『ごんぎつね』の主題を「分かり合える仲間」だとすると・・・
井関義久氏の「入門『分析批評』の授業」(明治図書)を読んでいて、複数の記載部分がつながってきた。
(1)文学作品の「主想語」については、「幸福、平和、希望、努力、正義」などのよくある「主想語彙指導」をしておくと良い(というようなことを書いている)。p191
(2)「幸せ」や「平和」が、「不幸」や「戦争」といった暗い面を併せ持っていること(二項対立)を考えさせると良い(というようなことを書いている)。p60
(3)「孤独」の対立語として「有隣」がある。
「論語(里仁編)」の「徳不孤必有隣(徳は孤ならず必ず隣あり)」
「徳を行っていれば、決して孤立しない。いつかきっと共鳴してくれる人が現れる」という意味。
隣人・・共鳴者がいる、ということは「幸福」の条件でもある。
「孤独」というのは、この隣人の現れるまでの一時的な姿にすぎない、と「論語」は語る。p155.156
「幸せとは、共に喜びを分け合える人がいることだ」
「分かり合える隣人のいることが、本当の幸せだ」
・・・井関氏は『白いぼうし』の主想を解説する場面で「有隣」という語を持ち出したが、『ごんぎつね』の主想も、まさに、この「有隣」じゃないか。
浜上薫氏は、『ごんぎつね』のテーマを「『ひとりぼっち』からの脱却」とした。
「『ひとりぼっち』からの脱却」を言い換えると「有隣」になるのだろう。
ただし、「ひとりぼっち」を「孤独」と置き換えるほどには、「有隣」は馴染みがない。
「孤独」の反対語として「連帯」「隣人」を持ち出しても、子どもは納得しない。
提示する主想語は、「仲間」ぐらいがちょうどいいのかもしれない。
「幸せとは、共に喜びを分け合える仲間がいることだ」
「分かり合える仲間のいることが、本当の幸せだ」
ごんの「幸せ」は、仲間を得ることだった。
だから、分かり合えた仲間が見つかり、うなずくラストは、もの悲しくはあるが「ハッピーエンド」なのだということになる。
ごんが銃で撃たれて死んだかどうかは不明だが、
孤独に生き続けるよりも、分かり合える仲間と出会って死ぬ方が幸せだ
と読める(孤独に生き続けるって、辛いなあ)。
モチーフに戻ると、
ごんは孤独で生き続けるよりも、たとえ命を落としても分かり合える仲間と出会う道を選んだ。
ということになる。
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