は、「人間と狐の対比」と子供が発言したらどう思うだろうか。
「人間と狐」という対比は、「いたずらと償い」「憎しみと親しみ」「孤独と通い合い」のようなキーワード的な対比に比べれば、幼く思うかもしれない。
しかし、この作品の中で「人間と狐」という違いは極めて根本的で奥が深いと思う。
しょせん人間と動物だから、分かり合えるはずはないのだという諦めにも似た「両者の深い溝」を表しているからだ。
(ただし、人間と狐では言葉が通じ合うわけないのだとあまり厳格に考えると、物語の存在そのものの否定になってしまう)。
誤解によってごんが銃で撃たれてしまう結末は、本来分かり合えるはずのない2人にとっては必然であったかもしれない。
「ごんぎつね」の主題を冷ややかに考える大人バージョンで列挙すると例えば次のようなものか。
むろん、子どもにはここまで読ませようとは思わない。あくまで持ち駒だ。
◆他人と分かり合うというのは、実に難しいものだ。
◆他人の気持ちは分からないものだ。
◆言葉で伝えないと思いは伝わらないものだ。
◆人生は誤解とすれ違いの連続だ。
◆わかり合うのは難しいが、だからこそ分かり合えた時の喜びは大きい。
◆本当の幸せは、繋がり合うことだ。分かり合える仲間がいることだ。
◆本当の幸せは愛されることだ。
◆孤独に生き続けるくらいなら死んだ方がマシだ。
◆孤独の反対は愛だ。
◆孤独の反対は仲間だ。
◆死の危険を冒しても、己の存在は伝えたいものだ。
◆思いが伝わるなら、死んでも本望だ。
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