「ごんぎつね」の解釈
「いたずら」を後悔して「つぐない」をするようになったごん。
大人が読んで気になるのは、神様のせいにされては引き合わないと不満を漏らしているところだ。
「償い」は、本来「無償」でありたい。
だが、「気づいてほしい、認められたい、感謝してほしい」と思うのが多くの人の本心だ。
現実の人間はそんなに高尚ではない。我欲を抑えるのは難しい。
「引き合わないなあ」とぼやくごんは、主役が決して純粋無垢な存在ではなかったことを示している。
◆ひっそり償っていればいいのに、気づいてほしいなんて思うから、本当に気づかれて撃たれてしまったのさ。
・・・人の心の弱さへの批判と読むのは、さすがに意地悪だ。
ただし、
◆人は、他人に認められたいという気持ちを抑えられないものだ。
・・・こんな風に考えると、人の心の弱さへの共感として読むことができる。
根拠はないが、
「他人に認められたい・評価してもらいたい」というごんの気持ちは、愛知県の田舎で代用教員をしながら執筆活動をしていた南吉の当時の心境と重なるのかもしれない。
当時の南吉が「いつか世の中に認められたい」と思っていたとすれば、「ごん」は作者自身なのだということになる。
純粋に好きな気持ちだけで童話を書いていたいが、認められたいという思いが強くなったということはないだろうか(勝手な推測に過ぎないが)。
村で代々言い伝えられる「ごん」のような存在になりたいと思う南吉の願望が込められているのだと読める。
「死んで名を残したごん」のように、後世に名を残す(作品を残す)存在でありたかったのかもしれない。
この解釈をするには、『ごんぎつね』冒頭の「わたし」の語りの部分が欠かせない。
逆に言うと、冒頭の「わたし」の語りの部分を踏まえると、こんな解釈も可能になるのだ。
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